第六話

 次に私たちが喫茶店に集ったのは、翌週だった。

 みかんからの『今日、喫茶店行こうと思ってます!』のメッセージに『じゃあ、私も』と返した時、ほんのりと胸が熱を持った。

 「偶然」を一度、「約束」に変えるだけで、こんなにも気持ちって変わるんだなと考える。約束がある、それだけで、仕事はスムーズに片付く。思えば“仕事終わりに誰かと会う”という予定があるのは久しぶりだな、と思った。それくらい私は誰かと繋がることが億劫になっていたのだと改めて気付かされる。


 退勤時間になり、営業部の方をちらりと見ると、みかんもこちらに視線を向けていた。その視線に自然と頬が緩む。二人揃って扉を抜けて、夜の街へ歩き出す。

 先週はあんなに重かったはずの足が、今日は軽やかだった。眩しかったはずの街の明るさも、どこか私たちの歩く道を優しく照らしてくれているように感じた。


「仕事慣れた?」

「ぼちぼちですね」


 そう言って、みかんは前髪に触れる。これは昔のみかんの“照れている時”の癖だった。その癖が変わっていないのならば、仕事は順調なのだろう。

 少し歩けば、見慣れた灯りが漏れる扉が見えてくる。そのあたたかな色だけでコーヒーの香りが、こちらまで漂ってくるようだった。


 扉を開けると「カラン」とベルが鳴る。扉を開けるとコーヒーと煙草の匂いが鼻をくすぐり、私たちを迎えてくれた。私たちは先週と同じように、カウンターに並んで座る。なんだか、もうそれが恒例みたいに。


「なに頼む?」

「うーん、ホットココアにします」

「ココア?」

「はい、先週、薫先輩が飲んでて美味しそうだったので」

「じゃあ私も同じのにしよ」


 マスターに「ホットココア二つ」と頼み、二人で煙草に火をつける。私たちは白い煙をまといながら、昔に戻っていった。


「顧問の城崎先生、覚えてる?」

「もちろんです!」

「あの先生、まだおんなじ学校いるらしくってさ」

「え!そうなんですか?」

「地元の友だちが言ってた。城崎先生優しかったよね」

「夏はアイスとかこっそりくれたりして」

「あったあった」


 そんなふうに思い出話に花が咲く。同じ日々を過ごした昔の話をしている。けれど、今の私たちは煙草を燻らせている。そのズレがなんだか面白かった。

 私たちが一緒に過ごしたのはたった2年間足らずだったのに、話はいくらでも尽きなかった。みかんの昔から変わらない笑った時の三日月のような目が、懐かしい過去に色を付けるようだった。

 

「私たちも大人になったね。こんな夜が来るなんて思ってもなかった」

「私もです」


 あたたかくて甘いココアを飲みながら、少し遠い目で煙を吐く、みかんの横顔を眺める。最初に会社で会った時は、別人だと思ったけれど、今見ると変わらぬ面影が確かに残っていた。茶色く薄い瞳の色、丸くて桃色の頬、ぷっくりと小さな唇。ちゃんと確かに、あの頃のみかんが感じられた。


「薫先輩、全然雰囲気変わってなかったから会社で見た時びっくりしました」


 私が考えていたのと同じ瞬間を、みかんも思い出していたらしい。


「それって子どもっぽいってこと?」

「そうじゃなくって!昔から大人っぽかったから、です」


 ちょっと慌てたように言うみかんの頬が少し赤らんでいる。その様子を可愛いと思う自分に気づいて、一気に鼓動が速くなる。落ち着けるように、ココアを一口飲むと、その甘さが、より私の鼓動を速くした。


「それなら、まあいいんだけど」

「薫先輩、みんなの憧れの的でしたもんね」

「え、そんな記憶ないんだけど」

「薫先輩が気づいてなかっただけですよ〜!」


 なんだか揶揄われているようで、でも照れくさくて、思わず唇を尖らせる。そんな私を見て、彼女はふふっと嬉しそうに笑った。


——みかんには、中学生の頃の私、どう見えてたんだろう。


 考えだしてしまうと、より一層心臓がうるさくなった。ココアの甘さがじんわりと胸の奥にまで広がっていくような。


 だけど、ふと、みかんがマグを持った指を止めた。


「……中学の頃の話って、楽しいですね。でも、どうしても “あの日” のことも思い出します」


 “あの日”私たちに突然訪れた別れの日。鼓動の速度は変わらぬまま速く打っているけれど、胸の奥で、空気がひとつ沈んだ。


「……突然だったもんね」

「はい、ほんとは皆んなにお別れ言いたかったです」

「私も、みかんにちゃんとまたねって伝えたかった」


 私たちの間に沈黙が影を落とす。ただ、煙草の煙だけが私たちの間を流れていた。


「でも、こうしてまた出会えたのって、すごいことだと思うんです」


 沈黙を邪魔しないような、けれども、確かな声でみかんが言った。その瞳の奥にはあたたかな喜びが滲んでいるように見えた。その色に胸の奥で締め付けられていたものが、ほどけていくようだった。


「そうだね、奇跡ってこういうことをいうのかも」


 私が悪戯っぽく笑って言うと、彼女も嬉しそうに笑った。そんな私たちの間を煙草の煙は変わらず、穏やかに漂っていた。

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咲き薫る花と果実 宵雨 小夜 @yoi_rain_sayo

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