9-3. なんでこんなことになっちまったんだろーな

 潮の香りが鼻をつく。

 快晴だった空には知らぬ間に厚い雲が覆い始めていた。

「わ……わたしは……」

 太陽の隠れたタイミングが重なったことで、リオの顔は自然すぎるほどに明暗が変化する。

「リオさん……?」

「リオ……」

 シズも俺もリオの答えを待っている。一刻も早くカイの馬鹿げた推理を否定して欲しい。いつものように怜悧な笑みを浮かべてそれは誤解だよと言ってくれ。

 だが、その願いは成就しない。

「わたしは……リ……リオだよ。ハリアのリオルト……っ……」

 青ざめた顔で嗚咽を漏らし、リオはカイから、いや俺達から後ずさる。その姿はあまりにも普段のリオとかけ離れていた。

「つーことはおめーがカヤべの婚約者ってことか? あの包帯の女とはどんな関係だ? クロセドで何があった?」

 カイが木刀を構え直す。それは先ほど蒼白龍を屠った時と同じもので、

「ま、待てカイ‼︎ お願いだから……お願いだから待ってくれ‼︎」

 考える暇もなく俺はカイとリオの間に入った。そこに立ってみて初めて感じる恐怖がある。〝不死〟ごと葬り去られてしまうような、絶対的な死の匂い。

「……退け、シラセ」

「退けない‼︎」

 恐怖に足が立っていられないほど震え、膝から崩れそうになりながらカイに懇願する。カイが動かないことを信じてリオを振り返る。

「リオ……違うよな? 何か事情があるんだよな? 包帯の女が名前を偽ったとか、じゃなきゃ何かの祝福で操られているとか……」

「っ……違う……わたしは……ああ、ああああ……わたし……!」

「待ってリオさん‼︎ そっちはあぶな——」

 フラフラと高台の崖まで彷徨うリオをシズが引き止めた瞬間。

「——はーい、お疲れさま」

 リオの体が不自然に浮いた。その胸元に、クロセドで見た時と同じナイフが飛び出して。

「よっと」

 すぐさまそのナイフが抜かれ、リオの胸元が真っ赤に染まる。

「うりゃっ」

 心臓へのひと突きだけでは済まず、ナイフはそのままリオの喉元を掻っ切る。

「……え?」

 血が、リオの血が。結奈の血が、飛び散る。リオの服に、地面に。

 血溜まりにリオの体が沈む。声も上げないまま、まるで屠殺されるかのように、自然に。

 花園、結奈、ナイフ。手に持ったナイフを自分の腹に突き刺して。かみさま、かみさま。

 痛みは無い。腹にナイフは刺さっていない。記憶が明滅し現在と混ざり合う。口からは言葉にならない音が漏れるだけ。

「んー? シラセくん大丈夫?」

 さっきからこの場に似つかわしくない軽妙な声が聞こえてくる。それは聞き慣れすぎるぐらいに聞いた声だ。俺が、この世界に来る前から。

「あ、バレちゃったしこの包帯取ってもいいよね」

 シュルシュルシュと麻布の擦れる音がする。目の前で顔を覆っていた包帯が解かれていく。そこにいる女の顔が露わになる。

「こんにちは、シラセくん、シズちゃん、カイくん。わたしが包帯の女こと、リオルト・ウォル・ハリアだよ。リオって呼んでね、イェイ!」

 膝をついたままの俺に包帯を解いた女はウインクしながら笑いかける。須藤結奈は、俺の婚約者はイェイなんて言わない……それ以前に。

 俺の婚約者と同じ顔を持つ人間がこの世界に二人もいるなんてこと、あり得るはずがない。

「祝福か」

「おっとっと。カイくん、そんな殺気を向けないでもらえるかな?」

「いいから答えろ」

「仕方ないなあ。じゃんじゃじゃーん、これはわたしの分身だよ。上手くできてるでしょ?」

 血塗れのリオの顔が地面から浮き上がる。いや、髪の毛を無造作に掴まれて持ち上げられている。そしてそれをしているのもリオだった。

「造形はそっくりにできたんだけど、やっぱり精神的なところはボロが出ちゃったね。でもカイくんの言ったとおりこの顔に救われたよ。……ああシラセくん、申し訳ないんだけどわたしは君のことも結奈って人のことも知らないから」

「は、ははは……」

 掠れた笑いしか口から出てこない。何もかもが予想外で思考はすでに停止している。

「リオ、さん……?」

「ああシズちゃん。シズカ・ウォル・ロフェル。君が〝不死〟だったせいでわたしも大変だったよ。それはシラセくんにも言えることだけどね。殺す順番を考えないといけなくなったし、バレないようにこれを動かす必要があった。まあ結局バレちゃったんだけど。いやー残念残念」

「そんな……。じゃあ私達が今まで旅してきたのは……」

「分身、紛い物、嘘っぱちだね。でも別に幽霊じゃないから体の感触はちゃんとあったよね。抱きつかれたりさ?」

「っ……!」

「束の間の仲間ごっこを提供してあげたんだ。むしろ感謝してもらいたいところだよ。……まあでも、そんなことはどうでもいい」

 リオが分身と称した自分の頭部を離す。血溜まりに頭部が沈み、リオはナイフを構える。

「ここで君たちには罰を受けてもらうよ。ツカサの、わたしの愛する人の仇ども」


 ***


 鍔迫り合いの音が曇天に響く。目の前で剣戟が繰り広げられている。

「はっははははっ! 強いねっ! やっぱり!」

 無言のまま繰り出すカイの斬撃をリオが声を昂らせながら器用に受け流し続ける。カイが距離を取った瞬間にリオに向かって水術が襲来する。

「よっと! シズちゃーん危ないじゃないか! そんなにわたしと遊びたいのかい!?」

「黙って……!」

 シズは歯噛みしながら魔粒子を集めて魔術をリオへとぶつける。それを掻い潜って接近するリオを今度はカイが間に入って押しとどめる。

 それでもリオは哄笑を絶やさない。

「あはっ! ほらほらそんなんじゃヒサラちゃんに叱られるよ!? もう死んじゃったけど!」

 その挑発にカイの髪が逆立ち、剣戟が一層激しくなる。

「攻撃が単調になってきたね! これなら戦いながら思い出話もできちゃうかも……ねっ‼︎」

「ぐッ……!」

 リオのナイフが下からカイの木刀を弾き上げる。そのままガラ空きのカイの胴体にリオが蹴りを繰り出す。吹き飛んだカイに目もくれず両手を広げてリオは空を仰ぐ。

「ヒサラちゃんがわたしを信じてくれないヒサラちゃんが一番邪魔だったああクロセドで最初に始末できたのは嬉しかったなあでもヒサラちゃん死んじゃって悲しいなあ」

 まるで呪詛のように言葉を吐き出すリオ。その姿が一瞬でシズの元に迫り、

「シズさん‼︎」

 カイが防ぐよりも早くシズの首にナイフが迫る。首を守る光護ごとシズは弾き飛ばされた。

「ヒサラちゃんカイくんシズちゃんシラセくんみんな順番に殺してあげるだってわたしのツカサを殺したからツカサはもういないツカサは死んだ死んでいやイヤ嫌嫌嫌」

「カヤべを殺したのはオレたちじゃねーよ!」

 体制を立て直したカイが再びリオに斬撃を繰り出す。

「嘘……嘘嘘嘘嘘嘘ウソうそ嘘わたし聞いたんだお前らが殺したってだからわたしだからだからあはっ、あははは、あはははははははははははははは」

 ナイフで受け止めたリオが再び狂ったように笑う。その笑声に靡くようにリオの影が揺れる。

「ぎ……がはッ!?」

 影が形を成してカイを吹き飛ばす。

「あははははははははっはっは、いやいや悪くない思い出話だったね‼︎」

 手を広げてリオは天を仰ぐ。

「リ……」

「おやおやシラセくん、君のことをすっかり忘れていたよ。嘘だよ片時も忘れてないよ人殺し」

 結奈の顔をした人間が俺に愉悦と憎悪の顔を向けてくる。頭の片隅がチリチリと焦げる。フラッシュバックする光景がリオの姿とぐちゃぐちゃに混ざり合う。

「君の顔を見たら先に殺したくなってきたね。せっかくだから……っと危ない」

 リオの姿がゆらりと移動する。声だけが鮮明に耳に響く。

「シラセさんに近付かないで!」

「あらまあシズちゃん健気だね。やっぱりずっと旅をしていればこんな屑に対しても情が芽生えるのかな? でもそれは叶わない——」

「うるさい‼︎」

 シズが焔術を行使したことが周囲から伝わる熱で分かる。

「うわっちちち! これが情熱ってやつ!?」

 それでもリオの愉しげな声は止まない。

「ぁ……あぁぁ……」

 頭に響くその声に俺の視界は明滅を繰り返していた。結奈とリオ。シズとリオ。正しさと裏切り。内通と内応。裏切りと裏切りと……。

「バイ、デュシル……」

 混濁の中に浮かんだ単語をそのまま口にする。

「その情熱に免じてシズちゃんから……わっ!?」

 気付けば視界が回復している。シズに攻撃を仕掛けようとしたリオがつんのめるのが分かる。その正体はリオの足に巻き付いた黒い鎖。それはリオの分身が沈む血溜まりから伸びていた。

「ちょ、ちょっと待づっ」

 慌てるリオの体をシズの風術が貫く。

「やめろ……」

 怯んだリオの背後にカイの姿が見える。その手には木刀を持ち、すでに構え終えている。

「たすけ——」

 リオが震えながら上げた手は俺を向いて、濡れた目は俺を見て、

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼︎」

「——神晒かみざら

 カイの斬り上げた木刀が、リオの体を斬り裂いた。


***


 頭がひどく痛む。

 リオが、高台から落ちていく。

「リ……オ……」

「シラセ、助かったぜ。おめーが魔術を使ってくれなきゃヤバかった」

「嘘だ……」

「シズさんも無事みてーだしとりあえずここを離れねーと。なんかまだ嫌な予感がするんだよ」

「なんで……」

「げ、雨降ってきやがった。さっきまで晴れてたのにやっぱ海っつーのは——」

「なんで殺したんだ‼︎」

 腹の底からありったけの声で叫んだ。

「リオは仲間だろ!? 殺さなくてもよかっただろ‼︎ こんな……こんな結末望んでねえよ‼︎ 人殺し‼︎ 結奈を返せよカイ‼︎」

「……」

 無言のままのカイに詰め寄ってその襟首を掴む。カイは口を結んで冷たく俺を見ている。普段のおちゃらけたカイとは別人のようで余計に腹が立つ。

「なんとか言え‼︎」

「……落ち着けシラセ」

「俺は落ち着いているよ‼︎ お前が結奈を殺したんだ‼︎ この裏切り——」

「やめてください‼︎」

 突然、頬に鋭い衝撃が走った。叩かれたと気付いた時にはシズが目に涙を湛えて立っていた。

「シズ……?」

「分からないんですか!? カイくんは私達を守ってくれたんですよ!? もっと冷静になって……! リオさんは結奈さんじゃないんです……。リオさんは……うわあぁぁぁぁぁぁぁ」

 シズはとうとう顔を覆って泣き出してしまった。その姿を見て、雨粒を頬に受けてようやく頭が冷める。何をやっているんだ俺は。何を情けないことをしているんだ。

「ご……ごめん、ごめんなシズ。カイも済まない……」

「別に、気にしてねーよ」

 そのままカイは雨空を見上げる。

「……なんでこんなことになっちまったんだろーな、ヒサ」

 その呟きはすぐに雨音にかき消されてしまう。晴れ渡っていた青空は今では見る影もなく真っ黒で、これまでの楽しかった旅の思い出も、これからの俺達の行く末さえも塗り潰してしまいそうだった。

 疲労がどっと押し寄せてくる。肉体的にも精神的にも限界だった。この状況で造船所に向かうことなんて出来ない。もう、今はただ休みたい。

「うぅ……ぐすっ……リオさん……ヒサちゃん……」

「シズさん、シラセ。体冷やすと風邪ひくぞ。さっさとここを離れて——」

 畢竟、この世界の神はそれを許さない。

 雨音に混ざって風を切り裂く音が、雷鳴のような咆哮が空に響く。

「もう、いや……」

 シズの掠れる声とともに、まるで全てがスローモーションのように。

 空から、銀龍が顕現する。


***

 

 なんでこんなことになっちまったんだろーな。

 人生ってのは残酷だよ。生まれた時から贅沢な暮らしをしてるヤツらもいれば、オレたちみたいに差別されるヤツらもいる。

 オレたちなんも悪いことしてねーのに。結果的に悪いことをしなきゃ生きていけねーんだから、どっちが先かなんて関係ねーじゃん。

 まーでもオレは恵まれてた方だと思うぜ。なんてったってヒサがいたからな。親に捨てられようが育ててくれたじーさんが死のうが、ヒサさえいればなんとかなった。ヒサと一緒ならなんもいらねーって、本気でそう思ってた。

 だからシラセたちのことなんて最初はどーでもよかった。これまで一緒に旅してきたヤツらと同じように、利用して最後はヒサと一緒に逃げりゃいいかなって、その程度だった。

 でもなんか違ったんだよな。

「行けシラセ! シズさん連れて逃げろ!」

 今だってオレだけならさっさと逃げられるのに、こうやってシラセのどんくさい体をぶっ叩いてる。理由はわかんねーけどシラセとシズさんはこれまでの連中とは違う気がしたんだよ。いつまで経ってもくたばらねーから愛着が湧いたのかもな。そーいう意味じゃリオのヤツも似たようなもんだった。あー、本体じゃなくて分身の方か。

 シラセはボーッとしてる時があるし根は女たらしの最低ヤローだが、最後の最後にはちゃんと動く。それはオリヴェルタん時に分かった。だから大事なのは尻を蹴っ飛ばしてやること。

「逃げろっつってんだろーが‼︎」

 ほら、ちゃんとシズさんを引っ張って走り出してら。あとは坂んとこに置いてあるガラクタでなんとか逃げられんだろ。

「さてと」

 とりあえず時間を稼いでやらねーとな。そんでオレも走って逃げる。隠れるとこが多いからなんとかなるとは思うが、オレよりシラセたちに標的が移ったらめんどくせー。

 つーかめちゃくちゃでっけーなこの龍。さっきぶった斬ったヤツの倍はあるんじゃねーのか? そーすると親子ってことになるのかね。

「いや、ちげーよな」

 コイツらはやっぱ親子じゃなくて兄妹だ。確信はねーけど、巣にしてるっぽいこの辺りの様子とか体の色合いとか見てたらなんとなく分かるんだよ。

 オレとヒサもそうだったからな。

「なんでこんなことになっちまったんだろーな、お互い」

 言葉の通じねー龍にんなこと言っても仕方ねーんだけど、なんか言わなきゃって思った。復讐する側がされる側になっちまったわけだ。

「オレもリオと同類か」

 そう考えるとなんだか泣けてくるね。仕方ねーから形見だけでも——

「君が同類?」

 あん?

 あ。

 腕が無くね? どこいったオレの刀?

 いやそれより、誰だ?

「一緒にしないでもらいたいね。わたしは君なんかより、もっと状況を愉しんでいるのさ」

 この声、なんか聞いたことあんぞ。

「けふ」

 体に力が入らねー。胸はあちーし喉からなんか湧いてきやがる。あ、なんか胸に刺さってら。

「ぐぇ」

 いてーな誰だよ背中蹴ったヤツ。つーか体が動かねーんだけど、これヤバいんじゃね?

 あー駄目だな来やがった。結局復讐されるってオチかよ。

 いやそれより、あいつ。

 首に傷があるっつーことはさっき斬った包帯の方じゃねー。

 なんで生きてんだ?

「死にゆく君に教えることは無いよ。それじゃ!」

 あっ待てよてめー。ちゃんと説明しろや。

「げあぅ」

 いででででででで。噛むんじゃねーよ、いてーから。いてーって。いてーっつってんだろ。いてー痛てて痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 助けて、助けて助けて助けて助けて。

 たすけてヒサ

 ヒサ

 たすけ——

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