b. およ

 女は、ボロボロになった外套を纏って夜道を歩いていた。

 その足取りは軽く、踊っているようにも酔っ払っているようにも見える。辺りが寝静まっているのもお構いなしに鼻歌を路地に響かせる様は、まるで観客のいない舞踏会のようだ。

「こーこかなっ」

 しばらくして女は扉の前で立ち止まった。両開きのその扉には花の紋章が刻まれており、隙間からは微かに光が漏れている。

 女は何かを呟いた。すると月光に照らされた女の影がゆらゆらと揺れ動き、たちまち人の形となって立ち上がる。

「こんばんは、ソーエルちゃん」

 女はその影に微笑んだ。ソーエルと呼ばれたその影は泣き腫らした目を女に向けた。

「んー、泣き顔の私ってこんな不細工だっけ? もうちょっと髪は綺麗にした方がいいかな?」

 悩ましげに口に指を当てる女を、女と同じ顔をした影は無言で見つめている。

「まあいっか。じゃ、私は裏から入るから上手くやってね」

 ひらひらと手を振って、女は扉のある建物の裏手へと消えていった。


 ***


「シズカ・ウォル・ロフェル。あいつらの中じゃシズって呼ばれとった」

 忍び込んだ隊舎の物陰から女は男の声を聞いていた。

 女は元々男を殺すためにこの隊舎にやってきたが、男から意外な話が飛び出したことで、息を潜めてその話の続きを聞くことにしたのだ。

 隊舎を出て夜道を歩く女の足取りは軽快さを増していた。

「シズ、シズ、シズカさんっ」

 ペタペタと石畳を踏むテンポに合わせて、男から聞いた復讐相手の名前を口ずさむ。

 シズカさん、どんな人なんだろう? やっぱり領主の娘なら世間知らずのお嬢様なのかな。あれ、領主と領人どっちだっけ? まあいっか。

 女はつい先ほど聞いたことも忘れていた。それは頭の中に湧いてくる高揚感と、攪拌された自意識のせいだった。

「およ」

 しばらく歩いた後、女はある場所で立ち止まった。そこは市街区に屹立する時計塔の前だった。女は真夜中だというのに大袈裟に手で庇を作り、時計塔を見上げた。

 そして先刻の自分の行動を思い出し、ひとり感心した。

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