レイヤー3 自由に吹く白い雪

「学校でも『ふゆか』って呼んでって言ってるでしょー?」


 職員室を出ると、うちのクラスメイトの一人、白雪しらゆきふゆかが現れた。


 ふゆかさんは俺と同じ図書委員。姫カットで白銀色に染めている長い髪は、腰まですらっと上品に伸びている。瞳の色と同じ、瑠璃色のリングピアスを両耳につけている彼女は天真爛漫で自由奔放な性格をしている。うちのクラスからはとても愛されており、他のクラスでも人気らしい。そんな彼女とは、ここの高校に入学する前から面識があり、ある出来事をきっかけに親しくなった。


 「ふゆかさん…!」


 俺はしかめっ面で、ふゆかさんの柔らかく垂れた優しげな目をじっと睨んだ。


「はーーーい。」


 ふゆかさんは名前を呼ばれると、朝礼の点呼みたいに満面の笑みで元気いっぱいに返事した。その柔らかい声に俺は自然と脱力したが、例の件を聞いてみた。


 「…えーっと、図書委員のアンケート、どうなってます?」


 そう尋ねるとふゆかさんの肩が一瞬弾んだ。先ほどまであった余裕が焦りに変わり、「あー…あれねー…」と誤魔化すように視線を天井に泳がせ、話を濁らせる。


 実は、金城先生から問われたアンケートはふゆかさんが受け持っている。

 委員会があった当時、本人は「任せてよ!!」とやる気満々だったので、この一件は任せっきりになっていた。彼女自身がやると話していたので、俺は気にかけなかったのだが…


「もしかして、擦りつけました…?」


「あ、ははははははは…」


 ふゆかさんは左手を後頭部に回し、ハッキリとした作り笑いをした。

 金城先生に曖昧な返答しか出来なかったのは、俺自身が現状を知らなかったからである。


 俺はふゆかさんに金城先生と話した内容を伝え、代わって俺が聞いて回ることを提案した。猶予は一日、一週間あった本来の期間ですら遂行できなかった仕事を預けるのは得策ではないと踏んだからだ。


 すると彼女は能天気な雰囲気に戻り、口角を上げた。


「マジぃ?ありがとー、たきくんがいてくれてホント助かるぅう。よかったね、明日まででー!」


「いや、本当なら昨日までです…」

(それ以前にあなたの仕事です…)


 ふゆかさんは微笑みながら、知らなかったフリをして軽くあしらった。その緩み切った態度に、俺はただひたすら脱力することしかできなかった。そしてそんな彼女にもう一点言っておきたいことがあった。


「…それと、」


「んー?」


「なんでグループで知らせるんですか、何か用があるときは個人で連絡くださいよ…」


 彼女は不思議そうに目をぱちくりさせ、首を傾げてきょとんとした。そして思い出したかのような反応をした。


「あー、あれねー。ちょうどそんときさ?このまえグループにアップされてた写真を見てたからさー。わざわざたきくんのアカ探すのめんどかったし、ついでにー?」


 ふゆかさんは悪びれる様子もなく、ふわっとした笑顔で話した。


 理由を聞いた俺は、スマホをいじってるふゆかさんの目の前に現れた金城先生が悪いのか、それとも怠けたふゆかさんが悪いのか考えてしまう。…いや、金城先生に非はないだろ。


「まぁまぁまぁ、埋め合わせはまた今度するからさー!」と彼女は俺の肩を叩き、上機嫌に鼻歌を歌いながら、軽やかな足音を残し去っていった。


 俺は疲弊した様子で肩をすくめ、ふゆかさんの後ろ姿を見送るように眺めていた。


「あー!ふゆかちゃんはっけーーん!」

「ほんまや!いたいた!」


 そんなとき、逆の方角からクラスメイトの女子の声が聞こえてきた。振り向くとバタバタと足音が鳴り、こちらに向かって走り出していた。


「あ、星野君やーん!」

「ごめんちょっと通るねー!」


 クラスメイト二人は、通り過ぎざまに声をかけてきて、本来の目的であるふゆかさんの元へ駆けていった。


「もー、ジュース買ってたら居なくなったから焦ったよー」

「ほんまそれー、勝手に居なくなんないでねふゆかちゃん」

「えへへー、ごめんごめん」


「「ふゆかちゃーん♡♡♡」」


 どうやら勝手に離れて行動していたらしい。二人はその反省している気配ゼロの可愛らしい返事に心を奪われ抱き着いていたが、俺の中には「…自由過ぎないか、あの人」…しかなかった。



 5時限目が終わり休み時間となった。

 俺はふゆかさんから読書傾向調査のアンケート用紙を貰うことにした。ところが本人に尋ねると、「どこかへ消えましたー」と旅立ちの知らせを告げられた。…ので職員室に向かい、担当の先生から改めて用紙を貰った。


 午後の授業とホームルームが終わり、下校時間となった。

 俺は放課後の時間を利用し、教室に残った数人で図書委員の仕事を済ませることにした。


●現在あなたが読んでる本は?

「最近だと電子書籍になるけどこのラノベがアツいかな!この主人公のケンゴが同じクラスのユウジに寄せる想いがすっごく純粋で今後の進展がめちゃくちゃ気になるの!一緒に笑って一緒に遊んで一緒に帰る!ま、さ、に!青春だよ!ぐへへー…あーウチもこの二人が出会った男子校に転入して直に男同士の距離感を堪能したいな~…」


「主人公…ユウジ……男子校??」


●現在あなたが他の人にオススメしたい本は?

「オススメしたい本かー…あ、オレさ、最近発売された限定カード同梱の雑誌を買ったんよ。まだ読んでないけどその雑誌、きっと面白いから譲っても良いかな」


(それカード目当てなだけで、ゴミとなった雑誌を片付けたいだけでは…)


●今まで読んだ本の中で一番印象に残ってる作品は?

「本かー、あ、この前たきくん家に遊びに行ったとき見せてくれたアレかなー」


「それ画集ですけどアンケートに書いていいのかなぁ」


「いいよー!書いちゃえ書いちゃえー!」


「…ていうか暇ならふゆかさんも手伝ってくださいよ」


「えーーーー!」


 ふゆかさんは不服そうに頬を膨らませたが、「しょうがないなー♪」と受け入れてくれて、快く協力してくれた。


 こんな感じで、俺たちはあと数人に聞いて回った。教室に残った人たちだけでは、若干規定人数に満たなかったので、少し面倒だが校内を歩き、部活中のクラスメイトに声をかけることにした。


「…あれ?ふゆかさん?」


 そして聞き込みをしている最中にふゆかさんの姿は消えていた…


 俺は探さなかった。自由すぎるふゆかさんの行き先は皆目見当もつかない。無駄な時間を過ごすよりも仕事を優先した俺は、ようやく事が済んだ。すぐさま職員室に向かい、金城先生にアンケート用紙を渡した。


「なんだ、やれば出来るじゃないか。次からは気をつけたまえ」


「あ、え、あ…はい。遅れてすいませんでした」


「うむ、ご苦労さま」


 金城先生には、ふゆかさんの影すら見えていなかったことだろう。しかし俺の脳裏には、イェーイとはしゃぎ、満点の笑顔でダブルピースしてる彼女の姿が浮かんだ。


「失礼しましたー」


ピロリン♪


 職員室を出たタイミングでスマホが鳴った。ポケットから取り出して確認するとふゆかさんからのメッセージが届いていた。


《本当にごめん!!今日早く帰らなきゃいけないの思い出したから先帰る!!今度絶対ジュースおごる!あ、デートでもいいよ!!!!》


(一言くらい声かけても良かったのに…)


《ではジュースでお願いします》


《むっ!!たきくんのばか!!!!》


 そんなやりとりを一通り終え、1階に降り下駄箱で外靴に履き替える。昇降口を出ると大阪の街は夕暮れに染まりつつあった。


 その日の夜、俺は自分の部屋にこもり、昨夜と同じく液晶タブレットに向かってペンを動かし、アタリの練習をしていた。


 けれど、今日は集中できないことに気付き、たった30分程度落書きしたあとペンを置いて、ベッドに身を放り投げた。どうしても、屋上で会った黒い髪の女子生徒のことを考えてしまう。


「…気にしすぎだろ…俺……」


22時、今夜は少し早く眠ることにした。



 翌日、いつも通りの朝を過ごす。朝食をとったあと制服に着替え、家を出る。温かい陽の光を浴びながら変わりなく登校する。


 学校に着いたら上履きに履き替え、そのまま食堂前に寄って飲み物を買いに行く。


(お、今日は売ってる)


 昨日珍しく売り切れてた乳酸菌飲料が、今日は復活していた。迷う事なくそれを買い、一口飲んだ。そして俯きながら内に秘める思いが、自然と口に出た。


「ふぅ…昨日の屋上の子、なんだったんだろう」


「それってもしかしてスマホ拾ってくれた子のことぉ?」


「ああ…気になって仕方がない」


「そっかぁ、気になるのかぁ」


「うん…」


 ……って、え?


 自販機の前に一人でいるはずなのに、誰かと会話していることにふと気がついた。

 グラウンドからは運動部の朝練の声出しが聞こえてくるが、距離があり小声で話す俺とは会話は出来るはずがない。じゃあ……?


(…隣に誰かいる!?)


 ペットボトルに向けた視線を少し上げた途端、視界の端に人影をとらえた。


「…ぅわあっ!」


 顔を左に向けると、女子生徒がすぐ隣に立っていた。昨日、屋上で会った黒い髪の女子生徒が…。


「ちょ、驚すぎじゃない?」


 不意に声をかけられ、心の中で気になっている存在がすぐ目の前に現れた事実に、俺は驚くことしか出来なかった。反射的に仰け反った俺を見て、彼女は軽く笑った。


 一呼吸置いて、精神を落ち着かせる。そして何か用があるのか尋ねた。


「…な、なにか、用ですか…」


 落ち着いていなかった。震えた言葉しか出なかった。彼女はクスッと笑い、昨日の、初対面の瞬間を思い出させるような笑顔で口を開いた。


「うん!今日のお昼さ、一緒に食べない?」


「え…?」

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