レイヤー2 屋上の女の子

(……いま、確か『クロエ』って言ったよな…)


 目の前に現れた女子生徒は、微塵も予想しなかった言葉を口に出した。


「えーっと…」


 俺は脳の処理が追いつかないまま、どうにか返事を探していた。けれど彼女は動揺している俺に対し、お構いなしに話し続けた。


「好きなの?」


「…あ、はい、好きですっ……」


 震えた声で、ようやく返した。だが、頭の中で状況の整理が出来ていないせいで、それ以上何も言えなかった。彼女がスマホを拾った際、気に掛けていたのは液晶画面が割れているかではなく、スマホに映るクロエ先生のイラストだったらしい。


「ふふ、そっか」


 俺の返事に対し、彼女は意地悪っぽい笑みを浮かべた。俺はその表情に見惚れてしまう…。反射的に顔を逸らしたが、彼女はそれを見逃さずクスッと小さく笑った。


「あやー、何してんのー?はよ座って弁当食べようや!」


「あやー、はやくー、うち腹減ったわー!」


 日当たりのいい遠くにあるテーブルから、女子生徒たちが大声で誰かを呼んでいた。急な大声に驚いた俺と、目の前に立っている黒い髪の女子生徒は反応し、自然とその方角へ顔を向ける。


「ごめーん!今行くー!」


 すると目の前の彼女が弾むような元気な声で返事した。


(あや…この子のことか…)


 心の中でそう思っていると、彼女は視線を俺のほうに戻し、笑って小さく手を振ったあと、声の行き先へ駆けていった。


 駆け足で揺れる黒い髪が、目に焼きつく…


「…あや」


 彼女の名前なのだろう、ふと呟いたあと再びベンチに腰をかけ、残りの弁当を食べ始めた。けれど、今の出来事が頭から離れず、彼女のほうへ視線が誘導されてしまう。


(いかんいかん…)


 男子一人が食事中の女子の集まりを観察するなど、側から見たらどう思われるか…

 俺は首を振り、意識的に弁当のほうへ視線を釘付けにする。


 しかし…確かにクロエ先生の名前を口にした。先生と…知り合い?いや、関係者ならそう簡単に話さないに決まっている。それじゃあ単に、同じファンなだけなのだろうか。そう思うと僅かな親近感が込み上がってきた。


ピロリン♪


「…!」


 解答が出ない難問を考えていたとき、ポケットにしまったスマホが鳴った。この時間帯に通知が鳴るのは珍しい。何かと思い、画面を開くと一通のメッセージが届いていた。


《たきくーん!金城先生が後で職員室来てってさー!》


 同じクラスの人から俺宛ての連絡だった。のだが…


「なぜグループ……」


 届いたメッセージは、個人トークではなく、なぜかうちのクラスのグループトークに送られていた。それがどのような影響を及ぼすか、すぐに結末が露になる。


《はよ行きやー星野君》

《ほしの、何やらかしたんや》

《ほしのくん今までありがとう》

《ウケる》


 ウケない。


 案の定、クラスメイトが不必要に反応してきた。

 俺は目を細め、《わかった。ありがと。》と返した。連絡をくれるのはありがたいが、こうやって少しでも目立ってしまうのはごめんだ。高校生活は静かに送り、生徒との付き合いは最小限にとどめておきたいのが本音である。


 金城先生…金城美幸かねしろみゆき先生はうちのクラス1-B担任の女性教師だ。担当科目は美術で、歳は28。可愛い系というより美人系な顔立ちをしており、気が強い印象を受ける。先生から呼び出しされるような心当たりはないのだが…一体なんだろう。


「ごちそうさまでした」


 昼ごはんを食べ終えた。この後、いつもは自販機に寄って飲み物を追加で買うのだが、今日は金城先生がいる職員室に向かうことにしよう。面倒事は早く済ませたい派だ。


 弁当箱と飲み物をランチバッグに入れ、重たい腰を上げた。


「よいしょっと…」


 屋上の開閉扉まで足を運び、ドアノブまで手を差し伸べたが、心の内にあるモヤモヤが行動を制限し、すぐに開けようとしなかった。


 ――ふふ、そっか


 彼女のあの言葉と、あの微笑みが頭の中で蘇る。

 …バレたら気持ち悪いと思われるかもしれない。けれど俺は何かを期待するように…そっと、もう一度あの黒い髪の女子生徒のほうへ顔を向けた。


「…!」


 …光の先で俺の目に映ったのは、子どものように無邪気に笑う彼女の横顔だった。


 幸福感溢れる満面の笑み。

 ちょっとした動作で揺れる黒い髪。

 その先にある青いフェンスが包み込まれるほど美しい青空と高い建物の背景が、絶妙に彼女の姿を引き立たせる。


(…きれい、だな……)


 俺は、テーブルを囲って友達と談笑している黒い髪の女子生徒を静観していた。

 しかし、それも束の間、視線の先にある彼女はこちらに気づき、顔半分を覗かせてきた。


(…!…やべっ)


 我に返り、急いでその場から立ち去ろうとするが、余韻が逃してくれなかった。俺はただ立ち尽くし、顔が赤くなっていた。まっすぐだった視線が分かりやすいほどに泳ぎ出す。


 再び目が合うと、彼女はそんな俺に対し、ほんのりと微笑んでくれた。そして俺はテーブルの下で小さく手を振っていることに気づく。談笑している友達に気づかれない程度に…


 その母性溢れる仕草で緊張が和らいでいく…


「……はっ!!」


 そして俺は思い出したかのように急いで扉を開けて、逃げるようにその場から去った。


「…はぁ」


 情けない自分に向かって溜息を吐き捨て、震えた足取りのまま金城先生がいる職員室に向かった。本当に男として恥ずかしい。



「読書傾向調査…ですか?」


「ああそうだ。うちのクラスだけ提出されていないらしい」


 呼び出された理由は、現在図書委員が実施している全クラス対象の“読書傾向調査”についてだった。


 “読書傾向調査”とは、その名の通り、 生徒の読んでる本や、オススメの本を何人かに聞いて回る簡単なアンケートのようなものだ。そのアンケート用紙が、うちのクラスだけまだ出ていない…らしい。


「君は確か、図書委員だったな」


「ええ…まぁ…はい」


 椅子に座る金城先生は、俺の目をまっすぐ見て呆れた様子で首を傾げた。睨まれたわけでもないのに、自然と目を逸らしてしまう。その場で現状報告を求められてしまうが、俺は曖昧な返答しかできなかった。


「はぁ…期日は守らないといけないだろ?明日で良いから、提出するように」


 金城先生は提出期限を伝え、話を終わりにした。


「はい…すいません…」


「うむ、頼んだよ」


 金城先生は用事が済むと、デスクのほうへ体を向けて他の作業を始めた。俺は申し訳ない態度で静かに会釈し、職員室を出た。


「失礼しましたー」


 職員室の扉を閉めると心の中で溜息を吐いていた。本来の提出期限に間に合わなかった事に対してではなく…


「あ、おーい、たきくーーんっ!」


「……白雪さん…」


「むー!」


右頬を膨らませながら俺のほうへ歩いてくる彼女に…白雪ふゆかに対して…

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