レイヤー4 不意に揺れる黒い髪
「お昼…ですか…」
「うん!お昼!!」
唐突なお昼の誘いに、俺は戸惑いを隠せなかった。返事しようにも言葉に詰まり、うまく口が動かせなかった。彼女はじっと俺の目を見つめ、柔らかい笑みを浮かべながら返事を期待していた。
「…っ、は、はい…いいですよ…」
何とかして喉を動かした。振り絞って出した声が、不器用を体現したように弱々しくて恥ずかしい。彼女が見せる微笑みがとても眩しく、その圧に圧倒されたのか、そのお誘いを俺は受け入れた……。
返事を受け取った彼女はほんの僅かに体を跳ねらせ、口角はさらに上がっていた。
「よし!じゃあ今日のお昼、屋上でねっ!」
彼女がそう告げると、視線のさらに奥から一人の女子生徒が手を振り名前を呼んでいた。
「おーい、あやー!何してんのー?行くでー!」
目の前にいる彼女はその友達のほうへ体を向かせ、「ごめーん!今行くー!」と手を振り返した。そして俺のほうへ体を戻し、手を振った。
「んじゃ!また後でねっ!」
「あ、はい…また…」
俺の言葉を受け取った彼女は、得意げに笑い、友達のほうへ駆けて行った。
そして、気づけば俺も釣られて右手を振っていた。駆ける後ろ姿、動くたびに靡く黒い髪が俺の心を揺らす。その友達と合流した後も、彼女の姿に俺は酔いしれていた。まるで俺と彼女以外、全ての時間が止まったかのようだった…。
「…っ、はぁ……」
彼女たちが角を曲がり、視界から消えた途端、時が動き始めた。緊張の束縛から解放された瞬間、ペットボトルを握る手が冷たく感じた。
高校に入り、自らお昼は一人で過ごしていたので、誰かと昼食をとるのは初めてだ。ましてや気になる女子と過ごすことになるなんて…
そう考え込むと再び緊張が俺の心臓に絡んでくるのを感じた。しかし、その感情の中には少しだけ、『楽しみ』という期待もこもっていた。俺は戸惑いを抱えながら教室まで足を運び始めた。
「おーっす!滝!」
「お、おう、おはよう雄介」
廊下を歩いていると、後ろから挨拶とともに肩を叩かれた。振り向くと
雄介とは同じクラスで、スポーツ万能かつ誰とでも仲良くなれるタイプの男子だ。明るくて社交的、同じ学年のあいだでは女子のみならず、男子からも一部では慕われている。現在はサッカー部に所属しており、部の先輩から期待されるほどの実力を持っているようだ。
入学して間もない頃、半強制的に行われた体験入部でサッカー部をお邪魔したときに雄介とペアになったことがきっかけで、何かと声をかけられることが増えた。
「どうしたんや?」
「えっ?」
「いや、なんかいつもと少し様子ちゃうなーって思って」
俺ってすぐ顔に出やすいタイプなのか、それとも普段からクラスメイトとよく話す雄介だからこそ、見抜いたのか。確かに俺は、先ほどの一件…彼女からの誘いに未だ困惑していた。
「ほら、滝って浮かない顔する日あるけど、今日みたいに考え事?なんかな、そんな顔せーへんやん」
(……よく観てるな…)
彼に話すと厄介事が増えてしまうと案じた俺は、なにもない素振りをした。
「いや、別にいつも通りだよ」
「ほんまかぁ?気になるやん」
「なんでそこまで?」
「いや、友達が悩んでたら気になるやん」
「雄介……」
「へへ、なんかあったら相談乗るで!」
「……俺達って友達なの?」
「えっ?」
「…え?」
◇
午前の授業が終わり、昼休みになった。
廊下に出て、階段をひたすら登り始める。 毎日のことなのに、今日に限っては足取りが重く感じた。屋上に続く開閉扉を開けると、なにわの高いビルが各所で立ち登り、夏の予兆を運ぶ温かい風が吹きながら、美しい青空が広がっていた。
「あ!おーい!こっちこっちー!」
そしていつも座るベンチには、黒い髪の少女が腰を下ろしていた。俺を見つけた彼女は「ここ、ここ」と誘導するように隣の空いてるスペースを手で軽く叩いた。
「…。」
俺は息を呑み、彼女に従った。近づく度に早くなる鼓動を気遣う間も無く、俺は彼女の隣に座った。
「今日は来てくれてありがとうね!」
腰を下ろすと彼女は身を寄せ、上目遣いをしながら笑顔で喋り始めた。近い…揺れる黒髪が甘い香りを運んでくる。
「いえ、別に…これくらいは大丈夫です」
徐々に話せるようになっていたが、緊張は絶えない。普段ふゆかさんと話しているから、女子と話すことは慣れていると思い込んでいたのだが、考えが浅はかだった。
「じゃあ、まずは自己紹介からだね」
俺の返事を聞いた彼女は、安心したかのような笑みを見せ、自己紹介を始めた。
「私、二年の
見た目が小柄だったので同級生かと思っていたら、まさかの二年生…歳上だった。俺は俯きながら、勝手に決めつけていたことへの詫びを含めつつ自己紹介をした。
「…お、俺は一年の星野って言います…すいません…」
「え?なんで謝ってるの?
まぁいいや、それでぇ?
下の名前はなんていうのー?」
彼女…いや、黒上先輩はそんな俺の言動に対しクスッと笑い、俯く顔を覗くように聞いてきた。
「…あ、滝って言います…」
覗いてくる視線を反射的に逸らす俺。 詫びる気持ちが先行したせいで中途半端な自己紹介になっていたようだ。
「……。」
「…?…ん?」
途端に黒上先輩が静かになったので、逸らしてた視線を先輩に向けると、先輩はなぜか目を見開き、口をぽかんと開け、静止していた。
「…黒上先輩?」
「…は! ごめんごめん!ちょっと考え事しちゃって…!」
名前を呼ぶと、先輩は笑顔を作り、挨拶を交わした。
「一年の星野君ね!うん!よろしくっ!」
「あ、はい、こちらこそ……」
黒上先輩はニコッと笑った後、お弁当のふろしきを広げ始めた。俺もそれに釣られて弁当箱を開け始める。それにしても、先ほどの間は何だったのか。気になるが、先輩とはほぼ初対面。故に聞く勇気は無かった。
だけど、それとは別でどうしても聞きたいことがあったので、代わりにそれを伺った。
「あの、黒上先輩――」
「わぁ!!星野君のお弁当美味しそぉお!
…は!ごめん、今なにか言おうとしてなかった?」
「あ、はい…」
俺は弁当の中身を見た黒上先輩の勢いに、つい萎縮してしまっていた。
「…その、今日はなんで俺と、その、一緒にお昼を?」
黒上先輩はきょとん顔で、目をぱちくりさせた。
黒上先輩とは昨日、屋上で会ったのが初めてのはず。それなのに、次の日にお昼に誘うのは何かがおかしいと俺は思い至った。そう考えることは相手に対して失礼極まりないことだが、どうしても気になる。
(それだけじゃない…クロエ先生についても気になる…)
「んーーーー!!!…なんとなく、かなっ?」
「…え?」
「ん?」
黒上先輩は腕を組み、しばらく考えた後、予想外の返答をした。
「あ、いや、なんでも……なんとなく…ですか…」
「うん!」
元気いっぱいの相槌だった。どうやらお昼に誘ってくれた理由は『なんとなく』だったらしい。女子はそんな理由で男子をお昼に誘うものなのだろうか。頭の中が余計に混乱してしまいそうになったので、俺は意識を青空に向けた。
「うわぁ…星野君のお弁当美味しそう…(じゅるり)」
そんなとき、視界の端から黒い髪がじわじわと近づくのを捉えた。視線を向けると、黒上先輩は目を輝かせていた。俺の弁当の中身をじっと見つめ、よだれを垂らしている様子は、まさに何かをねだる子どものようだった。
「…何かいります?」
「へ!?いいの!?」
「え、あ、はい、どうぞ…」
「ありがとう!!じゃあ遠慮なく!いただきまーす!」
すると黒上先輩は大きく喜び、俺の弁当箱からちくわの磯辺揚げを箸でつまみ、口に運んだ。
「ん〜…なにこれめっちゃ美味いや〜ん…♡」
先輩は目を閉じ、頬がとろけ、周りに花が咲いたかのような幸せな表情で食べていた。
――それ、クロエ先生のイラストだよね
昨日の先輩の言葉を思い出す。俺のスマホに写るイラストを先輩は理解していた。幸せの時間を邪魔するようで申し訳ないが、忘れないうちに確認しておきたかった。
「あの、黒上先輩、ちょっと良いですか。」
「ん〜ん?」
先輩は磯辺揚げの味を噛み締めながらも、耳を傾けてくれていた。
「クロエ先生のこと、好きなんですか?」
俺がそう尋ねると、先輩は口の中のものを飲み込んだ。そして優しい笑みを浮かべ、ゆっくり目を開けたあと、こちらに振り向いて答えてくれた。
「うん、好きだよ。毎日見てる。」
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