目つきの悪い彼女のタスクは、俺だけのアプリが知っている

浮猫旅

第1話

朝の教室はそうあるべし、と決められたかのようにカオスだ。

来て早々に机に突っ伏して寝ているやつの隣で、別の誰かが昨日のドラマの話をしている。何一つ連続性がないのに、どこかで繋がっている感じが教室を満たしている。


そんな一種の共同体にまぎれて、俺はなんとなくスマホの画面をスクロールしていた。昨夜のWeb小説の続きを流し読みしている。読んでいるというより、文字を目に流し込んでいるだけだ。


「おはよー。……って、また小説?」


前の席にカバンをドサッと置く音がした。石田だ。

二年に上がってから初めて話した相手だが、話というかノリがそこそこ合うので、自然と一緒にいる時間が増えた。


「そんだけ文字読めるのすげぇよな」

「すげぇだろ」

「もしさ、小説書いたら読ませてくれよ! なんならサインもくれ!」

「……嫌だよ。黒歴史確定じゃないか」


あくまで読む専だ。書ける気がしないし、万が一書いたとしても、まともなものになる気がしない。億が一、サインまで用意しようものなら、後の死因になりかねない。

そんな冒険心は持ち合わせていない。

それに創作、というより「作ること」は別の趣味でやっている。口外はしていないが。


「お! 今日も来たぞ〜」


なんとなく区切りが良かったのでスマホをポケットにしまうと、ちょうどそのタイミングで、教室の空気がすっと変わった気がした。


ドアが静かに開く。


黒いパーカーのフードを片手で直しながら、東雲理央が教室に入ってくる。

短めのスカートから伸びた脚がまっすぐで、黒髪のショートボブは今日もきれいに外ハネが揃っている。耳元で小さなチェーンのイヤーカフが揺れた。


別に誰かが声を上げるわけじゃないのに、周りの視線が一瞬だけそっちに向かうのがわかる。


「……おはよ」

「おっはー! 理央!」


やたらと元気なギャルっぽい女子が挨拶を返す。御影ミサキだ。

この二人はよく一緒にいるのを見かける。そしてそれが何より目立つ。二人とも、その容姿が良すぎるためだ。


御影ミサキは、とにかく明るい雰囲気をまとっている。

ゆるく巻いた明るめのブラウンの髪が肩あたりで跳ねて、動くたびに光を散らす。

メイクもはっきりしていて、笑うと目元のラメが派手めにきらっとする。

制服の着崩し方も絶妙で、スカートは短め、シャツの袖は少しだけまくっている。

それでいて清潔感があるのがすごい。

本人に言えば「ギャル舐めんな!」と笑って返してきそうだ。


一方で、東雲理央は、ミサキの隣に立つとさらに雰囲気が際立つ。

派手ではないのに目を引く、静かな存在感。

ショートボブの黒髪は艶が強く、外ハネが一直線に整っている。肌は白く、輪郭がすっと細い。

特に目が特徴的だ。

切れ長の目は、近寄りがたいほどにまっすぐで、視界の端に入るだけで存在感を主張する。

ただ冷たいわけじゃなく、見つめられたら動きを止めてしまいそうな、妙な吸引力がある。


二人で並んでいると、コントラストが強すぎて、教室自体の彩度が上がったように見える。

だからこの時間帯、彼女たちが入ってくると、教室の空気が一瞬だけ整うのだ。


「いやぁ今日も眼福眼福。あのゾクゾクとする目つきで罵られたい!」

「……眠いだけだと思うが」

「なおさら良い!」

「……そうか。良かったな」


実際、東雲理央は低血圧なのか朝は眠そうだ。その特徴的な目つきが一段と、迫力というか眼力というか凄い。睨んでいるわけではないと思うが、朝の授業では先生すら指名を避けている節がある。

石田には以前そう話したら、「そうか? 変わらないと思うが?」と返された。あくまで主観なのでなんとも言えないが。ちなみに、「仮にそうなら朝一番に罵られたいな!」と付け加えてきた。それ以降、彼女が登校してきた時が一番キモチワ……世間様にお見せできないようになった。反省はしている。


そんな石田を、いつものように適当にいなしつつ、先ほどしまったばかりのスマホを再度取り出す。ポケットの中で通知を知らせる振動を感じたからだ。

なんとなくそんな予感がしていたのだが、画面ロックを解除する前にチラッと見えた新着通知のトップには、やはり最近気になっているアプリのアイコンがあった。


並んだアプリの最後部にあるそのアイコンをタップする。

なんてことのないTODOアプリ。その日やることを書き溜めて、チェックするためだけのアプリ。

他と違うのが、世界中で俺のスマホにしか入っていない、「自作」のTODOアプリだ。


落書きのような、それこそ文字通り十秒で自分が書いた黒猫が「TODO」という文字を持っているだけのアイコンと、その下に「ToDoMe」というアプリ名。

練習がてら作りかけの部分を多分に残し、「最強のUI」とかいう自分でもちょっと恥ずかしくなるコンセプトで、見た目に少し凝っただけのTODOアプリだ。

一般的なTODOアプリと機能的な差異はまったく無かった……はずのアプリ。


それが立ち上がると、一番上にあるのが「hoge」というタスク。テスト的に入力してそのままのタスクだけ。だけだったのだ。つい先ほどまでは。


俺も知らないうちに追加されていた二つ目のタスク。

「弟のお迎えどうしよう? ミサキに頼むのは難しそう……」というタスク。


これ、絶対東雲さんのタスクだよね。

しかも期限が今日で、重要度が「高」に設定されている。

ご丁寧に文字色も赤になっている。


ToDoMeは、ストアに公開なんてしていない。

インストールしているのは、この世界中で俺のスマホだけのはずだ。

テストユーザーもいないし、友達に配ったこともない。

せいぜい、コードをSNSにチラッと載せて「練習で作ってみました」と自己満足しただけだ。


バグ?

いや、バグで女子高生のリアルなタスクが湧いて出るなら、世界中のエンジニアが泣いて喜ぶ。

じゃあ、誰かの悪質ないたずら?

でも俺の交友関係に、ここまで精度の高い「東雲理央っぽい悩み」をでっち上げる暇人はいない。……と信じたい。


「どうした? 顔が“見てはイケないもの”を見てしまったけど、それはそれで気になる表情をしているぞ?」

「……どうもありがとう。今の自分の表情を認識できたよ」


石田の茶化しを、いつものように軽く受け流す。

けれど、さっきから視線が画面と教室の前方を何度も行ったり来たりしてしまう。


東雲理央。

黒いパーカーのフードを指でつまみながら、眠そうに目をこすっている、教室の「遠い人」。

その彼女の生活の一部みたいなタスクが、なぜか俺のスマホで、赤文字で点滅している。


ここでタスクを消してしまえば、ただの「変なバグだった」で終わる。

見なかったことにするのが、一番無難だ。たぶん正解だ。


──でも。


「弟のお迎えどうしよう? ミサキに頼むのは難しそう……」


この一文を読んだ瞬間から、俺はもう完全な第三者じゃいられなくなっていた。

知らなければよかったはずの悩みを、知ってしまった以上。


吐き出したいため息を飲み込んで、俺はこのタスクをどうしたらいいのかと頭を悩ませていた。

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