第3話

呑気に火事よ〜の朝


 その日、僕は布団でゴロゴロしながらスマホを見ていた。

 朝の8時。まだ家の中は静かで、ばあちゃんは台所でガサガサ音を立てていた。


 しばらくすると、ばあちゃんが妙に落ち着いた声で僕の部屋をノックした。


「ミクト〜。火事よ〜」


 まるで“朝ごはんできたよ”くらいのテンションだった。


「え? 朝の8時だよ? 何言ってんのばあちゃん」


「だから〜、火事よ〜」


 完全に“天気予報の続き”くらい呑気な口調。

 僕は「あーまた天然のやつね」と半分流しながら布団から顔だけ出した。


「もう、ばあちゃん。火事なわけ—」


 そこで鼻にツンとくる焦げ臭い匂い。

 台所のほうから、薄い煙。


「…………え、え、マジ火事!?」


 僕が跳ね起きた瞬間、ばあちゃんはニコッと笑って言った。


「そうよ〜。さっきから言ってるじゃない。火事よ〜」


 火事の発生をこんな平和に報告する人、他にいるだろうか?

 いや、いない。



■ 事態の確認


 急いで台所へ行くと、鍋の底が真っ黒。

 コンロの火が弱火でつきっぱなし。


「ばあちゃん!! なんでこんな…!」


「いや〜、お湯沸かしてたの忘れちゃってねぇ。

 でも煙が出てきたから、ミクト呼んだのよ。偉いでしょ?」


 確かに偉いけど、偉いけども。


「もっと慌ててよ! “火事よ〜”じゃなくて!“ミクト! 火事!!”とかあるじゃん!」


「そんな大きい声出したら、ミクトがびっくりしちゃうと思って」


 優しさの方向が完全に違う。



■ 危なかった理由


 しかも僕は「朝の8時よ〜」と言われたような気がしていた。

 実際は「火事よ〜」だったのに、ばあちゃんのゆる〜い言い方で、脳が勝手に置き換えてしまっていた。


 つまり、僕の勘違い+ばあちゃんの呑気さ。

 この二段構えで、家はわりと本気でやばかった。



■ 終わったあと


 鍋を水につけて後片付けを済ませると、ばあちゃんがぽつり。


「ミクト、私ね……ちょっと怖かったのよ。

 でもミクトを驚かせたくなかったの」


 その言い方がまた、妙に天然で、でもちょっと胸に刺さる。


「次は遠慮なく驚かせて。命に関わるから」


「わかったわ〜。じゃあ次からは“ミクト!! 火事!!”って言う!」


「いや、次いらない!」


 そうツッコミながら笑ってしまう僕。

 怖かったけど、どこか温かい。

 そんな“認知症初期+天然”の、ヒヤッとするのにちょっと笑える朝だった。

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