第8話 祝祷の余韻

礼拝の終わり、夕香さんと喋っている間に礼拝に出席していた人たちはあらかた帰っていっていた。


一部では話し込んだりしている人たちもいたけど、わりとみんなあっさり帰っていくんだなと思った。


私もそろそろ帰ろうと思いその事を夕香さんに伝えると、夕香さんは入口のところまで送ってくれた。


でもその時に夕香さんが「あ」と何かを思い出したように私に声をかけてきた。


「高辻さん、ごめんなさい。忘れてました」


と言い、ある紙を見せてくる。


「もし良かったらでいいんですけど、こちらの紙を記入していただけません?」


見るとその紙は受付表と書いてあり、名前や生年月日、電話番号や住所など、個人情報を書くものだった。


少しためらっていると夕香さんは察したようで、


「やっぱり抵抗ありますよね。ごめんなさい」


と言って引っ込めた。


私も考えたけど「書けるところだけでよければ」と言い、名前とフリーのメールアドレス、住所は町名まで書いた。


これくらいなら個人情報として知られても問題ないと判断した。


仕事柄こういうことは神経質になるけど、教会としてもどんな人が礼拝に来たのか把握したい事情も想像できた。


私が書き込むのを見て、夕香さんはほっとしたようだった。


「ありがとうございます。特に女性だと気になりますよね。情報管理は徹底してますので」


「はい、大丈夫です」


夕香さんがすごく気を遣ってくれてるのが伝わる。


そのやり取りを見ていた榊原牧師も話しかけてきた。


「高辻さん、ご協力ありがとうございます。またいらしてくださいね」


「はい、今日はありがとうございました」


そう言って、私は行友教会を後にした。




─────────────────────



教会からの帰り、ちょうどお昼の時間だったので適当なカフェでランチをしたり買い物をしたりして夕方ごろ家に帰り着いた。


いつも日曜の夜は、一週間分の作り置きのおかずを作ったりお弁当の準備をしていた。


いつも通りの日曜の終わりのルーティン。


でも今日は、自分の中で何かが少し変わった気がした。


迷い羊の赦しの話もそうだけど、私の中で印象に残ったのは礼拝の最後の牧師の宣言だ。


「いつも神さまはあなたと共にありますように」と言うあの言葉は、AIに聞くと祝祷しゅくとうというらしい。


神社だと神様のもとにお参りに行くと言う考えだけど、キリスト教の神さまは常に私たちと共にいてくれると言う考えのようだ。


教会での礼拝も神様に会いに行くと言うより、神様の言葉を聞き、祈りを深め、自分の信仰に向き合う場と言う認識のようだった。


そう考えるといつも通りの一人の夜だけど、少し孤独感が和らいだ気がした。




─────────────────────



そして翌日からまた月曜日が始まる。


パソコンの電源を入れて始業チャイムが鳴ると、昨日の礼拝は嘘だったのか?と思いそうになるくらい現実は容赦なくて、相変わらずのメール、チャット、電話の嵐。


今やどの企業でもシステムは動いて当たり前のライフラインなので、不具合が起これば即対応が基本だ。


もちろん私が技術的な対応ができるわけではないのでSシステムEエンジニアに頼むんだけど、SEも癖のある人が多いのですんなり動いてくれないときもある。


正直時々いらっとすることもあるけど、さすがに5年も営業をやってるとグッと飲み込むスキルは身に付いた。


それでも腹は立つわけだけど。



でも──────、


神さまが、そしてイエス様が今も傍にいてくれているのかもしれない。


だから何、と言われれば困るけど、それを頭の隅におくことで、感情に飲み込まれそうになることは少なくなっていった。




「最近、落ち着いてるね」


言いながら机にチョコレートを置いてくるのは江間さんだ。


私も甘いものが好きなのでチョコレートは嬉しいんだけど……



「……江間さん、前から言ってますけど、喫煙所の帰りにこっちに寄るの止めてくださいよ。私、タバコの臭い苦手なんで」


「そっかー、やっぱり電子タバコにするかな」


「電子でも紙タバコでも関係ありません。喫煙後は30分は近寄らないでください」


江間さんは聞く気がないようで「ハイハイ」と言葉だけ返してきた。


「さっきも言ったけどさ」


江間さんは私の顔を見て続ける。


「顔つきが落ち着いてきたよ。この間までいつも眉間にシワが寄ってたのに今日はないし」


「いつもは寄ってません」


「俺が見るときはいつも寄ってた」


「たまたまですよ、江間さんの顔を見ると寄るのかも。めんどくさい案件持ち込んできたのかもって思うから」


「何だそれ」


江間さんは軽く苦笑する。



「今日の本来の用事はこっち」


言って江間さんは数枚の紙の束を渡してきた。


年末に対応した行友テック案件の報告書だ。


あのあとも度々不具合が重なり江間さんが都度対応していたけど、ようやく根本原因が分かり対策が完了したのだ。


そう考えると江間さんはSEのなかではフットワークが軽く、仕事に対して信頼できるタイプなのかもしれない。



「わざわざ持ってこなくても。いつもはメール添付じゃないですか」


「うん、たまに高辻さんの眉間のシワを見るのが俺の趣味だから。だからなくなっててつまんない」


「……悪趣味すぎです」


「じゃあその報告書、後処理よろしく」


そう言って江間さんは、システム部に戻っていった。

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