第3話 灯の余熱と涙の夜
「あら先生」
話を続けようとしていた塩見さんが、近づいてくる男性に気づいて声をかけた。
スーツの上に黒いガウンのようなものを羽織ったその男性は、背が高く全体的にひょろっとしていたけど、顔は穏やかそうに微笑み丸いメガネが人の良さそうな印象をさらに強めていた。
年齢は30代半ば、といったところだろうか。
「初めまして。ようこそいらっしゃいました。私はこちらの教会で牧師をしております、
丁寧に頭を下げられたので、私も慌てて立ち上がり自己紹介をした。
「初めまして。高辻茉那です。本日は突然お邪魔してすみません……」
すると榊原牧師は「いえいえ」と答えた。
「教会はいつでも来ていただける方を歓迎いたしますので。茉那さんですか。素敵なお名前ですね」
「ありがとうございます」
ここまで続けざまに名前を褒められたことってないかもしれない。
榊原牧師は続ける。
「もしかしてご両親のどちらかがクリスチャンですか?」
「いえ、違うと思います。名前も一番画数が良かったのをつけたって母が言ってたので」
そういうと榊原牧師はクスッと笑った。
「そうでしたか。それは失礼いたしました」
私は疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「あの、……榊原先生は牧師さんなんですか?神父さんではなく?」
すると榊原牧師は穏やかに答えた。
「ここはプロテスタント教会なので私は牧師です。神父はカトリックの方ですね」
プロテスタント、カトリック……
何となく世界史で学んだ気がする。
カトリックは古くからあって、宗教改革があってプロテスタントが生まれたんだっけ……?
なんだかその辺があやふやだけど。
「あの、こんなこと聞いていいのか分からないんですけど、教会の作りが思ったより落ち着いてるなと思って。マリア像とかステンドグラスとかあるイメージだったので」
「それはカトリック教会の特徴ですね。カトリックは格式と伝統を重んじ、マリアを聖母マリアとして崇拝しています。プロテスタントはもっと生活に根差している感じで、偶像崇拝もしないのでマリア像もないんです」
「はあ……」
呆気に取られている私を見て、榊原牧師は口調を変えた。
「でも同じキリスト教であることは変わらないので。それより、今日は何をきっかけに来られましたか?」
「私がお声がけしたのよ」
会話に加わってきたのは、入り口で案内してくれた女性だった。
その女性は改めて微笑む。
「改めて初めまして。榊原の妻の
榊原牧師の奥さん?
「あ、ご夫婦だったんですね?」
「はい、去年結婚したばかりですけど」
「去年結婚したばかり」と聞いた瞬間、胸のどこかがきゅっと縮んだ。
仲良く並ぶ二人が、今の私には眩しく見える。
「牧師さんは結婚ができるんですね……」
思ったことをつい口にすると、榊原牧師は軽く笑った。
「はい。牧師は結婚が許されています。神父は生涯独身ですけど」
「へえ……」
同じキリスト教だとは言ってたけど、ここまで違いがあるとは思わなかった。
なんだか知らない世界の扉が一気に開いた気がする。
「高辻さん、この後お時間あります? ささやかですけど茶話会を予定してるんです。よろしければそちらも参加されません?」
夕香さんがにこにこと声をかけてきてくれる。
でも……。
「ありがとうございます。でも、今日はこれでお暇しようかなと思います」
ここに来て私は一気に疲れを感じていた。
客先からの緊急呼び出しで急遽対応を余儀なくされたし、直人にも別れを告げられ、そして初めて教会の礼拝にも参加した。
ちょっと中身が濃すぎる1日だ。
そう伝えると榊原牧師は穏やかに微笑んだ。
「もしよければ、またいらして下さい。毎週日曜日の朝10時半から礼拝を行っています。いつでもお待ちしておりますので」
そう言って教会の案内のパンフレットを数枚渡され、榊原牧師夫妻に見送られて私は教会を後にした。
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家に帰りついたとき、一気に足から力が抜けた。
途中で応急処置をしたとはいえ靴擦れは痛いし、何より今日は色々ありすぎた。
結局夕飯は食べ損ねたけどお腹は空かないので、なんとか体を奮い立たせてシャワーだけは浴び、ワンルームの真ん中に置いたローテーブルの前に座る。
帰り道の途中にある100円ショップで買った小さなキャンドルを取りだし、それに火をつけた。
部屋を暗くし、その火をボーッと見つめる。
今頃になって直人に別れを告げられたことを思いだし、涙が止まらなくなった。
直人は本当に優しい彼氏だった。
自分の仕事もあるのに私の都合を優先して、いつも私に合わせてくれていた。
私もいつの間にか、それが当たり前になっていたのかもしれない。
仕事を言い訳にすれば直人はいつでも許してくれると思い上がっていたのかもしれない。
そう考えると、とても申し訳ない気持ちになった。
スマホはあれから全く通知はない。
こちらから連絡をできるはずもなかった。
「直人……、ごめん」
キャンドルの火を見つめながら、私は泣き続けた。
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