第5話【悪女へ贈る、敬意ある愛の象徴】

昼下がりの帝都。

石畳が陽光を反射し、街路樹が風に揺れながら影を落とす。

高級ブティックが立ち並ぶこの一帯は、いつも香水の甘い香りと、優雅に歩く令嬢たちの衣擦れの音で満ちていた。


そんなきらびやかな通りに、ひときわ美しい飾りの馬車が静かに停車する。

車体にはヴェルティナージュ家の紋章が輝いていた。


自然と周囲がざわめく。


「誰かしら……貴族の馬車ね。」

「装飾が格別よ……まさか公爵家?」


令嬢たちの視線が集まる中――

馬車から先に降り立ったのは、金髪の青年だった。


聖騎士 アルト・ビクトアル。


洗い立てのブロンドが陽光を受けて柔らかく光り、

澄んだ青い瞳は帝都の空よりも清らかだ。

白銀の騎士服に身を包み、背筋はまっすぐ。


それだけで、通りの空気が変わった。


「……え、アルト様じゃない!?」

「今日もお綺麗で……」

「こんな至近距離で見るなんて……!」


魔道具を握る記者までもが、我先にと前へにじり寄る。


そして――

アルトは馬車の扉の前で動きを止め、柔らかな微笑みを浮かべた。


「フィアリーナ様。……お手を。」


静かに差し出される手。


ためらいがちに、その手に触れるフィアリーナ。


息を呑む音が、周囲のあちこちから重なった。


「おい……相手、誰……?」

「まさか……あの“悪女”!? フィアリーナ様!?」

「嘘でしょう……聖騎士様と……」

「金で雇ったのよね!? そうよね!? そうじゃないと困る!!」


焦りと嫉妬と好奇心が入り混じり、街角の空気がざらりと揺れる。


記者の魔術光が一斉に炸裂した。


パシャッ! パシャパシャパシャッ!!


(ひぃぃぃぃぃ!!

なにこれ……なにこの注目!!

どうして帝都全域に私をさらす流れになってるのよぉぉ!!)


フィアリーナは心の中で地面へ崩れ落ちていた。


一方のアルトは、まるで周囲を気にした様子もなく――

むしろ、誇らしげにフィアリーナをエスコートしてくる。


「フィアリーナ様、足元にお気をつけて。」


(やめてぇぇ!!その爽やか王子ムーブ!!)


彼の真っ直ぐさと、群衆の刺すような視線。

両方の挟み撃ちで、フィアリーナのメンタルは既に瀕死である。


二人はそんな状況のまま、

帝都最高級ドレスショップ《ローザリン》へと足を踏み入れた。



店内は濃いピンクの壁紙と優雅なシャンデリア。

なめらかな絨毯にはバラの刺繍が施され、いかにも「高級」「品格」「華美」を凝縮した空間だった。


「まぁぁぁぁぁぁ!!!!?????」


華やかな悲鳴が響く。


出迎えたのは、きっちりまとめたブロンド、

大きな帽子にマーメイドラインのスーツドレスという、

独自の美学を貫く服飾マダム――ローザリン。


そのローザリンが、フィアリーナとアルトを見た瞬間、

壁に手をつき、今にも崩れ落ちそうになって叫んだ。


「フィアリーナ様が……聖騎士アルト様と……!?

こっ、これはどういうことでございますのぉぉ!!?」


「マ、マダム……実は……」


フィアリーナが必死に説明しようとするが――


「婚約式のお揃いの衣装を注文したいのですが。」


アルトはすべてを持っていった。


「アルト様ぁぁぁぁ!!!!???」


雷撃のような悲鳴。

ローザリンは胸元を押さえ、目を見開く。


「ここここここ……婚約ッ……?」


「はい。婚約です。」


自信満々に言うアルト。

その落ち着きが逆に強烈すぎて、ローザリンは完全に卒倒寸前。


すっと、その身体を支えるアルト。


「大丈夫ですか、マダム。」


「~~~~っ♡♡♡」


マダムの目に、ハートが浮かんだ。


(おかしい……

なにこれ……

老若男女問わずアルト様は魅了魔法でも使ってるの……!?

こういうつもりじゃないのよ私は!!!)


フィアリーナは耐えきれず声を張った。


「マダム……!

あ、あくまでワンポイントだけ色を合わせて……

控えめで、目立たないデザインに……!」


しかしアルトは優雅に一歩前へ進む。


「いえ、マダム。」


青い瞳がまっすぐに光る。

誠実さと情熱が混ざるその声音は、否応なく人の心をさらう。


「誰が見ても“夫婦”だと分かるように。

……情熱的な衣装にしてください。」


「ちょ、ちょっと!?!?」


ローザリンの目が、完全に♡♡になった。


「もちろんですわぁぁぁ♡♡♡

さぁ、フィアリーナ様!!

世界で一番素敵な花嫁にして差し上げますわ~~!!」


腕を掴まれ、フィアリーナは引きずられていく。


(ちょ……待って待って待って……!!

これ……完全に流されてるじゃないの……!!)


採寸が終わり、フィアリーナはドレスルームから歩み戻った。

大きな鏡に映ったのは、黒を基調とする生地見本を手にしたマダムの姿。


フィアリーナは――

勝ち誇ったように、ほんの少しだけ唇を上げた。


「マダム、黒を基調としてちょうだい。」


黒。

高貴で妖艶で……そして、聖騎士がもっとも“避ける”色。


(ふふ……どうかしら。

清廉と白の象徴である聖騎士が、黒なんて――絶対に嫌がるはず……!

これでさすがに“無理”って思うでしょう?)


ローザリンはゆったりとアルトへ視線を向けた。


「アルト様も、それでよろしいのですか?」


フィアリーナは胸の内でこっそりと親指を立てる。


(さあ……来るわよ……嫌がるはず……!)


しかしアルトは――

静かに、そして柔らかく微笑んだ。


「はい。構いません。生地を揃えていただければ。」


「………………えぇ!?!?」


最も驚いたのは、注文した本人だった。


「く、くっ……黒よ!?

聖騎士らしくない……重たい色なのよ!?」


アルトは変わらない落ち着きで頷く。


「ええ。構いません。」


そして、その青い瞳に微かな熱を灯して言った。


「それに――

フィアリーナ様が“僕を染めてくださる”なんて……光栄です。」


(どぉぉぉぉぉしてこうなるのよおおおお!!!!!)


心の中でひっくり返るフィアリーナ。

ローザリンは逆に感激で震えていた。


「まぁ……なんて甘いお言葉……♡」



店を出る。


フィアリーナは魂の半分を置き忘れたようにぐったりし、

美しい街並みの中をふらふらと歩いていた。


その隣で、アルトは何もかも順調だと言わんばかりの穏やかな微笑み。


「楽しみですね……。

僕の全部が、フィアリーナ様に染まっていくみたいで。」


(なにそのポジティブさ……!!

悪女作戦が……微塵も効いてないんだけど!?)


フィアリーナは頭の中で髪をぐしゃぐしゃにかきむしる。


(もう頭きた……!!

そこまで“染まりたい”って言うなら……!)


くるり、と振り向き、

妖艶な笑みを浮かべる。


悪女の仮面を、強制装備。


「そんなに染まりたいのでしたら……

今ここで、わたくしの足にキスでもしたらどうかしら?」


高級ブティック街のど真ん中で、

ドレスの裾をそっとつまみ、足を一歩差し出す。


ヒールが石畳にコツンと軽く当たった。


ざわっ――。


まわりの令嬢たち、通行人、記者までもが息を呑む。


「え?」「フィアリーナ様!?」

「聖騎士様と……何が始まるの……?」

「足……? 足を出したわよ……!」


フィアリーナは内心で完全勝利を宣言した。


(さすがにこれは無理でしょう!?

聖騎士が、公衆の面前で女性の足にキスよ!?

拒否するに決まってるわ……!!)


――だが。


「はい。……それでは失礼します。」


「…………は?」


アルトは、ためらいの欠片すら見せなかった。


ゆっくりと膝を折り、

彼女の前で跪く。


空気が止まる。


フィアリーナは動けない。


アルトは指先でフィアリーナのヒールをそっと外し、

露わになった白い足へ――


丁寧に、敬虔に、

ひとつ、口づけを落とした。


「――――――ッッ!?!?!?!?」


世界が反転する。


フィアリーナの思考も反転する。


そもそも理性が消えた。


(ちょっ……えっ……ちょっと……ちょっと待って??

本気なの!? 本気でやったの!?!?)


周囲の令嬢たちが一斉に悲鳴を上げる。


「キャアアアアアア!!」

「アルト様が……女性の足に……!!」

「うそでしょ、あの“聖騎士”よ!?」

「……(気絶)」


女性陣がバタバタと倒れていく。


フィアリーナは完全に魂を離脱した。


アルトは気づいていない。

ただ優しく見上げて言う。


「フィアリーナ様?」


その瞬間、フィアリーナの膝がかくりと崩れかけ――


すっとアルトが受け止めた。


強くはなく、ただ優しく。

軽々と抱き上げ、またお姫様抱っこ。


「……お疲れなようですね。」


静かな声が落ちた。


その一言だけで、

フィアリーナのHPは限界値を突破していく。


(……むり……

完全敗北よ……

もう……何も……考えられないわ……)

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