第4話【悪女は婚約破棄を計画する】
朝の陽射しがカーテン越しに差し込み、
フィアリーナは鏡の前でゆっくりと化粧筆を動かしていた。
黒と赤を基調とした大胆なドレス。
漆黒の髪は丁寧に巻かれ、金色の瞳を際立たせる濃いアイライン。
深い紅を引いた唇は、妖艶そのもの。
完璧な“悪女”の仮面が仕上がる。
「……よし! 今日もバッチリ!」
自分に言い聞かせるように頷き、食堂へ向かう。
長い廊下の光が、赤と黒のドレスを艶やかに照らしている。
そして扉を開けた瞬間――
「おはようございます! フィアリーナ様!」
「…………っ。」
(ズコーーーーーッ!!!)
そこには当然のように座っているアルト・ビクトアル。
爽やか笑顔の破壊力が、朝から全力でこちらに刺さってくる。
(……そ、そうだった……
この子、今日から住むんだった……ッ!!)
なんとか平然を装って席へ向かう。
「早く座りなさい、フィア。」
「は、はい……お父様。」
昨夜とまったく変わらぬテンションで微笑む父。
なぜこうも頑丈なのか謎である。
三人が揃ったところで、家の祈りの作法を行い、朝食が始まった。
……だが、フィアリーナは味が全く入ってこない。
(どうしよう……この空気……)
フォークを握りなおした瞬間――
父がワインを持ち上げ、まるで“本題はこれだ”と言わんばかりに声を張り上げた。
「フィア、近々うちでパーティを開く。」
「パーティですか? どうしてまた急に……?」
フィアンゼルは当然とばかりに胸を張る。
「お前と婿殿の婚約披露に決まっているだろう。」
――ブフッ!!!!
フィアリーナは盛大にむせ、胸を押さえながら咳き込む。
横からアルトがそっと背をさすった。
「大丈夫ですか、フィアリーナ様……?」
優しい声が追撃のように刺さる。
「な、な、な……ほ、本当に……??」
フィアンゼルは満面の笑みで頷いた。
「もちろんだ。母さんにも連絡を入れておいたぞ!」
その瞬間――
アルトの肩がびくりと跳ねた。
フィアリーナはすぐ気づいた。
「どうしたの? アルト様。」
アルトは少し照れたように視線を落とした。
「いえ……その……」
フィアンゼルが代わりに豪快に説明する。
「婿殿は顔見知りでな!
妻リアーナはアトランテ帝国の騎士だからな!」
アルトは少し頬を赤らめて言った。
「……はい。まさか……
あのような素敵な方が僕のお義母様になるなんて……」
フィアリーナはガクリと肩を落とす。
(そっち!?
そっちのリアクションなの!?)
リアーナ・ヴェルティナージュ。
現役の王室近衛騎士で、鍛え抜かれた身体と剣筋、
そして夫以上に真っ直ぐな性格で知られる帝国最強の女性騎士。
(……どう考えても……このお母様、絶対結婚大賛成じゃないの……?)
しかも――
(どうして婚約の流れに……
どうにかして断ち切らないと!!)
フィアリーナは深く息を吸い込み、拳をぎゅっと握った。
(……よし。
もっと悪女っぽいところを見せつけて、アルト様に
“やっぱり無理だ”って諦めてもらいましょう……!!)
しかし、その決意とは裏腹に――
目の前の父とアルトは、まるで昔から家族だったかのように楽しく談笑している。
(負けてられない……これは戦いよ……!!)
しばらくして。
「――フィア、婿殿に屋敷の案内をして差し上げろ!」
そんな父フィアンゼルからの“絶対命令”が下り、
フィアリーナは逃げ場もなくアルトを連れて館内を歩くことになっていた。
(……はぁ……どうして私が……)
廊下の赤い絨毯には朝よりも柔らかな光が差し込み、
フィアリーナの漆黒のドレスに淡い金の縁取りを落としていく。
「こちらがサロンよ。社交の場で使うわ。
あちらが図書室。触っていい本とダメな本があるから、勝手に開けないでね。」
アルトは真面目な顔で深く頷いた。
「はい。フィアリーナ様のお言葉、胸に刻みます。」
(そんな真剣に受け止めないで……!
もっと軽く“へぇ”くらいでいいのよ……!)
案内は順調に進み、二人は庭園へ出た。
ヴェルティナージュ家自慢の庭園。
白い石畳が曲線を描き、花々の香りがゆるりと風にのる。
大きな噴水の水音が、二人の影を揺らした。
フィアリーナは、こっそり拳を握る。
(……よし。ここで“悪女らしいワガママ”を見せて幻滅させる……!
アルト様なら、きっと引くはず……!)
わざとらしい咳払いをひとつ。
「コホンッ……。
わたくし、足が痛いわ。……運んでちょうだい?」
礼儀ある令嬢ならまず言わない、わざとらしいほど横暴なひと言。
悪女ムーブ第一弾。
(これでさすがに幻滅よね……!)
だが――
「喜んで……フィアリーナ様。」
「…………っ!?」
アルトは、花が綻ぶように柔らかく微笑むと、
なんの迷いもなく彼女を――抱き上げた。
「きゃっ……!?」
ふわりと浮き上がる身体。
しっかりとした腕。
胸板の硬さ。
そして香草の香りがすぐそばで揺れた。
(あら……良い体ね。胸板も……って!!だめ!!
だめだめだめぇぇぇ!!
なんでそんな幸せそうな顔してるのよこの人ーー!!)
アルトは穏やかに微笑んだまま、
大切な宝物を抱くようにフィアリーナを抱き上げ続けている。
(心臓が……持たない……!!)
作戦は、秒で失敗した。
◆
昼食時。
父フィアンゼルは仕事に出ていて、
静かな食卓に残るのはフィアリーナとアルトの二人だけ。
(もう……こうなったら……)
フィアリーナは次の作戦へ移行する。
フォークで野菜をつつき、
ふいにアルトの皿へぽとり、と移した。
「ワタクシ……好き嫌いが激しいの。」
わがままアピール。
悪女ムーブ第二弾。
今度こそ――
「あっ……ありがとうございます。」
……え?
アルトは嬉しそうに頬を染め、
その野菜をぱくりと食べた。
そして――
「……間接キス、ですね。」
「――――ッッ!?!?」
フィアリーナの脳内で巨大な爆発が起きた。
(違うの!!!!
そうじゃないのよぉぉぉぉぉ!!
なんで全部……プラスに変換しちゃうのこの人ぉぉ!!?)
アルトは幸せそうに目を細める。
「……美味しいです。」
(計画が……秒で……崩壊していくんだけど!?)
頭を抱えたい気持ちをこらえていると、
アルトが少し頬を赤らめて口を開いた。
「フィアリーナ様……この後、お時間ありますか?」
「え、次は何……?」
「お義父様が……その……
“パーティーの衣装を発注してこい”と。
……婚約披露の、衣装です。」
フィアリーナは、心の中で深いため息をついた。
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