第八話 少女の過去

猛暑の中、家の庭で木刀を振るう少女がいた。

 ルナ・スカーレット。汗だくのまま、ひとり黙々と剣を振り続けている。


 彼女は騎士の家系に生まれ、さらにギフトマジックの適性を持っていた。

 この家では「強さがすべて」。弱い者は落ちこぼれとして扱われる。

 ルナは幼い頃から、その残酷な価値観を嫌というほど理解していた。


 理由は――兄、ハンシ・スカーレット。


 ルナの才能が分かったその日から、兄は家の中で腫れ物扱いになった。

 ギフトマジックもなく、剣技も魔法も妹に劣る。

 両親はルナばかりを甘やかし、兄には興味すら向けなかった。


 それでも兄は、一度たりともルナを恨まなかった。

 誰よりも彼女の才能を褒め、優しい笑顔を向けてくれた。


 ルナはそんな兄が大好きだった。


 ――だからこそ。


 兄が、自分の胸に剣を突き立てて命を絶ったとき。

 最初にその姿を見つけたのが、他ならぬルナだった。


 悪臭のこもる部屋。

 光を失った兄の目。

 血で染まった床。


 視界に映るすべてが、幼い心を切り裂いた。


「ダメだよ……お兄ちゃん、死なないで。私を一人にしないで……」

 ルナは兄に駆け寄った。兄の体に刺さった剣を抜き、何度も何度もヒールを使った。

 しかし意識は戻らない。傷は確かに治っていくのに、魂は戻らない。

 ヒールは傷を癒やすことはできても、失われた魂を呼び寄せることはできないのだ。


 ルナは思った。

 兄の死は、私のせいだ――。甘やかされていた私のせいで……!


 その後、母とは事故で死別し、家には父と二人だけが残った。


 父、ガイベル・スカーレット。

 かつては優秀な騎士だった男は、母の死をきっかけに酒に溺れ、見る影もない。

 妻は彼にとって心の支えであり、たった一人守りたかった存在。

 それを守れなかった自分を、彼は深く蔑んでいた。

 そんな状態になってなお、彼はルナに期待を押しつけ続けた。


 その期待は、ルナにとって呪い以外の何ものでもなかった。


 それでも――兄を思い出すたび、思う。

 ここで私が折れたら、兄が報われない。

 そう自分に言い聞かせ、ただひたすら剣と魔法の鍛錬を続けてきた。


 ルナは木陰に腰を下ろし、息を整える。

 汗に濡れた髪を指で梳き、額の汗をぬぐう。

 そして、濡れた上着を脱ぎながらふと思い出す。


 ルイに言われた言葉――。


「自分にもっと、寄り添ってやれ」


「……できるなら、してるよ」

 小さく呟く。けれど出来ない。

 兄の顔ばかりが思い浮かぶから。


 そのときだった。


「おい、ルナ。何休んでんだ。倒れるまで練習しろ!」


 父の怒号が庭に響く。

 ルナは反射的に立ち上がり、頭を下げた。


「ごめんなさい、お父様……」


「お前は強くなれ。俺が豪遊しても暮らせるくらい稼ぐんだ。わかったな?」


「……はい」


「聞こえねぇよ」


「はい!」


 満足げにビールを飲み干した父は、続けてこう言った。


「あー、それと。もうギルドに行くな」


「……なんで?」


「練習が疎かになるだろ」


「いやだ……! 唯一の楽しみを奪わないで……!」


 涙ながらに懇願する。

 ルナにとってギルドは、唯一笑える場所だった。

 気楽に喋れる受付嬢のアリス。

 和気藹々と話す屈強なおじさん達。

 そして、優しい言葉をくれたルイ。

 家族の緊張感も嫌な記憶も、そこにいる間だけは忘れられた。


 だが父は冷たく言い放つ。


「口答えすんのか? お前が大事に持ってるハンシの物、壊すぞ」


「それだけは……」


「まったく、平民の集まりのどこがいいんだか」


 吐き捨てるように呟くと、父は去っていった。


 残されたルナは、その場に崩れ落ちる。


「……お兄ちゃん。私、どうすればいいの……教えてよ……」


 少女の小さな声は、熱気の中を震えながら風に溶けて消えていった。

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