第4話 レベル差の絶壁
翌日。屋敷の裏手にある演習場にて、俺は地面に大の字に転がっていた。 土と草の匂い。そして、肺を焦がすような疲労感。 視界の端にあるHPバーは、レッドゾーン寸前で点滅している。
「……参った」
俺は荒い息を吐きながら、青白い空を見上げた。 俺の視線の先には、涼しい顔をしたレイラが立っている。黒のメイド服には土汚れ一つなく、息も乱れていない。
「立ち上がれますか、アルス様。魔力はまだ残っているはずです」
彼女の声は冷静だが、その手には訓練用の木剣が握られている。 Lv11のヴァンパイアである俺のステータスは、同レベル帯の人間と比べれば遥かに高いはずだ。 だが、目の前の「教育係」には手も足も出なかった。
今日の訓練で判明したことは二つある。
一つ目は、**「レベル差によるステータス補正の暴力」だ。 俺は先ほど、唯一の手札である初級魔法『ブラッドバレット』**を放った。 補助スキル『魔力操作 (Mastered)』を駆使し、弾丸の軌道を曲げる工夫までした。 だが、レイラはそれを「素手で」弾いた。 魔法防御力と物理防御力、そして反応速度(AGI)が桁違いなのだ。俺の攻撃は、彼女にとってそよ風程度にしか判定されていない。
二つ目は、「手札の欠如」。 俺が使えるメインスキルは『ブラッドバレット』一つだけ。 本来なら[夜宴] Lv.3で習得できるはずの『シャドウウィーブ(影縫い)』などの拘束スキルがあれば、少しは立ち回れたかもしれない。 だが、今の俺の特性レベルは[夜宴] Lv.2。次のポイント獲得(Lv20)までは、この貧弱な装備で戦うしかない。
「……もう一本、お願いします」
俺は痛む体を叱咤して立ち上がった。 諦めるつもりはない。これはデータ収集だ。 レイラの動き、攻撃の予備動作。それらを体に叩き込む。
「よろしいでしょう。ですが、次は回避に専念してください。攻撃を受けすぎです」
レイラが踏み込む。 速い。残像が見えるレベルだ。 だが、俺には補助スキル**『魔力感知 (Mastered)』**がある。 彼女の体に巡る魔力の流動――足に魔力が集中した瞬間、俺は左へ飛んだ。
ブンッ! 木剣が空を切り、風圧が頬を叩く。
(見えた……! 視覚じゃ追えないが、魔力の動きなら読める!)
俺は着地と同時に、指先に魔力を集める。 『ブラッドバレット』。だが、ただ撃つだけじゃない。 『魔力操作』で弾丸を限界まで圧縮し、貫通力を高める。
「――ッ!」
放たれた赤い閃光。 だが、レイラは表情一つ変えず、首をわずかに傾けて回避した。 回避された先にあった岩が砕け散る。
「……威力と制御は見事です。『魔力操作』の熟練度は既に完成されていますね」
レイラがゆっくりと剣を下ろす。 その口元には、今まで見せなかった微かな笑みが浮かんでいた。
「合格です、アルス様。基礎戦闘の課程は、これにて修了としましょう」
俺はその場にへたり込んだ。 緊張が解け、全身の筋肉が悲鳴を上げる。
「……はあ、はあ。……勝てないな、やっぱり」
「当然です。私はこれでも、ブラッドベリー家に百年仕える戦闘メイドですから」
推定レベル55。 俺が目指す「頂(Lv100)」どころか、中腹にすら遠い。
「失礼します、アルス様」
レイラが膝をつき、ハンカチを取り出した。 そして、汗と泥にまみれた俺の顔を、丁寧に拭っていく。 ひんやりとした彼女の指先が、火照った頬や首筋に触れる。
「……あ」
俺が声を漏らすと、レイラは慈しむような瞳で俺を見つめた。 彼女はそう言うと、俺の乱れた服の襟元を直し、土を払い落とす。 その手つきは、主従という関係を超えて、どこか溺愛するペットや、あるいは弟を扱うような甘さを帯びていた。
距離が近い。 彼女の豊満な胸元が目の前にあり、動くたびに甘いバラの香水と、吸血鬼特有の微かな血の香りが鼻孔をくすぐる。 5歳の子供の身体には刺激が強い距離感だが、中身が成人男性である俺にとっては、目のやり場に困る状況だ。
「お疲れでしょう。部屋までお運びします」
拒否権はなく、俺は軽々と「お姫様抱っこ」された。 屈辱的だが、悪くない気分だ。 俺は彼女の柔らかい肩に頭を預けながら、今日の戦闘ログを脳内で反芻する。
(……レベル差は絶望的だ。メインスキルも足りない)
屋敷への帰り道。 揺られる視界の中で、俺は結論を出した。
レベルアップによるポイント付与(Lv20)を待っていては遅すぎる。 メインスキルに頼れないなら、**「補助スキル」**を増やすしかない。 『魔力感知』『魔力操作』に続く、第三、第四の武器。 行動の積み重ねだけで習得でき、かつ格上の相手を出し抜けるスキル。
(……隠密だ)
俺はレイラの腕の中で、密かに計画を立てた。 夜な夜な屋敷を抜け出し、レイラにも、両親にも気づかれずに行動し続ける。 そうすれば、気配遮断系の補助スキルが芽生えるはずだ。
俺の目は死んでいない。 この「レベル差の絶壁」を登り切るためのルートは、既に見え始めていた。
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