第3話 書庫の若き探求者

 月日は流れ、俺はこの世界で5度目の誕生日を迎えていた。  ブラッドベリー家の屋敷にある大図書室。ここが現在の俺、アルス・ブラッドベリー(5歳)の主戦場だ。


 天井まで届く巨大な本棚には、手書きの羊皮紙や分厚い魔導書がぎっしりと詰まっている。印刷技術がないため、本は一冊一冊が貴重な財産だ。インクと古紙の香りが充満するこの空間で、俺は重たい革表紙の本を膝の上で広げていた。


「……ふむ」


 読み解いていたのは『エリュシオン大陸地理全集』。  書かれている内容は、転生前にゲーム内のLore(伝承)で読んだ知識と大差なかった。  中央のエリュシオン大陸、闇のノクス大陸、聖なるオルド大陸……。世界地図の形状も記憶と一致している。これはつまり、俺の持っている「攻略知識」の多くが、この現実世界でも通用することを意味している。


 俺は本を閉じ、小さく息を吐いた。  5歳児の身体にしては、少々詰め込みすぎたかもしれない。だが、時間は惜しい。  俺は思考コマンドでステータスを開いた。


【Status】 Name: アルス・ブラッドベリー Level: 11 Race: ヴァンパイア (Vampire) Job: なし Traits:


[夜宴] Lv.1


[吸血] Lv.1


[霧化] Lv.1 Trait Pt: 1 (New!) Skills:


[種族]: [吸血鬼の体質]


[職業]: ―


[特性]: [ブラッドバレット] ([夜宴]Lv1)


[補助]: [魔力感知(100%)], [魔力操作(100%)]


 レベルは11まで上がった。  「あらゆる営みが経験値」という仕様のおかげで、歩くこと、本を読むこと、魔力を練ること、その全てが血肉となっている。  そして、Lv10に到達した際、待望の**「特性ポイント」が1ポイント**付与された。


 俺は選択を迫られていた。  3つの種族特性のうち、どれを伸ばすか。


 A. [夜宴 (Nocturne)]: 夜間バフ、隠密性、闇魔法攻撃特化。  

 B. [吸血 (Blood Drain)]: 生存能力、眷属化、近接戦闘補助。  

 C. [霧化 (Mist Form)]: 回避、物理無効、トリッキーな移動。


 俺のプレイスタイルは「ソロ攻略」と「情報収集」。  ならば、隠密性と汎用性に優れる『夜宴』一択だ。


『Point Allocated to [夜宴].』 『Trait Level Increased: Lv.1 -> Lv.2』


 俺はポイントを『夜宴』に振った。  だが、それだけだ。  次のスキルである**『シャドウウィーブ(影縫い)』が解放されるのは、[夜宴] Lv.3**から。  ポイントがあと1足りない。  次のポイント付与は……Lv20。


(遠い……)


 Lv11からLv20までの道のりは、今までとは桁違いの経験値が必要になる。  しかも、手札は初級魔法の『ブラッドバレット』一つだけ。  『魔力操作』などの補助スキルを極めた(100%にした)おかげで、魔法の制御力は高いが、火力不足は否めない。これでは、まだ屋敷の外に出る許可など下りないだろう。


「――アルス様。またこちらにいらっしゃいましたか」


 静寂を破って入ってきたのは、一人の女性だった。  亜麻色の髪をきっちりとまとめ、黒を基調としたメイド服に身を包んでいる。背筋はピンと伸び、足音ひとつ立てずに絨毯の上を歩く所作は洗練の極みだ。  彼女の名はレイラ。  俺の専属メイドであり、教育係を務めるヴァンパイアだ。


「レイラ。授業の時間にはまだ早いはずだけど?」


「ええ。ですが、旦那様より『アルス様があまりに根を詰めすぎているようなら、外の空気を吸わせるように』と仰せつかっております」


 レイラは感情の読めない涼やかな顔でそう言うと、俺の膝上の本を丁寧に、しかし強引に取り上げた。  彼女の瞳は、俺と同じ紅。だが、その奥には長年生きてきた者特有の深みがある。


「……5歳のお子供が読むには、少々難解な書物かと存じますが」


「絵を見ていただけだよ。世界にはいろんな国があるんだね」


 俺は子供らしい無邪気さを装って答える。  彼女たちNPCには、俺のステータス画面は見えていない。だが、俺の行動や魔力量から「異常な早熟さ」は感づかれている。あまり怪しまれるのは得策ではないが、無能を演じるつもりもない。


「左様でございますか。……アルス様は、外の世界に興味がおありなのですか?」


「うん。いつか、この屋敷の外に出てみたい」


「今はまだ早すぎます。ノクス・ドメインは魔物の徘徊する危険な土地。貴き血を引くアルス様といえど、一人歩きは命取りになります」


 レイラは淡々と諭すが、その視線が俺の栞を挟んでいたページ――伝説のアイテム『万象核石(ばんしょうかくせき)』の項目に注がれていることに気づいた。


「それに……この『万象核石』。伝説に憧れるのは男の子の常ですが、現実は甘くありませんよ。六つの属性魔核と概念核などという架空の素材を必要とする、御伽噺の秘宝です」


 レイラは初めて年相応の子供を見るような優しい笑みを浮かべ、本を棚に戻した。  御伽噺。こちらの世界の住人にとってはそうだろう。  だが、俺にとってはLv90の限界を突破するための唯一の希望だ。


「ですが……そうですね。アルス様の魔力制御の上達ぶりを見るに、基礎訓練の段階は既に終えているのかもしれません」


「え?」


「旦那様より許可をいただきました。明日より、実技指導のレベルを引き上げます。屋敷の裏手にある演習場にて、初級魔法の制御だけでなく、対人戦闘の基礎をお教えいたします」


 対人戦闘。  願ってもない申し出だ。屋敷の中での自主トレだけでは、経験値効率が頭打ちになりつつあったところだ。  俺は内心の興奮を隠し、殊勝に頷いてみせた。


「わかった。よろしく頼むよ、レイラ」


「はい、お任せください。……お手柔らかにお願いしますね、坊ちゃん」


 レイラは一礼して去っていった。  推定レベル55前後。一般的な兵士がLv20程度とされるこの世界で、彼女は一流の戦士だ。  明日からの訓練は、一方的な虐殺(しごき)になるだろう。


 扉が閉まる。  静寂が戻った図書室で、俺はニヤリと笑った。


 虐殺上等だ。  その「痛み」こそが、今の俺に必要な経験値なのだから。  俺は再び本を開くことなく、窓の外の常夜の空を見上げた。  そこには、まだ見ぬモンスターやダンジョンが、俺という挑戦者を待っているはずだ。


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