一章 彼女は心を抱く

第1話

 *


 潮風の吹く大きな街。石灰岩や木材で建造された住宅が立ち並び、歴史的な威厳さを思わせる壮大な建物がいくつも点在している。


 そんな街中に、一際目立つ建造物があった。


 街を見下ろすように丘の上に建てられ、住民からは”レモラ王宮”と呼ばれ畏れられている。名の通り為政者が暮らす王宮であり、中庭の大きな噴水と芝生の庭園が特徴の建物だ。


 普段は物静かで、見るものを雄大な気持ちにさせる建物だが、突如として異変が起きる。レモラ王宮の一室、大きな国旗の下に豪華絢爛な椅子が鎮座されてある、所謂—”玉座の間”にて、街の者も目を覆う程の光が発せられた。



 玉座の間にいた全ての人間が目を見開く。三日三晩続いた儀式が成功したからか、それとも、”救世主”の姿が派手で変な装いをした金髪の若い女性だったからなのか。それを確かめる為にも、先ずは儀式の発案者である神官—エウセビオスが口を開いた。


「お主は”救世主”なのか…?」

「え…アタシか?」


 金髪の女性は困惑した様子になるが、それは声を掛けられたからではなく、それ以外の理由で困惑しているようだった。

 

 彼女はへたり込みながら、自分の体を触って何かを確かめる。


「…治ってる?」


 彼女の一声に場は再び騒々しくなるが、玉座に座る中年の男—ガイウス王の一声で静まり返る。癖のある金色の髪の中年男性で、上品な材質の白のチュニックと、紫色の外套を纏う王者の威厳を感じさせるその男は、王らしく、率先して場の状況の整理を始めた。


「エウセビオスよ、儀式は成功したのか?彼女は”救世主”なのか?」

「く、詳しくは調査せねば分かりませんが、少なくとも、儀式は成功したようです」

「そうか、それは良かった…」


 ”召喚の儀式”が成功したことで、ガイウス王は一先ずの安堵の息を吐く。そして、国王らしい堂々した態度で玉座から立ち上がり、現れた女性の元に歩み寄ろうとするが、不意に現れたとある女性が彼を静止させた。


「ガイウス王…危険がないか我らで確認します。お下がりを」


 鋭い声のその主は、艶やかな黒髪を肩部分で一本結んだ高身長の女性であり、すらっと伸びた背筋と目鼻立ち整った女騎士だった。比較的軽装の板金鎧の隙間から白のチュニックが見え隠れし、その身分を表すように橙色の外套を身に纏っている。


 腰に両刃剣を携えた女騎士の彼女は、警戒した様子で一歩前に立ち、国王からの指示を待つ。


「む、アメリアか。そうだな、そうしてくれ」


 アメリアと呼ばれた女騎士は、そろりそろりと警戒しながら金髪の女性に近づき、一定距離の所で立ち止まると、猫に声を掛けるように手を差し出した。


「急な事で驚いているでしょう。ですが安心してください。私達は…」


 その最中、金髪の女性が前触れもなく立ち上がる。同時に周囲の議員達は驚きの声を上げ、アメリアと同じように板金鎧を着用した兵達は彼らを護るように配置についた。


 女騎士アメリアも腰から刃渡り二尺程の短い剣を抜き、一層と警戒した様子で金髪の女性を見据えた。


「急に、なんだこいつら…?」


 一方で、金髪の女性は不機嫌そうに周囲を見渡した。


 どうして自分がそんな野生の熊と対峙するような態度を取られねばならないのか。見ず知らずの場に突如いて、これまた見ず知らずの人間に驚かれ、物騒なものを向けられる。驚きたいのは自分の方だと心の中で嘆くが、見るからに危なそうな連中を前にして、彼女は逆に落ち着いた様子になっていた。


「手前は誰だ」

「…何?」

「”なに?”じゃねぇよ。アタシの目の前にいる黒髪の手前に聞いてンだ」


 黒髪の女騎士は急に喋り始めた彼女を警戒したように観察するも、敵意はないと判断して剣を納めた。


「…アメリア・アンテリアヌス。ガイウス王より、イグニア王国騎士団副団長の任を賜っております」

「え…騎士団って、バンドか何かか?」


 訳の分からないことを口ずさんだのはさておき、アメリアは静かに尋ねる。


「…貴方は?」

「ふんっ、アタシは”アイカ”だ」

「アイカ様ですか、良い名をお持ちのようです」

「良い名前…?」


 アイカの方も現状を把握しようと、声を掛けてきた黒髪の女騎士に質問をした。


「聞きたいことがあるんだけどよ。ここはどこで、アンタらは誰だ」


 あまり綺麗とは言えない粗末な言葉遣いにアメリアは眉を顰めるも、異人と言うことで一定の理解を示し、素直に疑問に答える事にした。


「ここは、エウーロ州に属する王政国家”イグニア連合王国”です。その首都である”レモラ”のレモラ王宮に、我々はおります」

「…アンタらは?」

「ガイウス王並びに、元老院議員や神官様を含めたレモラ政執会と、イグニア騎士教義に仕えるイグニア騎士団、王に仕えるレモラ兵団。そして、国中から集まった”灯”と”導”魔術師会の皆様ですよ」

「………」


 何言ってんだとコイツ。と、アイカも眉を顰めるのだった。


「それでよ、アタシは元の場所に戻れるのか?」

「…え?」

「川辺から運んだのか知らねぇが、”生きて”んなら挨拶してぇ奴がいンだよ。用事があるから帰りてぇって言ってンだが…これ、意味は伝わってンのかな?」

「それは…」


 目の前の女性が言いづらそうに口を閉ざしたのを見て、アイカは話が分かりそうな人間に聞く事にした。


「手前が知らねぇなら他の奴に聞く。おい、そこのじいさん!アタシを元の場所に返しておくれっ!」


 尋ねられた中年のおじさん—神官エウセビオスは困惑した様子で国王を横目で見るが、説明を求めるように首を横に振られた事で、彼は溜息混じりに頷いた後、一呼吸置いてから深刻そうに伝えた。


「できません…」


 儚くも告げられた事実にアイカは一瞬目を丸くするも、元の凛々しい表情に戻る。


「ふーん、そっか…」


 そして、周囲を軽く見渡して扉の位置を確認した後、勢いよく後方に振り返って駆け出した。


「あっ!待ちなさいっ!」


 アメリアは手を伸ばして止めようとするが、寸前でアイカに避けられ空を切る。


「誰が待つかよ!コスプレ集団の劇に付き合ってられるほど、アタシは暇じゃねンだっ!あーばよっ!」


 挑発したような言葉遣いのまま全力で走るアイカ。彼女は出入り口と思われる扉から出ようと体当たりするが、


「うぎゃっ!?」


 残念なことに扉は開かず正面から激突し、アイカは後ろに倒れてしまった。


「うおぉ……こっちに開くタイプのドアかよ…」

「捕えなさい!」


 肩を抑えてうずくまる間に、アイカは騎士達によってあっという間に捕えられてしまうのであった。


 *


「離せやっ!」


 複数人の騎士に体を抑えられるも、アイカは持ち前の負けん気から体をよじらせ拘束から抜け出そうとする。


「いたいけな少女を集団で捕まえて、楽しいのかよっ!」


 そんな狂犬のように暴れる彼女に対し、アメリアは両刃剣のきっさきをアイカの喉元に向け、高圧的な眼差しを向けた。


「ふんっ、国王の御前ですよ?騎士としてあば魔馬まばを抑えるのは当然の事です」

「ウルセェ!肩とかすげぇ痛ぇンだ!」

「だったら暴れない事です」

「ふざけンなッ!意識がはっきりしたと思ったら突然知らない所にいて、凶器を持った訳の分からない奴らに取り押さえられてンだぞっ!暴れるだろ普通っ!」

「まだ言いますか。国王の前で醜態を晒すなら我らにも考えがー」


 アメリアが部下達に向かって何か指示を出そうとした時、一人の男が慌てた様子で間に入ってきた。


「お待ちください!」


 エウセビオスは剣を下げるようアメリアに伝え、アイカとの間に距離を作る。


「む、エウセビオス殿。危険です。小娘はまだ暴れておりますから、我らにお任せを」

「彼女を暴れさせているのが、その”我ら”ですよ。先ずは剣を納め、落ち着くのを待ちましょう」

「し、しかし…」


 アメリアは困った様子になるが、


「アメリアよ、剣を納めろ」


 国王の一声があったことで、アメリアは漸く観念した。


「はっ、いい気味だぜ」


 彼女の敬意に欠けた振る舞いに国王は眉を顰める。


「アメリアは騎士としての役割を全うしただけだ、お主の状況は理解できるが、どうか怒らんで欲しい」


 そうガイウスに諭された事で、アイカは漸く気を鎮めるのだった。


「…別に、怒ってねぇよ国王様。それで、何でアタシを拘束した?」


 国王に対しても言葉遣いが変わらない彼女に再び折檻しようと動き出すアメリアだったが、再びガイウスに宥められ、軍人のようなきびきびとした動きで踵を返して行く。


「何だアイツ…?」

「説明しよう」

「え?アイツの説明は要らねぇぞ!」


 ガイウスは呆れたように溜息を吐く。


「違う…お主をここに呼んだ理由だ」

「あ、そっちか。ああ、教えてくれ」


 気を取り直して、ガイウスは神妙な様子で告げた。


「私…いや、我がイグニア連合王国は、其方のような”救世主”を必要としているのだ」


 場が一斉に静まる。まるで、命掛けの作戦を遂行する軍人のように、彼らは深刻げな顔つきになった。


「…救世主?それに、必要ってなんのことだ。アタシは手前らに必要とされる覚えはねぇぞ」


 だが、アイカは場の雰囲気に飲まれない。それどころか、彼らの気なんて知らぬ存ぜぬであり、彼女は軽い口調で疑問を浮かべる。


「左様であろう。だからこそ、先ずは話は聞いてくれぬか?」

「只でさえチンプンカンプンなんだ。分かるように説明してくれよ?」


 アイカはこの状況を夢だと考え、折角ならと楽しむ事にした。


 *


「なるほどな。”魔物”と呼ばれる化け物が暴れてる所為せいで国が疲弊しちまってるから、”救世主”である私に助けて欲しい、と…そう言う事だな?」


 全てを理解したように頷くアイカをに、ガイウスは安心したように息を吐く。


「話が早くて助かる。その通りだ」


 それでもアイカの疑問が尽きることない。彼女は再び尋ねた。


「でもよ、疑問なんだけどよ、どうしてアタシが”救世主”なんだ?アタシは”イグニア”って国があったことも知らなかったし、魔物がいたってのも初耳だ。それに、魔術だったか?分からねぇ事ばかりだよ」

「この世界についてのことわりは理解してくれとしか言えぬ。だが、其方が救世主であることは説明させて頂こう。エウセビオス?」


 国王に呼ばれ、中年の男が前に出てくる。


「こほん…神官のエウセビオスと申します。早速ですが、どうしてアイカ様が救世主であられるか、ご説明させて頂きますね?」

「おう、聞かせろ」


 アイカは野球中継を観戦するような軽い気持ちで胡座を掻き、話の続きに耳を傾ける。


「それは、託宣者による預言があったからに他なりません」

「”たくせんしゃによるよげん”?どう言うことだ」


 エウセビオスは物々しく話す。


「”異界の救世主が世界に調和をもたらす”…託宣者はそう仰られたのです。故に我らは儀式を執り行い、アイカ様を召喚するに至ったのです」


 突拍子もない内容に笑ってしまいそうになるアイカだったが、夢であっても真面目に話す奴を笑うべきではないと、彼女は真剣な様子で話の続きをする。


「でもよ、アタシが救世主ってのはさておき、その魔物って奴を相手に、アタシが何かできるとは思わねぇよ」

「それは…どう言うことですか?」


 ”救世主”であるにも関わらず、何もできないとはっきり告げたアイカに、エウセビオスを含めた周囲の役人達は疑問の色を浮かべる。


「アタシはつい最近21歳になったばかりの一般女性だ。アンタらの言う”異世界”?でも碌な奴じゃなかったし、そもそも、アタシはアンタらが抱える兵隊さんより強くねぇと思うけどな」


 アイカは国王の傍に控えるアメリアや他の兵士達を指差す。


「アタシを簡単に取り押さえた奴らが束になって掛かっても事態は解決しなかったんだろう?だったら、アタシに何かできる道理はねぇって」


 そうアイカが怠そうに語っていると、そばで聞いていたアメリアが不機嫌そうに前に出てきた。


「お言葉ですが、アイカ殿は救世主なのでしょう?途轍もない魔力か別の力か存じ上げませんが、我々には想像できない力を秘めている筈です。その為の”召喚の儀式”であり、相応の犠牲を払ったのですから」


 険しい表情で睨みつけてくるアメリアに対し、アイカは鼻で笑いながら無視をすると、鎮めた気を再び見せつけるかの如く、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。


「それによぉ、気に食わねンだよ」


 アイカは不敵に笑い、ゆっくりと立ち上がる。そして、苛立たしげに首を回すと見下すような視線で国王を見据えた。


「見ず知らずの場所に連れてこられただけじゃねぇ…アタシが手前らの言う”救世主”だとしてもなぁ、何も知らない奴に自分達の事情を他人に押し付けて来ンのが気に入らねンだわ…!」


 場が一気に張り詰めたものとなるも、アイカは決して自分の姿勢を崩さない。彼女はあくまでも自分が世界の中心であるかのように話を続けた。


「手前らの国がどうなろうと知ったことじゃねぇ…アタシを動かしたかったら相応の—」

「黙れッ!」


 アイカが報奨の話を持ち出そうとした時、話を遮るようにアメリアが前に出てくる。彼女は怒りに身を任せるように力強く両刃剣を抜き、再びアイカの喉元に鋒を突きつけた。


「よさぬかアメリアっ!」


 国王の静止が入るも、アメリアは剣を収めることなく険しい表情を続ける。


「魔物によって毎日誰かが死んでるのですよ!?兵や魔術師だけじゃない、力を持たない民が大勢死んでいるのですっ!彼らを愚弄するようなら、私はイグニアの兵として此奴を…!」

「殺すのか?」


 突如として放たれたアイカの冷たい声に、アメリアの誇り高い口が止まってしまう。


「…なに?」


 剣を向けられても尚不気味な威圧感を崩さないアイカに、アメリアは得も言われぬ恐怖を抱く。


「気に入らないからって、手前はその剣でアタシを殺すのか?」

「…殺しはしません。減らず口を叩かぬよう教育するだけです」

「そうか、アタシを脅すのか」


 アイカは不気味に口角を歪ませ、鋒に自分の喉を押し付けた。


「貴女、一体何を…!?」


 喉から滲み出た血が剣を滴り、大理石の床にぽとぽと落ちる。彼女の理解できない行動にアメリアは半歩後ろに下がって様子を窺おうとするも、それを見逃すアイカではない。


 アイカは鋒を喉を滑らせながらアメリアに近づくと、蛇のような邪悪な笑みを彼女に向けた。


「随分と良い剣だな。触れただけで血が出るなんて」

「な、何を…」

「もっと良く見せてくれよ。こんな立派な剣はそうそうお目にかかれない。拝んでおきてンだ」


 血が出てもお構いなし寄ってくるアイカに対し、アメリアは動揺してさらに距離を取ろうとしたその瞬間、アイカに足を掛けられて後ろに転んでしまった。


「なっ、貴様ッ!」


 アメリアは後方へと転がって直ぐに受け身を取ろうとするが、アイカに足で胴体を押さえつけられて起き上がることができない。


「この程度っ!」


 アイカの力は彼女にとって取るに足らず、払い退けて直ぐに起きあがろうとするアメリアだったが、その前に鋭い指先が飛んできた。


「えっ…ぐあぁ!?」


 アイカが指でピースを作り、そのままアメリアの両目を突いたのだ。


「はっはっ!いくら強くても、人間の急所ってのは変わんねンだな!」


 反射的に両目を押さえるアメリア。その隙を突かれ、呆気なく剣を奪われてしまうのであった。


 アイカは奪った剣を振り回しながら周囲を牽制した後、後方の扉に向かって再び全力で走り出す。今度はしっかりと扉を引いた事で、彼女は玉座の間から脱出することに成功した。


 *


「あのクソアマがッ!」


 目潰しを喰らったアメリアは般若のような怒りの形相で追いかけようとするが、背後からエウセビオスに羽交締めされて前に進めなくなる。


「国王の御前ですから、言葉を慎んでっ!」

「離してください神官殿っ、ああいった輩は殴って分からせる必要があるのですっ!」

「理解はできます!理解はできますが、ここはどうか怒りを治めてっ!」

「怒りではなく、あの女の国王に対する不敬を咎める為に私は動いていますっ!」


「ガイウス王っ!」アメリアは強引にエウセビオスを剥がし、跪いて国王の指示を仰ぐ。


「あの者の追走の許可をっ!」

「う、うむ…しかし、彼女は救世主やも知れぬのだ。客人として丁重に扱うべきだと私は考えるが…」

「彼奴がそれ程の者か確かめる為にもっ!どうか私めにご命令を!」


 ガイウスは困ったように唸る。


「うーむ…アメリアの言葉は正しくはあるが、お主はいささか突破とっぱすぎる節がある。先程のような言葉を向けられ、怪我を負わせずにとり押さえることができるのか?」


「そ、それは…」


 苦い顔をするアメリアの横で、今度はエウセビオスが跪いた。


「ガイウス王、その任は私めに!」

「む、エウセビオスか。穏便に済ませられるのか?」


 エウスビオスは精悍な顔つきを浮かべ、自身ありげに答えた。


「勿論でございます。私もあの年頃の娘がおりますので、説得はお任せを!」

「そうか、そうだったな。では、其方に任せた!」


 アメリアは少し不満げにするも、ある程度納得したのか、何も言わずに走り去るエウセビオスを見送った。


 *

 

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