第31話

 当日の天気は薄曇りで、幸いにも強い日差しが照り付けることはなく、猛暑にはならないとの予報がでていた。

 それでも開園が八時半で十時から始められた野外会場の気温は、二時過ぎには三十三度を超えたらしい。陽菜乃やその友人とCMTの若手はともかく、六十過ぎの辰馬や栄太には酷な環境だった。

 それに五日間で延べ二十七万人以上が動員されるというだけあって、平日のこの日でも軽く三万人以上の人出があり、会場内は大混雑していた。

 そうした熱気も加わっていたからか、映像を見ていた由美が心配して現場に呼びかけた。

「熱中症対策はしていると思うけど、みんな大丈夫ですか。特に辰馬さんと栄太さんは無理しないでね。まずいと思ったら声をかけ合って、早めに日陰へ避難して休んでくださいよ」

「心配すんなや。これだけの人混みは久々やからなかなか慣れんけど、今のところは問題あらへん。それより思っとった以上の盛り上がりやな。あと人との距離が近すぎるわ。特に演奏が始まってからは客が夢中になっとる分、油断しとったらあっという間にもみくちゃや。これは痴漢にとってはやり易い環境やから、気を付けなあかん」

 曲の合間だったが周囲の喧騒けんそうの影響か、彼は叫ぶような声でマイクに向かって言った。

「タッチャン、高性能マイクと骨伝導イヤホンだから、そんなに大声じゃなくても伝わるから大丈夫だよ。喚くと逆に聞き取り難くなるから」

 則夫が注意すると恥ずかしがった彼は小さく、了解、とだけ呟いた。

 そこで栄太が言った。

「人酔いしそうだし演奏の音と観客の歓声が凄いから、耳が麻痺して声が大きくなるのはしょうがない。ただ雲が出ているし風も少しあるおかげで、覚悟していたよりは楽だと思う」

 主催者側の好意により、比較的舞台に近い場所のチケットが割り当てられた。その分スピーカーが近いからか、曲が始まるとお腹に響くほどだという。

 そこで竜の声が割って入った。

「それに女性五人を前後五人ずつで囲んでいますから、痴漢には遭わないと思いますよ」

 今日は陽菜乃とその友人二人に加え、亨先輩の会社の女性社員二名が加わっている。アプリ登録者へフェスにおけるCMTの活動予定を伝え護衛要員を募ったところ、守られたい側でも二名が名乗りを上げたのだ。そこで男子社員二名と合流したのである。

 しかし彼が言った通り、十分な人数が確保出来たおかげで、陽菜乃達の安全は確保できているようだ。

 ただ暑い最中とはいえ、女子大生二人組は肌の露出面積がかなり広い。そんな服装を見た当初、則夫でなくとも皆が危惧した。

 しかし開演から四時間余り経った今では、被害に遭う心配はなさそうに思える。若いCMT達も、当初は慣れない使命に戸惑い緊張していたようだが、それぞれ演奏を楽しみながら和気あいあいと和やかな言葉を交わしあうほど、一体感に満たされていた。

 それに陽菜乃を始め、友人達や女性社員も美形揃いだったからか、男性陣は我先にと言わんばかりに彼女達に声をかけ、親しくなっていた。まるで五対八の合コンと見間違うかの様相である。

 その中で陽菜乃は父親の目を意識してか、主に唯一以前から面識がある竜と会話を交わしていた。しかし彼が連れて来た男性看護師が、これ幸いにと話に加わっている。時々そこへ若也が交じり、羽立の昔話などに花を咲かせていた。

 栄太が連れて来た若い警官二人ともう一人の駅員は、友人女性二人と盛り上がりつつ、陽菜乃達とも交流を深めている。また女性社員は共通の話題が多いからか、男性社員とより親密になっていた。

 これはCMTなどの活動を促すアプリには、男女のマッチングという副産物がある証明と言えるだろう。

 アプリ開発者としては嬉しい発見ではある。だが、その中に我が娘がいる則夫の心境は複雑だ。

 そんな様子を見守りつつ、ほとんど会話に加わらず周囲に視線を配っている栄太のつけた、Aのスマートグラスから送られて来る映像をチェックしていた。

「Bカメラ、もう少し周囲も見ようか。女性ばかり向くと、変な映像が写るから気を付けて」

 若手警官がつけたもう一つのスマートグラスの映像を確認していた由美が、折を見てそんな冗談を交え注意を促す度に、彼らの間で笑いが起こる。

 それを耳にした栄太が、その彼の頭を叩いてさらに場を沸かす、という一連の流れまでが何度も繰り返された。

 戯言ざれごとではなく、時々視線が女性陣の胸元に向くことが本当に何度かあったのだ。まずいと頭では理解していても、目が向いてしまうのだろう。男の悲しいさがと言ってしまえばそれまでだが、痴漢対策として呼ばれたメンバーがそれでは駄目だろうと思わずにはいられない。

 特に良く映る陽菜乃の友達の胸は確かに大きくて、同性でも思わず見入ってしまいたくなるほどだから理解できなくはない、と由美が苦笑していた。

 まだ凝視していないだけマシだが、これが何の制約もなければ、彼はじっと見つめ続けていたかもしれない。

 こういう場合、そんな恰好をするからだという輩がいる。かつて観客に触られ騒ぎになった女性アーティストの件でも、SNSでは大量にそう書き込まれていた。それに対し被害者の服装を非難するのはおかしいとの反論も多かったが、則夫もそれが正論だと感じていた。

 電車における痴漢でも、短いスカートを履いていたから悪いとか薄着だったから、と正当化する輩が必ず現れる。

 しかしそれは女性自身を性的な目で見る、または卑下する意識がそうさせるのではないかと思う。どんな格好をしていようが、法に反した極端な服装でない限り自由であり、痴漢という卑劣な罪を犯した者を擁護する言葉ではあり得ないはずなのだ。

「そうだぞ。運営側の好意で、こうした体制が取れているんだ。それに周囲にも目を配るとの交換条件を忘れるな。そんな事を続けるようなら、ずっと通路巡回を担当させるぞ」

「す、すみません。じゃ、じゃあちょっと行ってきます」

 居辛くなったのか、そう謝った若い警官はその場を離れ、近くにいたスタッフと合流した。

「ああ、しっかり見張って役に立つんだぞ」

 見送った栄太の言葉に、また場に笑いが起こる。というのも、運営側が出したもう一つの交換条件として、時々会場を巡回する警護スタッフに加わり、他の場所でトラブルが起きていないかを監視する役目を担うよう、彼らは依頼されていたからだ。

 スマートグラスの映像は則夫の会社でしか見られない設定だが、音声や位置情報は運営側とも共有している為、何かあった際は速やかな対応ができると期待されたらしい。

「陽菜乃ちゃん達は心配無さそうだから、そっちに重点を置いたほうがいいかもしれない」

「そうだね。ああ、当麻さん。そっちの監視と交代するよ」

「分かった。お願いします」

 指示に従い、由美が栄太のつけたAカメラの映像に目を移す。彼の視線が女性の胸に向くことはまずないのでホッとしたようだ。

 代わった則夫は、Bカメラの映像を見ながら運営側とやり取りをし、現在揉めたり危険な動きをしていたりする場所の有無を確認した。

 そんな動きを何度か繰り返し、何事もなく時間が過ぎて日も傾き始めた。

 しかし問題はそこで起きた。運営側スタッフによる応援要請が入ったのだ。

「すみません。Jエリアでトラブル発生。CMTの方、何名か来て頂けませんか。警察の方がいらっしゃいましたよね。出来ればお願いしたいのですが」

「こちらCMTの担咲。何があった」

 現場の栄太が確認すると、どうやら観客の中で撮影をしている集団がいたらしく、注意したスタッフと激しい口論になっているという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る