第19話
そう言われてしまうと誰も反論できない。皆が黙ってしまった為、栄太が発言した。
「去年、都内の痴漢は検挙されたものだけで約八百件だ。電車内の痴漢は約四割と言われているから、ほぼ毎日どこかの電車で痴漢が捕まったことになる。そうしたケースは氷山の一角だから、見逃された件数となればその百倍は軽く超えるだろう。イタチごっこになるという辰馬の意見はもっともだ。じゃあどうすればいいかだが、則夫、良い考えはあるのか」
「そうだね。まず今の参加希望者から考えると、平均して一日五人程度かな。友達同士の老人が二人いて、その傍に女子高生がいるくらいの状況なら、奇妙には思われないでしょう。栄太さんでなくても、未知留が二人の内の一人と知り合いだって言えば、揉めないだろうし」
「だったら、他の面子はどこにいればいい」
「一人は未知留と他の二人より少し後ろか前、他は一つ隣のドア周辺がいいかな。そこから乗り込んで車内で近づけばいいと思う。中で合流すれば、そう問題にはならないでしょう」
奇妙な組み合わせを不審に思っても、わざわざ文句は言わないだろうし駅員もいない。
「なるほど。全く身動きできないほどの混雑なら無理だが、そうでなければなんとかなるかもしれない。でも完全に取り囲むとなれば難しいぞ。それに距離があったら、互いの意思疎通が難しくなる。万が一の事態が起きれば、連携の乱れは致命傷になりかねない」
「少し遅くなりましたが、来週からはアプリが導入できると思います。それと連動させて各自に、このワイヤレスマイクとイヤホンを配ります」
則夫は、そういってかなり小さい実物を画面で見せた。これがあればアプリを導入している参加メンバー内の通信が可能になるから、離れていても安心だという。
マイクは胸に止めるクリップ付きで、イヤホンも耳にかけるフックがついていた。しかも骨伝導なので耳穴に突っ込まなくていい点が、老人達には有難いと栄太は感じた。
街でよく若者がつけているものだと、まず落としてしまう恐れがある。実際東京近郊の駅でのそうした落し物は、三カ月で約千件近くになると聞く。
「おお。そんなのを用意していたのか。さすが、則夫社長」
他のリモート出席者達からも称賛の声が挙がった。彼は照れながらさらに続けた。
「あと参加者の一人には、スマートグラスをかけて貰います。眼鏡のようにかければ、見ている場面の映像が撮影でき、それが連動したアプリを通じて録画され、会社で待機している僕がダイレクトで確認できるようにもしました。痴漢現場をみていれば証拠になりますし、トラブルが起こった際の対処もしやすくなると思います」
「いいね。タッチャンや栄太さんがいない時、参加者だけで対応するとなったら少し不安だったけど、遠くからでも則夫がアドバイスしてくれるのなら安心だ」
「そうだな。いいね。有難いよ」
再び褒めちぎられた則夫は、頭を掻いていた。
「則夫、有難うな。準備に時間も金もかかったやろ。すまん。俺の我儘に付きあわせて」
「いや、タッチャン。そんなことないよ。それにこれが上手くいけば、ビジネスになるから」
「ほう。そう言えば、前もそんなこと言うとったな。どういうことや」
「ああ、でも今はまだ構想中だから、詳しい事は何度かテストしてから説明するよ。ただこれは単なるボランティアだけじゃなくなったから、気にしないで。タッチャン達はまず、目的を遂行するのはどうすればいいか、色々試行錯誤してくれたらいいよ。発端は僕の娘が言いだした悩みだし、それにこれが上手くいけばもっと沢山の人を救えるかもしれない」
「そう言うてくれるんやったら心強いのう。俺の目的は、この命をどれだけ社会貢献に活かせるか、や。その為にはまず、目先の未知留ちゃんの問題を解決したらんとな」
辰馬が話を締めくくり、四日目からは則夫が提案したフォーメーションを採用し、提供された器具を装着して集うようになったのである。
こうした対策が功を奏し、駅員や周辺の乗客から何か言われることはなくなった。好奇の目を向けられずに済み、通常の通学とそう変わらない日々が続いたのだ。そうしている内、同じ駅を使う未知留の同級生が声をかけてきて、一緒に乗車するようになったのである。
それだけではない。学内で話が広まったらしく、同じ路線を使い別の駅から乗って来る生徒達までもが近づいてきた。痴漢に遭うのは嫌だから、固まっていたほうが安心だと考えたのだろう。
こちらとしては、一人でも多くの子を見守ることができる為に好都合だ。それがどんどんと増え、今では学校の最寄り駅に着く頃には、十人近くまでなっていた。
そうした日々が続いていたところ、中でも参加率が高く元刑事だったという栄太が女生徒の目についたのだろう。未知留の友人達に名前と顔を覚えられ、ちょっとした人気者になってしまったのだ。
所轄の刑事として忙しくなってから、家庭より仕事を優先したせいで子供も産めないと妻に愛想をつかされ離婚された寂しい老人の独り身には、分不相応で気恥しい扱いだった。
しかし二週目途中から辰馬が参加し始めると、六十過ぎなのに身長が百八十センチを超える坊主頭の彼に注目が集まり、容貌とギャップ萌えする可愛い目やその人柄などからすぐ一番人気となった。
そうしてフォーメーションも少しずつ試行錯誤しながら、大きな問題もなく今日まで来たのである。
それでも
というのも、まず未知留達より少し遅い時間の電車に乗った同じ学校の女生徒の何人かが痴漢に遭ったという。その際、また被害者は皆、怖くて声を出せず助けを求めることもできなかったらしく、捕まえるどころでは無かったと聞く。そこで、
「だったら、七時十五分の七両目の電車に乗れば、そんな心配がなくなるよ」
と誰かが言ったようで、未知留達を見守る集団の話が広まり、被害者達まで届いたようだ。
その噂が先週末に拡散され、土日明けの今日はもしかすると他の駅から多数の生徒達が、同じ車両に乗り込むかもしれないと未知留から聞かされていた。だからまずは駅でそういう生徒がいるか、または痴漢らしき奴がいるか、辰馬と栄太は注意を払っていたのである。
その不安は的中した。未知留達と車両に乗り込み、どうにか人混みを描き分け中で合流した後、二駅通過した時点で既に十人余りの女子生徒が近くへと集まって来たのだ。
もちろん未知留と同じ制服を身に着けた子達で、それを目印に乗車してきたと思われる。やはり噂を耳にしたのだろう。恐らくこの後の駅からも、次々と乗って来るに違いない。
その日、栄太達の仲間が集まったのは五人だけだ。たったそれだけの人数で、倍から三倍以上の女生徒達を取り囲み守るのは難しい。
そこで栄太は未知留に小声で指示を出した。
「君達だけで、車両の中央に固まってくれるかな。俺達はその近くで立って見張るから」
彼女は頷き、隣の子に耳打ちし、そこから周囲に伝言して貰った。そうして集まった生徒を背にし、周りに目を配りつつマイクを通し連携を取ることで痴漢を防ごうとしたのだ。
結果的にこの行動は成功した。集団でいる彼女達の一人を狙えば、騒がれる恐れがあると痴漢も警戒したのかもしれない。最終的には二十人近くまで膨らんだが、その日は何事も起こらず、無事目的の駅に着き解散することができたのである。
そんな日々が、その後もしばらく続いた。未知留は高二だが、他のクラスだけでなく違う学年の子達にも噂が広まったらしく、三十人程度も集まった。
それに比べ、痴漢から守り隊をローマ字にして頭文字を取り、略して
こうして、あくまで見守りを第一目的にしたCMTの活動開始から一ヶ月が経過した
「タッチャンも栄太さんも大変だよね」
「何がだよ」
「だって最初から今みたいに固まって登校していれば、痴漢には遭わずに済んだのかも。他の車両でも同じように乗っているみたい。そうすると痴漢に遭わなくなったって聞くから」
同じ路線を使う生徒全員が、同じ時間の同じ車両に乗って通学するのは無理がある。だからそれぞれ散らばっていても、学年問わず制服を目印に集まれば、一人で乗っているより痴漢抑止になると分かったのだろう。
またそう言う子達に中には、鞄などに【痴漢は犯罪です】と書かれたバッジなど身に着ける子がおり、そうした効果もあったのかもしれない。
ただそうはいっても、集団が苦手の子だっている。そうした中で、苛めが発生する恐れもあるからだ。また混み具合によっては、なかなか近くに寄れないケースもあるだろう。
いや、女性専用車両があるのだから、そこに全員乗ればいいとの考えもある。だがそう簡単な話でないのが現実だ。
今回の件があり、栄太は改めて痴漢のことを色々と調べ、その中に女性が専用車両に乗らない事情、というものがあると知った。
まず専用車両の場所が、改札へと続く階段などから遠い場所にあることが多い。そうなると人が多く、また通勤や通学等で皆急ぐ時間帯だと、人に飲みこまれやすいというデメリットがあった。
また専用車両内の女性だと化粧や香水などの匂いが充満してそうで嫌だという理由や、女性ばかりだと男性ばかりの場合と違い、体幹が弱くつり革をしっかり握っていないと激しく揺れた際、将棋倒しになる危険もあるという。ヒールなどを履いている人もいる為、踏まれて大怪我をしてしまうケースさえあり、それで避けているとの意見もあった。
さらには女性専用車両の存在自体を嫌う男性がおり、乗ろうとしたら、
「ブスが勘違いしているよ。痴漢なんて遭う訳ないだろう」
と心無い言葉をかけられた経験があるので自意識過剰と思われたくないとか、女性同士の妙な場所の取り合いに巻き込まれたくない、という考えもあるそうだ。
そもそも何故女性だけが、こんな想いをしてまで隔離されなければならないのか。痴漢のような卑劣な犯罪がここまで横行していなければ、専用車両など必要ない。けれど世の中にはある一定程度、そうした問題を起こす輩が存在するのも事実だ。
戦争はいつまで経ってもどこかで起こっているし、殺人や強盗といった犯罪を含め、苛めだってなくならない。様々な宗教が存在し、思想の違いなどからずっと分かり合えない関係性だってある。
そうなると、やはり色々と知恵を使い各々で身を護る、いわば自助が手っ取り早い。情けないが、警察などによる公助では限界がある。ただ今回のような形は一種の共助だ。 未知留は続けて口にした。
「だけどね。近くで見守ってくれる、大人の存在が感じられるだけで安心なんだよ」
「なるほど。本当にそう思ってくれとるんなら、俺らも遣り甲斐があるってもんや」
「本当だよ。CMTが来てくれて、痴漢に対する不安が消えて心配しなくて済むことが、こんなにも気持ちを穏やかにしてくれるんだって、すごく実感できるようになったんだから」
すると横にいた彼女の友人も深く頷いた。
「そう。それに登校する朝の電車通学が、怖いものからすごく楽しみなものに変わったよね。それがどれだけ凄い事か、タッチャン達には分からないかもしれないけど、感謝してます」
ちょこんと頭を下げた彼女の姿が、栄太にはとても微笑ましく見えた。
「そうか。君らを心配している人はいる、味方はいると知らしめることが大切なんだろうな。でも一人や二人だとなかなか難しいし、CMTの行為は何人も集まって交代でやっているからこそ、だ。俺達の仲間だけじゃなく、もっと多くの人が活動をしてくれればもっといいんだけどな。それが全国とは言わないが、東京のある範囲だけでも広まればいいと思うよ」
「それ、この間のリモート反省会で則夫が言っとったやつやな」
「ああ。辰馬の話を聞いて、最初からそこまで考えついたって言うんだからすごいよ」
「少し前から、そういう考えに沿ったアプリを開発しとったらしいが、痴漢の件でピンと来たようやな。未知留ちゃん。あんたのお父さんは昔から凄い奴やったけど、今なお天才やで」
「タッチャン、それは褒め過ぎだよ。でも嬉しい。お父さんの開発したアプリが今回の件で成功して広まって、痴漢に悩んでいる他の人の救いになったら、私も鼻が高いからね」
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