第18話 第4章- 2024年春、行動の日―栄太

 早朝の混雑した駅のホームに立ち、栄太は周りを見渡していた。ふと数メートル先の辰馬の姿が視界に入り、つい目で追ってしまう。彼もまた、目的の電車を待ちながら鋭い目つきで周囲に目を配っている。

 そんな様子に、思わず心の中で呟いた。

「辰馬には、本当に驚かされてばかりだな」

 高校時代もそうだ。他人の為に、何故そこまでやるのかと何度思わせられたか。彼ほど純粋な気持ちで弱い立場の者を守ろうと、強者に立ち向かう人間を見たことがない。

 しかもその後、生きているだけでも奇跡だったのに、息を吹き返した上、二十九年余りも寝たきりだったとは思えない、六十を過ぎても十代だった頃と変わらない佇まいを見せている。

 もちろん今回も弱い立場にいる、未知留という高校二年の女子生徒を痴漢から守ろうと、通学時の電車に同乗しようとしているのだ。

「タッチャン、そんな怖い顔していたら誰も近づいてこないどころか、また不審者扱いされて駅員が来ちゃうよ。スマイル、スマイル」

 彼の傍に立つ未知留が、苦笑しながらそう口にしている声が、イヤホンを通して聞こえた。

「ああ、せやったな。すまんすまん」

 辰馬が手の平で顔をこすり、強張った表情を崩して無理やり口角を上げる。だがそれはそれで不自然な笑顔が怖い。

「もう。しょうがないな」

 これ以上言っても無理だと彼女が諦めたところで、誰かに声をかけられた。

「おはよう、未知留。おはようございます、タッチャン」

 制服を着た二人の女子高生が、声を揃えてそう言った。

「おはよう」

「おう、おはよう」

 それぞれに答えた未知留と辰馬に対し、彼女らは首を伸ばして辺りを伺いながら尋ねた。

「今日は何人、集まっているのかな」

「あの人、いるかな。あっ、いた!」

 栄太と目の合った一人がそう言い、大きく腕を上げこちらに手を振ってきた。

 主に会社へ向かうだろう大勢の人々が、ホームにはひしめき合っている。そんな中、還暦過ぎのおっさんが女子高生に手を振られるなど、通常は考え難い光景だ。その為周囲で気付いた人達の好奇こうきの目にさらされ、栄太はきまりが悪くなった。

 とはいえ、未知留と同じ高校に通う同級生に対し、無視する訳にも行かない。その為、人と人の隙間から見える彼女に対し、胸のあたりで小さく手を振り、にこりと笑う。

 それを見た未知留ら全員が、表情を隠しながらバタバタと足踏みをした。引き攣った栄太の顔が可笑しかったと思われる。が、こちらに聞こえたら悪いと、声を押し殺したのだろう。

 しかし反応を見れば明らかであり、またそんな忖度そんたくをしない辰馬が、大きな声で笑った。

「何や、栄太。その顔で手ぇなんか振るな。気持ち悪いのう」

「う、うるさいな。辰馬がさっきやってた、無理した笑顔よりマシだって」

「なっ、何言うとる。やかましいんじゃ、ボケ」

 栄太の反論に、見られていたことを恥じたらしき彼が、そうぼやいた。

「あっ、栄太さんに見られていたんだ」

 栄太達と同じイヤホンを付けている未知留にそう笑われると、聞こえない子達が騒いだ。

「何、栄太さんが何か言ったの」

 尋ねられた彼女が答える前に、辰馬は顔を激しく振った。

「いや、何もないって。ああ、電車が来たで。乗る準備せな」

 誤魔化すように彼が言うと、彼女達は素直に「はぁい」と返事をして従った。

 それぞれが背負ったリュックをお腹側に回す。満員電車だと、リュックが人に挟まれ身動きできなくなるからだ。下手をすると、後ろ向きのままホームへと引きずられてしまうことがあるらしい。

 前で抱えても挟まれる危険性はあるが、前向きなら両手を使って抵抗できるし、なすすべもなく後ろ向きのまま尻もちをつくよりはましだ。

 栄太の年代だと、通学と言えば手提げバックが基本だった。リュックなんて遠足か、山登りを趣味に持つ人が使うものだったが、今ではリュックが主流らしい。

 昔には無かった様々なデザインのものがあり、また片手が塞がるより両手が自由なほうが安全なのは確かだ。何より荷物が重い時は、背負うほうが負担は少ない。よって多くの教科書などを持ち歩かなければならない彼女らにとって、理には適っていると言えた。

「この電車に乗るぞ。七両目の真ん中のドアだ」

と栄太が胸元に止めたマイクを口に近づけ、そう指示を出すと、

「了解」

と答える三人の声が耳に届く。

 今日この時間に集まったのは、辰馬と栄太を含め五人だ。各々耳に骨伝導イヤホン、胸元にワイヤレスピンマイクをつけ、離れて周囲が騒がしくても互いに連絡が取れる体制を取っている。だから先程のような会話ができたのだ。

 また栄太だけが眼鏡型のスマートグラスをかけ、周囲を撮影できるようにしている。これも紆余曲折うよきょくせつがあって構築されたものだ。

 辰馬の思い付きの一言から始まった、未知留の通学時における同行は今日で十一回目。学校は平日のみの為、三週間目に入ったところだ。 最初の三日は何も装備せず、ただ集まった面子で待ち合わせ、彼女を取り囲むように乗車し、学校の最寄り駅のホームに降り立つのを見送って解散する形だった。

 しかもその週、言い出しっぺの辰馬は居なかった。自身の大学での講義の取得等で忙しかったからだが、その為栄太が代わりにその他の参加者達と一緒に参加した。

 ちなみに交番相談員の仕事は、その週だけは早めの勤務からは外して貰った。

 則夫が開発を進めるアプリは間に合わなかったので、何かあった場合に備えて栄太はスマホを常に彼と通話状態にしていた。

 しかし実際やってみると、色々な問題が起こったのである。

 まず一つ目は、還暦過ぎのおじさん数人で、電車通学する女子高生一人を取り囲み移動するという光景は、周囲から見れば異常に映った点だ。

 一日目は単に奇異の目を向けられただけで済んだ。しかし二日目には早速おかしいと言い出した人がいたらしく、駅員が駆け付けて来たのである。

「あの、あなた達はこの子とどういう関係でしょうか」

 そう尋ねられ、栄太を除く面子は慌てた。特にその日、栄太以外は初参加で、辰馬の祝勝会の場などを含め、未知留とは一言も喋っていない奴らばかりだったからだろう。

 幸い栄太は初日を含め、会場でも多少彼女と言葉を交わしていた。そうしたこともあり、

「この子は俺の友人のお子さんでね。訳あって、通学時の付き添いを頼まれたんだ」

とすらすら答えることができた。もちろん未知留もそうだと頷いてくれた。

 だがそれでは済まなかった。駅員は眉をひそめてさらに質問を続けた。

「では、こちらにいる他の人は何ですか。余りに挙動不審なので確認して欲しいと、ご利用されているお客様から言われているんですよ」

 つい少し前まで刑事だった自分がこんな目に遭うなど、全く想像もしていなかった。余りにも屈辱だったので早く話を終わらせようと、交番相談員の身分証明書を提示して答えた。

「私はこれでも元警察官でね。それにここにいるのは、私の高校時代の友人達だ」

「あっ、それは失礼しました。ご苦労様です」

 駅員の態度が明らかに変わった。痴漢などを含め、駅で何か問題が起こり警察を呼ぶ場合、最寄りの交番から駆け付けるケースが多い。その際、人手が足りなければ栄太のような相談員も、現役警官に同行することがある。だから理解できたようだ。

 駅員は立ち去り、その日はそれで何事もなく終わった。

 しかし次の日、また同様の事態が起こった。何故なら前日対応した人とは違う駅員が、そうした苦情をまた耳にしたらしく、デジャヴかと思うようなやりとりが繰り返されたのだ。

 その日も初参加の面々はいたものの栄太がいた為、身分証を見せ同様の説明をして騒ぎにはならなかった。

 けれどスマホを通し会社で会話を聞いていた則夫は、三日目の夜に開いたリモートによる情報交換会の場で、栄太達からの状況報告を受け発言した。

「これは体制を変えなきゃいけないね。まず集まった人全員で、いきなり囲むのは止めよう。せいぜい二人までかな。その他は少し離れた場所にいたほうがいい」

 だがこれには栄太を含め、参加経験のあるメンバーは皆、口を揃えて異議を唱えた。

「それだと痴漢は捕まえられない。あの満員電車を経験してみたら分かるよ。凄いんだからさ」

 東京の朝のラッシュ時は凄まじい。コロナ過が始まった当初は落ち着いていたものの、今では以前のような状況に戻り、酷い時には全く身動きできないくらいになるのだ。

「じゃあ、どうすればいいって言うんですか。これでは毎回駅員に声をかけられ、注目を浴びてしまいます。それが続けば他の乗客に顔を覚えられ、おかしな集団という目で見られるでしょう。そうなったら、下手をすれば騒ぎになりかねません。交番相談員の身分証明書を持つ栄太さんがいれば何とかなるでしょうけど、毎回は無理じゃないですか」

 その指摘に、栄太は頷かざるをえなかった。辰馬がいない今週だけはと毎日参加しているが、毎回となるとさすがに厳しい。

 七時十五分発の電車に乗るには朝五時台に起きて用意し、出勤がある日は解散となる八時過ぎから移動していた。

 この年になると朝早くの起床は苦にならないし、非常勤だから勤務体系も比較的自由にはなる。ただいつまで続ければいいのか分からない行動を、毎日やるとなれば無理だ。その為に参加者を募り、交代制を取っているのだから。

 そこでリモート会議に参加していた辰馬が、大きく頷きながら言った。

「則夫の言う通り、これまでのやり方やったら、未知留ちゃんも迷惑や。それは本末転倒やろ。それに今回の目的は、痴漢を捕まえることやない。まずは彼女を見守ることが先決や」

「でもそれだと根本的な解決策にはならないんじゃないかな。痴漢野郎を摘発して、未知留ちゃんを狙ったら捕まるって思わせないと、いつまで経っても終わらないんじゃないかな」

 参加経験者の一人が異議を唱えた。しかし彼は首を振った。

「いや。一人や二人捕まえたって解決はせん。しばらくは治まっても、また別の痴漢が出てくるはずや。それにいつ終わるなんて考えとらん。未知留ちゃんが、もうええって安心できるまで俺はやる。他の奴らは無理せんでええぞ。元々、俺一人でやるつもりやったからな」



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