第16話

「そうかもしれん。それでも、や。別に則夫の娘やから優先して、って意味やない。痴漢の話を聞いてピンと来たんや。これは未知留ちゃんだけの問題やない。周辺におる同じ女子生徒らの為でもあるんや。そうは思わんか」

「なるほどね。取り敢えず、分かった。でも具体的にどうするおつもりですか」

 由美が頷きながらも、話の行方がどうなるかを問うと、辰馬が答えた。

「今は春休みやから学校が始まる来月から、通学に合わせて一緒の電車に乗るのはどうや」

「大学も四月から始まるよ。最初は授業の選択とか、辰馬さんだってやることがあるから忙しいと思うけど」

「もちろん大学にも行く。せやけど小中高みたいに、朝早くからずっとおらなあかんってことはないやろ。少し遅い時間から始まる授業を取ったらえんとちゃうんか」「その為に、遅い授業しかとらないっていうの。それに毎日って訳にはいかないでしょ」

「どうしても行けん時はあるやろ。せやけど未知留ちゃんの使うとる路線やったら、ちょっとばかし遠回りすれば大学へも行ける。次の授業まで待つ時間、勉強しとったらええし」

「授業の無い日はどうするの。それでも行くつもりですか」

 責める口調ではないが、冷静に淡々と話を詰めていく由美の口調に、辰馬がやや怯みだした。正式ではないが、妻に頭が上がらない夫という構図はまるで我が家のようだと苦笑する。

 栄太も同じように感じたのか、辰馬に加勢し始めた。

「まあまあ。これだけやる気になっているんだ。言い出したら聞かないのも辰馬だし、まずは試しに一度、やらせてみたらどうだろう。行けない日は、俺が代わるって方法もある。現役だった頃とは違って非常勤だから毎日じゃないし、勤務なんかいくらでも融通が利く」

 すると他からも声が挙がった。

「おお!俺も定年退職したし、再就職したけど少しは時間に余裕がある。タッチャンを手伝えるなら、何だってするよ」

「俺も。朝早いのは平気だからな。再雇用といっても大した仕事じゃないし、遣り甲斐なんてそうないから困っていたんだ。この年でタッチャンの役に立てるのなら、なんでもやるさ」

「いいね。関西の面子は無理だけど、こっちにいる奴だったら何人か集まれるじゃないか」

「チッ、何やねん。お前らええな。カミさんに相談して、俺もこっちへ引っ越そうかな」

「せやな。子供らはとっくに手を離れとるし、定年後の人生は社会貢献するタッチャンの手助けをする、っていうのもええかもしれん」

「そんなこと言うたら、カミさんに捨てられんぞ」

「せやせや。俺はとっくに逃げられて一人身やからできるな」

「アホは休み休みに言え。関西の地方都市でずっと暮らしてきた奴らが、六十過ぎていきなりこっちで暮らせると思うなよ。東京を舐めたら痛い目に遭うぞ」

「何や、お前。関東近辺に暮らしとるから言うて、偉そうやな」

「そんなつもりで言ってない。ただ今回は、こっちにいる俺らに任せとけばいいって話だろ」

「アカン。俺らかて、タッチャンの役に立ちたいんや」

「そうや、そうや」

 話が逸れ、関東在住組と関西組の論争が過熱し始めた為、栄太がドスの利いた声を出し仲裁に入った。

「おいワレら、ちょっと静かにせえ。騒ぎすぎや」

「少し落ち着いて、冷静に考えて。辰馬さんもついさっき、思い付きで言っただけだから」

 由美も後に続くと、会場のざわめきは治まった。

「有難うな。みんなの気持ちは、ホンマに嬉しい。せやけど由美が言うたように、まだ思いついたばっかりや。まずは俺と栄太とだけでもやらせてくれへんか」

 辰馬はそう言ったが、周囲はまだ納得しない。

「いやいや、東京在住でその沿線に住んでいる奴だったら、本当に手伝えるよ」

「そうそう。お願いだよ、タッチャン。定年になった俺らを助けると思ってさ」

「未知留ちゃん、どの沿線? おじさんも参加するから教えてくれるかな」

 先程よりは少ないが、それでも東京在住組らしき何人かは、本気で懇願していた。

 経営者で定年がない則夫には分からないが、会社員で既に退職した六十過ぎのおじさんとなれば、そんなにやることがなかったり生き甲斐のないものだったりするものなのか、と驚く。

 もちろん、辰馬の役に立ちたいとの気持ちがあってのことだろう。それでも彼らの本気度には恐れいる。それが伝わったのか、辰馬は渋々ながらも言った。

「分かった、分かった。そこまで言うんなら、無理せん範囲で出来る奴らだけは手伝ってくれたらええ」

「やった! 老後の楽しみが出来た!またタッチャンと一緒にいられる!」

「本当だな! 未知留ちゃん、学校は四月のいつから始まるんだ?」

「そうそう。今からスケジューリングしておかないと」

 どっと歓声が沸き、東京在住組が口々に話し出した為、再び栄太が仲裁にはいった。

「まあまあ、お前らそう熱くなるなって。まだ時間はある。参加出来る奴は、則夫が作ってくれた基金参加者だけがやり取りできるグループラインを通じ、俺に意思表示の通知をしてくれ。どういう段取りでやるかも含め、とりまとめてから後で連絡する

 それを聞き、則夫は慌てた。とんでもない話が、急に現実味を帯びてきたのだ。しかも我が娘の為に辰馬だけでなく、元魔N侍を含めた基金参加者達までも動くというのなら、知らぬ顔は出来ないと思い、急いで言った。

「い、いやいや、人数が多いと大変な作業になりますから、僕がやりますよ。平日の朝は会社に出なくちゃいけないので、まず参加はできませんから、その分やらせてください」

「それはええな。いくら時間が有り余っとると言うても、栄太には荷が重いやろ。そういう細かいことは、則夫に任せといたら間違いない。俺も大学のほうが落ち着くまでは動けん。まずは時間がある奴らで手伝ってくれるんなら助かるわ」

「任してよ、タッチャン」

「そうそう、俺らが未知留ちゃんを痴漢から守るよ!」

「え~、でも俺はタッチャンと一緒の日がいいな」

「あっ、俺もそうしたい」

「俺も!」

 東京在住組が再び騒ぎ出したからだろう。栄太が三度、口を挟む。

「駄目だ。何人協力してくれるか分からないが、ある程度同じ人数ずつ割り振りしなきゃいけないだろ。勝手な要望を聞いていたらきりがない。則夫、今の話は無視すれば良いからな」

 その言葉に則夫は頷いて答えた。

「そ、そうですね。乗車する時間帯や日程を事前に知らせるので、各自参加可能の日や時間帯を申告して下さい。それを元に、遅くても前日までには誰が担当するかを伝えます。ただタッチャンと一緒が良いというのも理解できるので、可能な限り均等に割り振りします」

「おお、いいね。頼むぞ、則夫」

「さすが須和社長! 話が分かる!」

 あちこちからもてはやされた為に則夫が照れていると、由美に頭を下げられた。「ごめんなさいね、須和君。辰馬さんの我儘で、余計な仕事を増やしちゃって。余り無理しないでよ。私も手伝うから、忙しい時はこっちに仕事を振って頂戴ね」

「い、いや、元は娘の話が発端だから。それにタッチャンが社会に貢献したいという初めての行動に絡めるのは光栄だし」

「お父さん、有難う」

「頑張ってね」

 未知留にまで礼を言われ、陽菜乃に励まされて少し動揺する。実は話している途中、仕事に絡むヒントを得て少し試したいと考えていたのだ。しかし今ここでそれを口にするのはやめた。

 それから話題が戻った。

「それにしても、何で痴漢なんてするんやろな。中坊やせいぜい十代の思春期のガキやったら、好奇心みたいなもんかって思えるけど、そういうのとはちゃうんやろ」

 辰馬の問いに、未知留が応じた。

「違いますね。周りで被害にあった子達も、20代位の若い人もいるけどほとんどが中年のおじさんだってますから」

「新学期が始まるタイミングで被害が増えるって話は聞くけど、受験シーズンも多いのよね。私が受け持っていたクラスの女子生徒達の中でも、被害に遭ったそうだから」

「ホンマか、由美。それはなんでや」

「受験当日だと例え被害に遭っても我慢しちゃうからよ。警察を呼んで事情聴取となれば、時間を取られちゃうじゃない。そういう心理を利用して、試験に間に合わないと困るから訴えないだろう、と調子に乗る馬鹿な奴らがいる訳よ」

「それは悪質やな。卑怯もんにもほどがある。腹立つな」

「痴漢って、外国では日本ほど問題になってないって聞いたことがある。電車が異常に混雑するからとか、日本人女性は自己主張しないとか、ポルノビデオの影響とかが原因みたい」

 陽菜乃がそう言うと、由美は首を傾げた。

「そう言われているけど、海外でも痴漢はあるらしいよ。ただ日本は治安が良い国と言われる割に、そういう犯罪が多いって認識みたい。刑事罰が軽いとかも指摘されているけどね」

「そうそう。被害者が告訴しなくても裁かれるようになったのだって、最近だもん。それに被害者が色々証明しなくちゃいけないから、被害届を出しにくいって言うじゃない」

 女性同士の会話に、栄太が申し訳なさそうに言った。

「それはある。最近はそうでもないとはいうけど、泣き寝入りする被害者はまだ多いし、現行犯じゃないと逮捕し難いとか、少なからず冤罪も起こりやすいとか色々要因があってね。あと日本の警察の、性犯罪に対する意識が低いのも確かだ。元警察官として耳が痛い話だよ」


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