第11話 第3章 2024年3月―則夫

「早いもので、私達が高校を卒業して四十三年の時が流れました。それなのに六十一歳を迎える今年、四月から大学生になろうとしているのだから驚きです。あの奇跡の日からも十三年が経過したのですから。今思うと長いようで、あっという間だった気もします。もしここに晋先生がいらっしゃったなら、何と言って喜ぶだろうかと考えますと、」

 則夫がそこまで口にすると、罵声が飛んできた。

「長いんだよ! さっさとせえ!」

「早く飲ませろや!」

 昔の恐怖が蘇り、慌てて言った。

「す、すみません! では乾杯!」

 今度は会場全体がどよめくほどの歓声が上がる。

「乾杯!」

「おめでとう! タッチャン!」

「合格、おめでとう!」

 その後に割れんばかりの拍手が鳴り響く。やはりホテルの大会場を貸し切ったのは正解だった。これだけの騒がしい面子が総勢百名以上集まったのだ。

 しかも年を取ったとはいえ、三割以上がかつて暴走族に所属していた面々である。そんな中、何故自分が幹事をやらされているのか。則夫は改めてビールを注がれたコップに軽く口をつけながら、そう思っていた。

「しばしご歓談を!」

 マイクに向かってそう叫んだが、誰も聞いていないかのような騒ぎに大きく溜息を吐く。しかしそんな則夫に一人の男が近づいてきた。

「幹事、お疲れさん。今日は有難うな」

 声をかけて来たのは、かつて魔N侍の親衛隊長だった担咲栄太だ。思わず恐縮して答えた。

「いえ、栄太さんもお疲れ様です」

「何を。社長の則夫とは違って、もう定年退職した俺なんか、別に疲れてなんかいない」

 彼は昨年六十歳の誕生日を迎え、長年勤めてきた警視庁を退官したばかりだ。しかしその後交番相談員として再就職したと聞いている。

 喧嘩に明け暮れていたあの乱暴者が、警視庁に入ったと耳にした時は信じられなかった。けれど今ではここに揃う元荒くれ者達の中で一、二を争う社会適合者といって良い。則夫にとっても辰馬の取り巻き仲間で、比較的話しやすい相手だ。

 その為、少し肩の力を抜いて尋ねた。

「タッチャンに付いていなくて、良いんですか」

 彼は一度後ろを振り向き、笑いながら答えた。

「あの通り、今はもみくちゃにされているだろう。俺達と違って関西に住んでいるあいつらや後輩達は、辰馬に会うのも久しぶりだ。それこそ意識を取り戻した直後、見舞いに駆け付けて以来の奴らも多い。この場は好きにさせておこうと思ってな」

 昏睡状態でも生え続けていた辰馬の髪は少し白髪交じりになったこともあり、面倒だと刈り上げてしまった今は丸坊主だ。後頭部に僅かだが残る手術痕や高い身長とかつて身を纏っていた佇まいは失われていないせいか、堅気かたぎでない人に見間違えられそうでもある。

 しかし対照的に少年のような澄んだ目をした彼が、取り囲む旧友達と楽しそうに談笑しているその様子は、まるで年季ねんきの入った寺の住職と檀家達が世間話に花を咲かせているようにも見えた。

「そうですね。僕らはいつでも会えますし、合格祝いも発表直後にやっちゃいましたもんね」

 当日は準と竜親子が音頭を取り、彼らの自宅で栄太と則夫に白海夫婦、湯花兄弟と由美の九名が集まって辰馬を労う飲み会を開いた。そしてその場で、基金参加者達を集めての報告会兼謝恩会を開きたいと辰馬が言いだし、急遽会場を抑えてこの日を迎えたのである。

「それにしても突然だったというのに、これだけよく集まったもんだ。料理なんかも結構揃っているじゃないか。お前に任せっきりだったから、これだけの規模になるとは今日初めて知ったけど、相当金がかかっただろう。声をかけるだけでも一苦労だっただろうに」

「声掛け自体はそれ程でもなかったですよ。今はネットが発達していますからね。基金参加者達の名簿を元に、一斉メールを送って出席の返事が来た人を集計しただけですし」

 何らかの理由により匿名で寄付している人でもいいと、ホームページ上でも知らせていた。 晋先生が設立した当初は全て紙ベースだったから、やり取りなども大変だっただろう。

 しかし則夫が会社を立ち上げ業績を伸ばし、寄付額で北目黒家を抜いたのを機に基金の運営を任されてからは、効率的なシステム化を進めている。社会全体でもIT化が進んだこともあり、労力は格段に減ったはずだ。

「金は基金から出てないだろ。会費も取ってない。お前が全部被ったんじゃないだろうな」

「全部じゃないです。白海さんからも支援して貰いましたし、後は当麻さんかな。今年の寄付分をこっちに回しただけですから、そう大した負担にはなってないです」

「健吾は金を出して当然だ。ああ、悪い。それにしても由美が売れっ子作家になるなんてな」

 則夫は苦笑せざるを得なかった。逮捕され罪を償いこれだけ経っても、やはり辰馬を殴った張本人への複雑な思いは消えないようだ。

 しかし被害者である当の本人が目を覚ました後、謝罪を受け入れ水に流すと言っているのだ。しかも寄付をし続け、生かしてくれた大事な人達の一人だと涙を流し感謝していたのだから、則夫達が何か物を言う立場ではない。彼はそれを理解しているからこそ、拭いきれない感情を押し殺し、話題を変えたのだろう。

 則夫はそれに乗っかった。

「五十半ばでのデビューですからね。しかしあれもタッチャンが目を覚ました後、リハビリを頑張る姿を間近で見て、今からできることが自分だってまだあると一念発起した結果です。僕が会社の立ち上げに成功したのも、開発したアプリが好調なのも全てタッチャンのおかげですし、彼女が今あるのもタッチャンの存在があってこそ、です」

「まあ俺達を含め、ここに揃っている奴らは多かれ少なかれ、辰馬に救われた奴らばかりだからな。だけどその中でもお前や由美の、恩に報いる姿勢と実際の貢献度は凄い。特に彼女は、今や辰馬の私生活をも支えるパートナーだ。本当に頭が下がるよ」 

 これには深く頷かざるを得なかった。辰馬が意識を取り戻し、五年に渡る治療と検査、懸命なリハビリを経て無事退院した後、二人は共同生活を始めたからだ。

 というのも辰馬にはきょうだいがおらず、関西に住んでいた両親も既に亡くなっていた。また親戚とも疎遠になっていた為、世話をする人がいなかった。

 これまでは全て病院が面倒を看ており、お金などは基金で賄ったからやってこられたが、退院してしまえばそうはいかない。ちなみに両親から彼への遺産全額も基金に寄付され、そこで管理している。

 しかし金銭面はともかく、退院後どうするかとなった際、手を上げたのが彼女だった。当初は躊躇していた辰馬だったが、眠っていた間の献身的な行動を周囲から聞き、その後のリハビリなどへの犠牲をいとわない懸命な行動を実際目にし、最終的には受け入れたのだ。

 そうした同棲生活は、もう八年になる。その間、由美は教師を続けながら辰馬の食事や世話、社会復帰の為の様々な勉強や、退院後も行っていたリハビリを手伝いつつ、自らは小説の執筆を始めた。そして応募した小説が新人賞を受賞し、五年前に兼業作家となったのだ。その後執筆した作品が人気を博し、二年前に学校を退職し専業作家として今に至る。

 だが二人は籍を入れていない。話によれば、現在も通院による再診などの治療費や生活費を基金で賄っている事情から、不正に流用しているとの誤解を生みたくないからだという。

 以前の単なる一般人とは違い、作家という半公人扱いされる微妙な立場にあるからかもしれない。結婚し相続の権利を得ることで、余計な憶測を呼びたくなかったのだろう。

 実際同居している部屋の家賃は、三分の二を由美が負担していると聞く。食費や光熱費などもその割合だという。残りや治療費などは基金から払われている。そうすることで、内縁の妻扱いの彼女が不正に基金を使っていないと、はっきりさせていた。  

 則夫は高校時代、短期間だが彼女と付き合っていたことがある。辰馬に助けられ、彼を崇拝する同士という共通点がそうさせたが、そんな彼女が今や彼に最も近しいところにいて支えていることを、誇らしく思え、また羨ましくもあった。

 自分には妻と娘二人という家族がいるし、経営する会社もある。働く従業員達やその家族をも養わなければいけない責任だってある。よっていくら敬愛しているとはいえ、彼への支援にも限界があった。だから自分が出来るのは経済的な力添えだけだと割り切り、せめてもの思いで今回の幹事を引き受けたのだ。

 そこでふと気づき、首を振った。

「貢献度が一番高いのは僕や当麻さんじゃなく、やはり北目黒家でしょ。特に晋先生には頭が上がりません。あの人がいなければ、間違いなくタッチャンは死んでいたでしょう。今この場にいないのが残念でなりません」

 二年前、病により亡くなったのだ。八十九歳という年齢からすると止むを得ないかもしれないけれど、もしここにいればどれだけ喜んだかと思わざるを得ない。

 また既に祝いの会を主催した準達は、多忙なこともあり今日は欠席している。だから先程乾杯のスピーチの際、その点に触れようとしたのだが邪魔されてしまったのだ。

「ああ、そうだった。あの人や準がしっかり見守ってくれたからだよな。それと辰馬がこうして元気でいられるのは、竜のおかげでもある。親子三代で凄い事だ」

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