第2話 名前

「ワアッ!」

白木の蓋を開けるなり、少女はビックリして後ずさった拍子に尻餅をついた。


「ニ、ニンゲン・・・」


しばらくその場から動かず様子を見ていたが、箱から何も出てこないので、少女は恐る恐るもう一度棺に近づき、中を見た。


「ドウシテ ウゴカナイ?・・・キレイナカミ。キラキラヒカッテル。」

少女は手を伸ばし、金色に光る髪の毛を触ろうとした。


「う、ううっ、」


「ワア!」

ミハイルのうめき声に、またビックリして後ずさる。


だが、少女はミハイルの顔に赤い発疹が広がっているのを見てしまった。


「ビョウキ? ミウト オナジコドモナノニ カワイソウ・・・」


少女は白木の箱を動かそうと、力を込めて押してみたがびくともしなかった。


仕方なく、ミハイルの両わきに腕を回し、思いっきり引っ張って箱から出した。そしてずるずると引きずりながら、ミハイルの身体を運ぶ。


ずるずる引きずり、引きずった分だけ真っ赤な花は押し倒され、ミハイルが引きずられた後は、真っ赤な海に細長い道ができたようであった。




少女がミハイルを引きずって連れて行った先には、丸太で作られた家があった。


家の周りにも赤い花が咲いている。その花に囲まれるようにしてその家は建っていた。


壁は木の幹の皮をそのままに積み上げ、部屋の中が明るくなるように大きな窓が一つついている。屋根はこの森でとれる茅を葺いて作られている。


家の中は、床のないむき出しの土間に、台所とテーブルとイス二つ、そしてベッドも二つ。隣にはドアを隔てて物置部屋が作られている。


少女は二つのベッドのうちの一つに、ミハイルを寝かせた。


「ふう・・・」

少女は額から流れる汗を腕で拭い、息を整え、ミハイルを見る。


ミハイルは、額に油汗を浮かべ、ハアハアと苦しそうな息遣いで、時々ううっとうめき声をあげている。


とても苦しそうなミハイルの額を、少女は水で湿らせた手拭いで拭いた。


それから少女は台所からナイフを持ち出し、自分の手首に傷をつけた。傷口から、たらりと青い血が滴り落ちる。


少女は、ミハイルの口を指でこじ開けると、手首から流れる青い血を、ポタリとミハイルの口に落とした。


ポタリ、ポタリと血はミハイルの口に吸い込まれていく。


「フウ・・・」

少女の顔に疲労感がにじみ出る。


傷口に包帯を巻き、血止めをしてから、少女はまるで自分を力づけるかのように少年の金色の髪をなでた。


「キレイナカミ・・・ キラキラシテル・・・」


水を飲み、しばらく休憩してから、少女は包帯をほどき、同じことを繰り返す。


青い血が流れるたびに、少女の顔がだんだんとやつれていく。


「ナニカ タベナクチャ・・・」

重い身体を引きずるようにして、台所の棚に置いているリンゴとナッツを食べた。




少女の献身的な看病の結果、三日後にはミハイルの発疹は消え、元の美しい肌に戻った。

熱も下がり、呼吸も安定している。


「ヨカッタ・・・ モウ ダイジョウブ・・・」

少女はほっと胸を撫で下ろす。


やつれた顔に安堵の表情が見えた。


ミハイルを嬉しそうに見つめる少女の頬はこけ、疲労感は半端なかったが、それでも目を細めて、いたわるようにミハイルの髪をなでた。


それから少女はミハイルの顔を拭いたり、髪を櫛ですいたりして世話を続けた。


「うーん」

ミハイルがぱちりと目を開けた。


「あっ・・・」

少女は、慌てて顔を拭いていた手をひっこめる。


その瞬間、大きく尖った耳がシュルシュルと小さく丸くなり、水色の肌が白くなった。


白い髪はそのままであったが、見た目は人間と変わらない姿である。


「あれ? ここは?」

ミハイルは自分が置かれている状況がつかめず、ベッドの横で驚いた顔で自分を見つめる少女に問うた。


「ココ? ミウノイエ」


「ミウの家?」


「ソウ・・・」


「って、君はだれ?」


「ミウ」


「ミウ?」


ミハイルは周りを見回し、小さな小屋にベッドが二つあり、その一つに寝かされていたことに初めて気がついた。


「そうか、ここはキミの家で、キミの名前はミウって言うんだね。僕の名前は・・・あれっ?」

少年はそれ以上言葉を続けることができなかった。


「・・・僕の名前? あれ? 思い出せない。僕は、いったい誰?」

少年は病気の後遺症だろうか、すっかり名前を忘れ、思い出せないでいた。


「どうしよう・・・僕、名前を思い出せない・・・ねえ、キミは僕の名前知ってる?」


「シラナイ」


「そうだよね。知るわけないよね。僕、これからどうしよう・・・」


「アナタノナマエ リウ」


「リウ?・・・知らないのに僕の名前がリウだって?」


「シラナイカラ イマ ツケタ。アナタノナマエ リウ。ハナシスルノニ ナマエ イル」


ミウの発する言葉は幼子のように舌ったらずで、言葉の一つ一つが切れ切れだ。


「僕の名前はリウ・・・わかった、僕、名前を思い出すまで、リウ・・・だね。」


この瞬間から、ミハイルの名前はリウになった。


「ところで、ここはどこ?」


「モリノ ナカ」


「おうちの人は?」


「トウサン シンダ。ダカラヒトリ」


「お母さんは?」


「カアサン ミウ ウンデ シンダ」


「ごめん。悪いこと聞いちゃったね。」


「ワルイコト?」


「ああ、ごめん。君が気にしてないんだったらいいんだ。ところでキミ、僕と同じ年くらいなのに、こんなところに一人で住んでるの?」


「ココハ アンゼン ヒト コナイ。ヒト コワイ」」


もしかして、いじめられてたのかな? 

だからこんなところに住んでるのかな?


リウの心に、好奇心と疑問が次々と浮かんでくる。


「ミウ、僕はどうしてここに寝かされていたの? それも思い出せないんだ。森の中で迷ったのかな?」


「リウハ ハコノナカニ ハイッテタ。キレイナ シロイハコ」


「箱の中に?」


「オモクテ ハコベナカッタカラ マダソコニアル」


「本当に? ミウ、案内してくれるかな?」


ミウは、リウを棺の置かれている場所まで案内した。


しばらく歩くと開けた草原に出たが、見渡す限り真っ赤な花が咲いている。


「わあー、ここは真っ赤な花だらけだ。こんな景色、見たことないや。」


「リウ コノハコノナカニ ハイッテタ」

ミウは白い箱に指をさす。真っ赤な花の海の中に浮かぶ白い舟のような棺に・・・。


「えっ? こ、これは、棺だよ。僕、この中に入ってたの? ぼ、僕、死んでたの?」

棺を見て、意味がわからず、リウは顔をこわばらせていた。

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