第9話 呪術封鎖兵の襲撃/線の外側にあるもの

夜の学園は、やけに静かだった。


 寮の灯は落ち、校舎の魔術灯だけが淡く青い光を広げている。

 その中を歩くと、靴音がやけに大きく響いた。


(処分会議は“保留”。敵派閥にとっては最悪の展開だ)


 だからこそ、次の手を早めてくる。

 会議で折れなかった以上、“外側から潰す”方向へ舵を切るはずだ。


(来るなら……今夜だな)


 剣の層が、鞘越しに微かに震えている。

 魔力の流れではない。

 もっと“深いところ”の反応だ。


 因果の縫い目に触れる直前の手触り。


(段階1の光膜……まだ完全には安定していない)


 昨日の結界事件で強制的に引き出した光膜。

 本来なら、もっと後のレベルで触れるはずだった力。


 扱いを誤れば、自分の線まで削る。


 だが──


(今夜は、迷っている余裕はない)


 寮の外の芝生に出たとき、空気がひとつ歪んだ。



 音もなく、三つの影が降りてきた。


 黒い軽装鎧。

 顔を覆う仮面。

 腰には細身の呪符束。

 足の運びに、殺気はほとんどない。


(呪術封鎖兵……前世では王都イベントで初めて出た連中だ)


 本来なら学園レベルの事件には出てこない“外部戦力”。

 敵派閥がどれだけ焦っているかがよく分かる。


「リュクス=ハルト。命令により拘束する」


 感情のない声。

 人間というより、処理装置に近い。


 同時に、三人の周囲に“膜”が張られた。


 魔術結界ではない。

 もっと重く、粘度の高いもの。


(呪術封鎖──魔力の流れを遮断し、行動予測を奪う系統か)


 身体の感覚がわずかに重くなる。

 魔力操作の速度が半分以下に落ちる。


 といっても、普通の生徒なら“魔法が使えない”だけで済む話だが──


「剣士相手に魔術封じか。悪手だな」


 俺は剣の柄に触れた。


 その瞬間。


 視界の奥で、線が広がる。


 敵三人の体に通っている魔力の流れ。

 呪符に刻まれた結び目。

 封鎖膜の支点。

 そして──

 そのすべてをまとめて支えている“中心線”。


(この膜の構造……雑だな)


「拘束開始」


 三人が一斉に踏み込む。


 一撃目は手刀。

 腕に呪符を貼り付け、魔力経路を“固定”するための攻撃。


 二撃目は足払い。

 三撃目は首元への呪符射出。


 同時三方向。

 呪術兵の典型的なコンビネーション。


 普通なら、一発でも食らえば“動けなくなる”。


 だが、俺の視界には──

 三つの攻撃線を束ねる“母線”が一本見えていた。


(この一点を折れば全部崩れる)


 鞘のまま、横払い。


 金属の音はしない。

 だが、“線が欠ける”感覚だけが手に伝わった。


「っ……!?」


 三人の動きが一斉にずれる。


 手刀は俺の肩を掠めず、空を切る。

 足払いは地面を掘るだけになる。

 呪符射出は軌道が逸れ、遠くの樹 bark を焦がした。


(攻撃と支点を結ぶ“流れ”を切っただけだ)


 反撃に移る。


 一歩踏み込み、最も近い呪術兵へ。

 腕を狙う必要はない。


 胸の中心を横に撫でるだけ。


 ドン、と空気が揺れ、兵が後ろへ吹き飛ぶ。


(膜ごと剥がれたか)


 封鎖膜を支えていた“結び線”が切れ、

 呪符の効力が一瞬で停止している。


「……想定外。対象の能力、危険度再評価」


 残り二人が距離を取り、呪符を複数展開する。


 空中に淡い文字列が浮かぶ。

 呪術特有のねじれた魔力。

 魔術とは違い、効果の発動源が“因果方向”に寄っている。


(やっと“見せ場”か)


 剣を抜く。


 青白い光膜が、刃の内側に薄く揺れた。


 昨日より濃い。


(段階1……まだ不完全だが十分だ)


「──呪術固定陣、発動」


 二人が同時に呪符を投げる。


 空中に浮かんだ陣が回転し、

 俺の足元に“冷たい重さ”が落ちてきた。


 魔力ではない。

 もっと“外側”から圧迫される感覚。


(これが“因果固定”か)


 前世のゲームでも数度しか見なかった。

 相手の行動可能性を“固定”し、選択肢を奪うタイプ。


 剣を握る指先が少しだけ痺れる。


 だが──


「悪いな。これは逆に……分かるようになった」


 視界の端に、“太い三本の線”が浮かんだ。


 一つは、俺を固定しようとする呪術の中心線。

 一つは、その効果を維持するための“循環線”。

 もう一つは──

 呪術兵自身の生命線と繋がっている“代償線”。


(代償型か。なら、ここを切れば──)


 光膜を帯びた刃を、地面すれすれに水平に払う。


 金属音はない。

 呪術陣が、ぱん、と破裂する。


「っ……!?」


「固定が……切れた?」


 呪術兵たちの顔に初めて焦りが生まれた。


 その瞬間、俺は距離を詰める。


 一撃。

 ただし斬らない。


 刃の先端で、胸元の呪符を掠める程度。


 だが──

 呪符の内部に刻まれた“因果拘束の始点”だけが切れ、

 呪術構造が一気に崩壊する。


「がっ──!」


 二人の膝が同時に崩れた。


 呪術は、本来自分の生命線を少し削って効果を出す技法。

 俺が切ったのは、その“繋ぎ目”だった。


(本来なら、見えるはずのない場所だよな)


 剣の層が、いつもより静かに揺れていた。


 まるで

 ──「ここから先が段階2だ」と告げるように。



 倒れた呪術兵たちは、まだ意識がある。


「……対象、危険度……最上位……」

「報告……必要……」

「家門……計画……修正……」


 断片的な言葉。

 だが、十分だ。


(“最上位”か。扱いが一段上がったな)


 敵派閥は、今夜の結果を受けてさらに強い手を打ってくる。

 それでいい。

 むしろ望むところだ。


 呪術兵を無力化した時点で、処罰対象は“完全に敵側”へ移る。


 学園結界事件。

 呪術による学園襲撃。

 そして生徒への危険行為。


(これで、処罰会議はもう俺を断罪できない)


 あとは、敵の虚偽証拠を“因果ごと断つ”だけだ。



 寮へ戻る途中、剣を鞘に納めながら、深く息を吐く。


 刃に灯っていた光膜が、まだうっすらと残っている。


(段階1……安定してきたな)


 だが、油断はできない。


 今日の戦闘中、

 刃がわずかに“未来の線”に触れた感触があった。


 つまり──

 段階2の入口に触れかけている。


(焦るな。まずは段階1の制御からだ)


 視界の端で風が揺れる。

 どこかで、誰かがこちらを見ている気配。


(監視が増えるだろうな)


 王都。

 三家門。

 そして──エリシアの家門。


(全部まとめて来い。斬り分けてやる)


 寮の灯が見えてきた。


 剣の層は、静かに、しかし確実に震えていた。

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