第10話境界の裂け目

森の空気が、明らかに変わった。


核影が息を潜めている──

そんな気配が辺り一帯に染みこんでいる。


風が吹いていないのに、

木々の葉がひそひそと震えていた。


ルフェリアは剣を構えながら言った。


「シン、さっき深層で見た“影”……

 あれはあなたを知っていた。

 まるで……あなた自身のように。」


「……俺、なのか?」


「違う。

 けれど、“あなたの形が必要だった何か”よ。」


意味は分からなかった。


でも、一つだけ確信できることがあった。


(俺の中の“何か”を呼んでいる)


――戻ってこい。


その声が、森の奥へと俺を引っ張る。


足が勝手に動いた。


「シン、待っ──!」


言葉より先に、森の地面が低く唸った。


“ぐらり”


視界が一瞬だけ揺れ、

地面の下から黒い粒子が噴き上がる。


核影が動いたのだと直感した。


「来る……!」


ルフェリアの声と同時、

森の暗がりから“黒い腕”が伸びてきた。


腕、というよりも――

人の形を模した“感情の塊”。


怒りの赤。

悲しみの青。

恐怖の紫。

嫉妬の緑。


それらが、一本の腕の中で蠢いていた。


「……コアが……分裂してる?」


ルフェリアが青ざめる。


影は俺の胸めがけて飛んできた。


避ける時間はなかった。


反射的に、構造視を開いた。


視界が一気に広がる。

森の層が透けるように何枚も重なり、

影の“線”が鮮明に浮かんだ。


(……見える……!)


影の腕の中心、

黒い核に向かって、線が絡み合っている。


一本一本が“感情そのもの”で、

どれか一本を断てば崩れる。


本能が叫んだ。


(紫……恐怖の線……そこが弱い!)


腕が触れる寸前、

俺は紫の線に意識を集中させた。


“ビキッ”


音を立てて線が裂けた。


影の腕が爆ぜ、黒い粒子になって消える。


ルフェリアが驚いた顔を向ける。


「シン……今の……!」


「分かったんだ。構造が。」


自分でも、何を言っているのか分からなかった。

けれど“見える”のだ。


影の構成、感情の結びつき、弱い部分。


まるでずっと前から知っていた仕組みのように。


ルフェリアが震えた声で言う。


「そんな……構造視で“感情素”まで視えるなんて……

 普通は、精霊族でも無理なのに……!」


そのとき、森がさらに深く唸った。


さっきの腕とは比べ物にならないほど巨大な影が、

森の奥で蠢いていた。


核影の本体。


黒い霧が森全体に広がり、

空気が“痛い”と感じるほど濃くなる。


視界の奥で、巨大な“穴”が揺れた。


まるで森の中心に空間そのものが食い破られたような、

真っ黒な空白。


(……あれ……深層で見た……影の“穴”だ)


ルフェリアが剣を握る手を強く震わせた。


「シン、聞いて。

 あれは……コア・シャウルじゃない。


 もっと……もっと深い。

 “原層影(オリジン・シャウル)”……!」


「オリジン……?」


「深層のさらに下。

 “存在が生まれる根”に、直接触れてしまった影……!」


黒い穴が、こちらを向いた。


世界がひとつ、呼吸を止めたように静まり返る。


穴の中心で、

“影の俺”がこちらを見ていた。


深層で見た“影のシン”と同じ形。


いや──

より鮮明に、より“俺らしく”。


「ようやく……追いついたね」


俺の声で、影が言った。


鳥肌が一気に立つ。


世界が歪み、

影の世界とこの世界がゆっくり混ざり始めた。


ルフェリアが叫ぶ。


「シン! 下がって!!

 あれはあなたを“取り戻し”に来てる!!」


取り戻す。


その言葉が頭の奥深くに刺さる。


影が一歩、前に進んだ。


黒い粒子が雨のように落ちてくる。


「帰ろう。

 “本当の世界”に。」


視界が揺らぎ、


空間そのものが裂けた。


(……っ──!!)


俺は、影の俺と“目が合った”。


世界が、沈む。

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