第8話 影の核

森の奥から、黒いノイズが小さく震えた。


最初はただの揺れだった。

けれど、俺の視界の“線”はそれを捉えて離さない。


黒い粒子が地面の下を這い、

根のように細く広がり、

そのどれもが“ひとつの場所”へ集まっている。


(……なにかが、ある。)


ルフェリアが辺りを注視しながら言う。


「未処理の感情がね……溜まって歪むと“影(シャウル)”になるの。

あれは誰かの心の残骸。

純粋な怪物じゃない。」


胸が冷える。


「でも最近は……“ただの影”じゃ済まない歪みが多いの。

まるで何かが煽っているみたいに。」


そのときだった。


森の奥で“ぎゅる”と音がした。


黒い線が一斉に震え、

地面の下から瘴気のような揺れが吹き出す。


俺の構造視が勝手に反応した。


(……深い……これ、ただの影じゃない)


ノイズではなかった。

明確な“線”だった。


線は全部、森の一点に集まっている。

まるでその場所に“核”があるみたいに。


「シン。何が見えてるの?」


ルフェリアが近づく。


「……怒りの裏に、黒い線が……

全部ひとつの場所に刺さってる。」


「刺さってる……?」


その言葉にルフェリアの顔色が変わった。


「それ……“核影(コア・シャウル)”かもしれない。」


「核……?」


「影の中心に溜まった“未処理の心”。

普通の影よりはるかに危険よ……!」


空気が急に冷たくなる。


風も止まり、

森の粒子たちがざわりと怯えるように揺れた。


黒い線はさらに濃くなり、

中心の塊が輪郭を持ちはじめる。


その姿は、人の形にも、獣にも見えない。


ただの揺れ。

ただの歪み。

ただの“心の破片”。


だからこそ、恐ろしかった。


(これは……怒りだけじゃない。)


俺の構造視は、そこに混ざっている色を読み取った。


赤(怒り)。

青(悲しみ)。

紫(恐怖)。

緑(嫉妬)。

そして──黒い空白。


「……全部混ざってる。」


「え?」


「感情素が……全部。

悲しみ、怒り、恐れ、嫉妬……

どれも“処理されないまま”濁ってる。」


ルフェリアは息をのんだ。


「そんな……そんな状態、普通ありえない……

誰かの心が壊れかけてる……?」


黒い塊がゆらりと持ち上がる。


穴のような空白は、

見るだけで胸の奥をぎゅっと締め付けてくる。


視線のような“向き”が、こちらに向いた。


(……見られてる)


色が消える。

音が遠のく。


脳の奥底を直接撫でられるような、

そんな感触。


「くっ……!」


ルフェリアが俺の腕に触れかけ、

しかし“触れない距離”で制止した。


「シン、下がって!

深層に触れる……!」


黒い核が脈動する。


怒りの稲妻が空を割り、

森の影が吸い込まれるように震え──


裂けた。


黒い粒子が飛び散り、

核の中心が更に深い“穴”を露わにする。


(これ……原感情の影……?)


視界の奥に、

得体の知れない“根”が揺れた。


その揺れが俺に引っかかる。


まるで──呼ばれているように。


ルフェリアが叫ぶ。


「ダメ! シン、それ以上見ちゃ──!」


視界が白く弾けた。


光と影が交差し、

全身が浮き上がるような感覚に包まれた。


世界のどこか深い場所が、

俺の名前を呼んでいた。

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