第6話
ハルたちとの約束の日、俺は懐に下水道台帳図を忍ばせ再び壁を越えた。傘を差してもびしょ濡れになるほどの激しい雨が降っていたが辺りは相変わらずの臭気だった。外出制限時間ではないが通りに人はいなかった。雨が落ちるたびに茶色い汁が跳ねておりロックダウンを免れてもここはこのまま疫病とかで壊滅するんじゃないだろうかと思われた。
壁を超えるに当たり、短期間での二度目の申請となった。これで中央の目についていないはずがなかったが、俺が拘束されていないところをみると俺と彼の繋がりにたどり着くまではまだ猶予があるようだった。
あの日、俺がハルたちに語った計画について思い返す。
当該地区の西隣には知能指数が最も高い住民が集められた地域があった。そしてその地域と当該地域とで下水管が隣接する区画があることを知っていた。下水道台帳図があれば、最も二つの下水管が接近するポイントも分かるはずだった。
それが分かれば、地下を最短距離で掘り進めさえすれば、理論上、“糞の交換”ができるはずだった。つまり隣接地域の奴らの上品な糞と当該地域の奴らの下品な糞を交換して、中間の糞を作る。つまり当該地域のCRI濃度を薄めてやることができるのだ。交換できる糞の量はおそらく全体の一割に満たない程度だろうが、それでもCRIを閾値以下まで下げられる可能性は十分あった。あとは時間との闘いになる。思えばこの計画は俺が発案したようで何らかの手段でハルたちも考えていたのかもしれない。そうでないと彼らが下水管のあの場所にいた説明がつかない。
「この地域は頭は悪いが腕は立つ職人肌の人間が多い。人手さえ集められればきっと間に合う。このままだとどうせ全員死ぬんだ」
その後、マンホールの地下で合流したハルは言った。次のCRIまではあと二週間もなかった。
掘削箇所付近に大量のツルハシが持ち込まれているのを見たときは気が遠くなりかけたが、奥にはアースオーガ(穴掘機)が何台か置かれていた。糞の流れ込む糞環境のなか、これで百メートルほどの距離を掘削し糞の流れを変えるのに何日かかるか、俺には皆目見当もつかなかった。
「始めようか」ハルが言った。他にもこの間下水管にいた数人と、さらに六人程度の男がいた。約七十人の男女が交代でこの糞穴に潜り日夜を問わず作業するらしい。ノラの姿は見えなかった。
「その前に、例の子はどうなった?」
「佐々村サシャか。そっちはノラが探している。もう少し待て」
「そうか」俺はツルハシの一つを手に取った。アースオーガは扱える気がしなかったし、単純に酒しか飲んでいない体には重たすぎた。「じゃあ始めるか」
しばらく下水道台帳図と睨めっこをし、ポイントにツルハシを突き立てようとした瞬間だった。
「お前ら一人も動くな」
無視して振り返るとそこには所長が立っていた。手にはワルサーPPP。ディストピア社会のために作られたような形状の拳銃だ。
「どうしてここに?」俺は言う。
「反乱分子の背中に穴を開けるために決まってるだろ? 勤務中、ずっとお前の背中を見ていたよ。いつか穴を開けたかったが、ようやく夢が叶う」
やはりこいつはとんでもない変態だった。俺は口を開きかけるが、次の瞬間には銃声が響いていた。熱を感じたと思えば俺の脇腹の肉が弾け飛び血が溢れてきた。茶色い汁の中に前のめりに倒れる。糞の粒々が目や鼻から入ってくるが、あまりの激痛に気にする余裕もなかった。口の中にとてつもなく不快な苦味が広がり、俺は辛うじてそれを吐き出した。
糞で溺れかけていた俺はハルに支えられ辛うじて膝立ちになった。
「ころさないで」
俺は懇願するが、その姿を見て所長は高笑いを始めた。楽しくて仕方がないようだった。ふと、俺は膝に振動を感じた。振動は少しずつ大きくなり、ハルや所長も何かが起きていることに気づいたようだった。
だが、気づいたときにはもう遅かった。この下水管は雨水も合流している。激しい雨が降った直後は雨と糞のブレンド鉄砲水が管内を蹂躙していたのだった。驚愕の表情を浮かべた所長が鉄砲水に数メートル吹き飛ばされるのを見た直後、俺も同様に吹っ飛ばされ気を失った。
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