第2話 たどり着いた場所、たどり着いた世界

 古びたコンクリートの壁にぽっかりと、大きな口を開けた暗がりが広がっています。せっかちな街灯の明かりも、入り口の手前までしか届いていません。深い闇が、気前よく墨汁を半紙にぶちまけたときのように、私のほうをじっと見ています。


 暗がりの周りでは、緑色のツタがうっとうしいくらいに自由気ままに伸びていて、長い期間に渡って、手入れがなされていないことを物語っていました。


 怖がりな私からすると、こういう自然に侵食された場所というのは、ちょっぴり不気味です。……あくまでも、ちょっぴりです。だって、幽霊とか出そうじゃないですか。ゆ、幽霊ですよ?


 トンネルの入り口には、錆びた注意書きの看板が斜めに立っています。すでに文字はかすれてしまっていて、私では読むことができません。中から吹き出して来る風は、冷蔵庫のようにひんやりとしていて、ずいぶん涼しげというか、夏の終わりという季節感がありませんでした。……幽れ……ごほんごほん。


(こんなトンネル、あったっけ?)


 何年もここに住んでいる割に、地元の地理について、実はあんまり知らなかったことに、私は少し恥ずかしさを覚えていました。トンネルの不気味さには抵抗を感じましたが、声がこの先から聞こえて来ていることは、何度も確かめたので間違いありません。


 気合いを入れるために、ふっと短く息を吐いた私は、えいやという気持ちで足を伸ばしたんです。どうか何も出ませんように。


「……」


 外からですと、ほんの数歩で抜けられるような、短い距離に見えていたんですが、いざ中へと足を踏み入れますと、怖いくらいに外の音がすっと遠のいていました。うるさいくらいだったセミの音も、心地よかった川のせせらぎも、今ではすっかりと消えてしまって、私の妙に生々しい足音だけが、硬い壁に反響しています。……どうして、反響する足音って不気味さをあおるんでしょうか。やめてほしいです。


 湿った石のにおいが鼻を刺激します。

 ぽたり。

 頭上から脈絡なく落ちた水滴が頭にあたって、私は思わず、声にならない悲鳴を上げていました。


(もう……やだ)


 出口の細い光はあんまり頼りないですが、それでも、私はそこへと向かって足を速めます。むやみに早歩きなんかしたせいで、捨てられていた空き缶を思いきり蹴飛ばしたらしく、場違いなほどに明るい音が辺りに響き渡りました。


 なんだか無性に怖くなった私は、なおさら足を速めます。もうほとんど、走っていました。1秒でも早く外に出たかったんです。来た道を戻るという選択肢は、私にはありませんでした。


 このときの浅はかな私の行動を、未来の私としては𠮟るべきなのか、それともよくやったと褒めてやるべきなのか、いかんともいいがたいです。確かなのは、この私の軽はずみな行動によって、私の未来が大きく変わったということだけでしょう。……え、いい方向に変わったのか? やだな、そんな難しいことを私に聞かないでくださいよ。ま、まあ……イケメンには出会えました。


 まぶしさに私は目を細めます。

 トンネルの先に現れたのは、戦場でした。


「えっ――」


 さすがに、予想外すぎて、驚きの声が隠せませんでした。

 切り立った崖の上。

 私の視線の下では、きらびやかな武具を身にまとった男の人が、大勢で争っていたんです。赤茶けた崖の下から届く、剣と剣が打ちあう金属音は、私の耳を鋭く刺していました。


 しばらく、私は呆然としました。

 馬の上。

 銀の甲冑を着ている方が、腕で何かを指示したのが見て取れます。甲冑の隙間からは汗が飛び、馬のいななきが地面を震わせていました。その隣では、びりびりに裂けた青い旗が、気だるげに風と踊っています。


 刃同士がぶつかり、火花が散ります。

 吹きあげた風が、私のもとまで乾いた砂埃と、鉄と何かの焦げたにおいを運んで来ました。何が焦げたものなのか、においの正体はあんまり知りたくありません。


「何よ……これ」


 私は思わず、拒むようにあとずさっていたんです。

 このときはまだ、戦に対する怖さは感じていませんでした。驚きと、異常に対する恐れのほうが強かったんです。


 膝が笑っていました。大爆笑です。

 目の前で起こっていることだというのに、自分の見ている光景が、私にはまるで信じられなかったんです。

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