第8話 魂が還る夜
慰霊祭の夜。村の広場は、人で埋め尽くされていた。
村の三分の一を奪った流行り病。その犠牲者たちを送る、最後の儀式。
リリアは、シルヴィの淡い緑色のワンピースを着ている。
トーマスが、隣に立つ。
村人たちが、ランタンに火を灯し始める。一つ、また一つ。温かな光が、闇を照らす。
「姉さん……」
トーマスが、小さく呟く。
「見てる?」
リリアは、小さく頷いた。
(……きっと、見てくれてる……)
トーマスが、小さな手でリリアの手を握る。遠慮するかのように。恐る恐る。
リリアは、力強く握り返した。
言葉はいらない。トーマスが、小さく笑う。
ランタンが、空に昇り始める。
一つ、また一つ。火のついたランタンが、夜空に浮かぶ。
美しい光景。村人たちが、静かに祈る。
トーマスも、目を閉じて祈っている。リリアも、そっと目を閉じた。
(……安らかに……)
静かな時間。
穏やかな夜。
ランタンが村の境界を越えていく。
いつかたどりつく──魂の還る場所へ向かって。
ゆらり、ゆらり。
一つ、また一つ、ランタンの灯りが夜の闇に溶けていく……
その時――
風が止んだ。
闇の中で何かが動いた。
リリアがそっと目を開ける。村の外から、何かが近づいてくる。
ランタンの光に引き寄せられるように。
「……何だ、あれ……?」
影が近づいてくる。一つ、また一つ。
数が多い。
悲鳴が上がった。
「ゾンビだ!」
「死者が……蘇った!」
腐った死体が村に侵入してくる。よろよろと歩く。
でも確実に。家族のいる場所へ。
土葬された死体は、ごく稀にアンデッド化する。
この世界では火葬が基本だが――
伝染病、大災害、戦争で犠牲者が多すぎる時、火葬は追いつかない。
今、その代償が、村を襲っている。
パニックが広がる。
「逃げろ!」
「武器だ! 何か武器を!」
一人の村人が、祭りの装飾から角材を剥ぎ取る。ゾンビに立ち向かう。
「来るな! 来るなァ!」
村人が角材を振り被る。
振り下ろそうとした――
その時。
ゾンビの顔を見てしまった。腐敗した顔。でも、見覚えがある。
「……そんな……」
村人の手が止まる。
「……おふくろ……?」
声が震える。
「……嘘だろ……」
角材が震える。振り下ろせない。
「殺せない……」
「殺せるわけ、ないだろ……!」
腐った女性のゾンビが、そのまま村人に手を伸ばす。
抱きつこうとする。生前の記憶のまま。
愛する息子へ。
同じ光景が、あちこちで起きていた。
「父さん……!」
「兄貴……やめてくれ……!」
「殺せない……!」
そんな中、腕を前に伸ばさずに近づく女ゾンビがいる。
胸の前で腕を丸め、まるでそこに小さな命があるかのようにゆっくりと揺らしながら……
感情を失ったはずのゾンビが、なぜか目を細め微笑んでいるように見える。
腐った指先が、見えない何かをあやすように動く。
「来るな! この子は……まだお前のところに行かせるわけにはいかない!」
村人たちが武器を構えたまま――
動けなかった。
ゾンビたちが、それぞれの家族に向かっている。
家族。親しい隣人。生前、愛していた者たちへ。
「魂の執着」――
上位アンデッドの能力。
支配下のゾンビに生前の記憶を共有させ、愛する者へと向かわせる。
だが、それは死体にこびりついた魂の残渣──
感情も想いも伴わない。ただ「そうであった形」が歩くだけだ。
そして抱きつき、噛みつき、仲間を増やす。
この能力を持つ者を倒さない限り、呪いは解けない。
ゾンビの群れの中心――
一体だけ、異質な存在がいた。
腐敗した身体。だが、髪だけは美しいライトグリーンのまま。
トーマスの息が、止まった。
「……姉さん……?」
シルヴィだ。
ワイト――埋葬された死体に霊体モンスターが憑依した上位アンデッド。
周囲の死体をゾンビ化させる。
流行り病で亡くなった200人を蘇らせたのは、シルヴィだ。
シルヴィがトーマスに手を伸ばす。
「姉さん……!」
トーマスが震える声で言う。
「姉さん、僕だよ……!」
「トーマスだよ……!」
「やめて……!」
シルヴィは答えない。ただ、手を伸ばし続ける。
トーマスは動かない。
リリアがトーマスの前に立った。
「誰も……誰も、死なせたくない……!!」
光が彼女の前に集まり、何かが具現化していく。
そして――
六本の筒を持つ鋼の守護神がリリアの前に舞い降りる。
リリアがハンドルを回す。
ガコン!
歯車かみ合う音がした。無慈悲な守護神が咆哮を上げる。
"ズドドドドドドドッ!!!"
ゾンビの群れが一つ――消えた。
体液が飛び散る。肉片が舞う。
「……助かった……?」
でも――
残りのゾンビは、まだ迫ってくる。
シルヴィも。
リリアが、再びハンドルを回そうとした――その時。
「待て!」
長老の声が、夜の闇を裂いた。
「撃ってはいかん!」
リリアの動きが止まる。
「50年前……わしが若い頃……同じことがあった……!」
「死者が蘇り、村を襲った……!」
「体液が飛び散れば……感染が広がる……!
人だけでない、家畜も、森の獣も、ネズミまでも……!」
「どこへ逃げても無駄じゃ。風に乗り、土に染み、地下水にまで入った……!」
「土地は腐り、誰も住めぬ地になった……」
「2年後、王立魔導院がようやく駆り出され……ようやく、終息したんじゃ……」
長老は杖を突き、叫ぶように振り向く。
「撃つな! 撃ってはならん!!」
まるで、50年前の惨劇を、そのまま思い出したかのような叫びだった。
夜気より冷たく、重く沈む声だった。
ガチッ──
握っていたハンドルが、まるで呪いみたいにリリアの手を縫いとめる。
リリアの顔から血の気が引く。
(……感染……!?)
でも、ゾンビは迫ってくる。
シルヴィが、トーマスへと、もう手を伸ばせる距離まで来ていた。
リリアの指の間に、じわりと汗がにじむ。
冷たくて、粘つく“嫌な汗”。
金属の取っ手が、手のひらでぬるりと滑りそうになる。
撃てば助かる――
でも撃ったら、土地が滅ぶ。
喉がひきつり、呼吸が浅くなる。
(どうすれば……どうすればいいの……?)
周囲のざわめきが遠のく。
視界には、迫る影と、固く握りしめたハンドルだけ。
リリアは、鋼鉄の守護神を構えたまま――
動けなかった。
(……撃たなければ、みんなが……死ぬ……)
(……でも、撃ったら……感染が……広まる……)
人を救いたい――
その想いに、初めて“迷い”が生じた、その瞬間だった。
“ヒーラーの想いをつなぐ”力の源が、かすかに揺らぐ。
脳裏に流れ込んでいた誰かの記憶――
白いコートのような上衣、髭をたくわえた、どこかの世界のヒーラーらしき男性。
その姿が、ふっと霞んで、消えた。
そして。
リリアの前にそびえていた鋼の守護神の
黒光りしていたその輝きが弱くなる、そして――
霧のように、消えた。
「……え……!?」
リリアの手には何も残っていない。
シルヴィがさらに近づく。
村人たちの悲鳴。
ゾンビたちが村人に触れようとする。
シルヴィの手がトーマスに触れようとする。
「姉さん……お願い……!」
トーマスの声が、震える。
「戻ってきて……!」
でも、シルヴィは答えない。
(……いやだ……!)
(……やっぱり……!)
(……誰も……犠牲者を出したくない……!!)
その時、リリアの身体が再び光に包まれた――
--------
あとがき
「ゾンビものなのにホラーっぽさ皆無だぞ」…と、女ゾンビを追加したら読み返して自分で怖くなってしまいました。(ホラー苦手)
1章を書き終えた時、あとは「リリアさんの異世界ガトリング無双」を
味がしなくなるまで繰り返せば、いくらでも続きが書ける!
そう思っていたのに、気づけば2章にして早くも「必殺技封じ回」になっていました。
おかしいですね…
9話は12/9 18時ごろ公開です!
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