第6話
「一つ変更点があって伝えに参りました」
林檎は早速本題に入った。無駄話を一切挟まないのは、桜や自身の忙しさを考慮してのことだろう。
「変更点……ですか?」
桜は首を傾げた。昨日の帰り際の定例報告で、今日の桜の動きは林檎へ共有している。その時は、林檎は特に何も言っていなかったはずだ。
「桜の担っている新人への説明の件ですが。今後、段階的に分散させようと思います。つきましては、本日研修予定の五名の内一名を、別の者へ割り当てます」
(……え)
桜は目を丸くした後、たまらずといったように身を乗り出した。
「……しゅ、朱宮さま。わたくしの新人教育に、何か不手際があったでしょうか」
青ざめて尋ねる桜の正面で、林檎は感情の浮かばない顔を横へと小さく振った。
「そうではありません。あなたの能力が遺憾なく発揮されるべき場所は、戦場です。桜に仕事が偏り過ぎている今の状況は、非常に不健全に見受けられます。あなたが本来の責務へ集中できるよう、そして予期せぬ不手際が起こらぬよう防ぐ意味でも、一人のメンバーが抱えすぎている荷を正常な量に戻そうというだけのお話です」
淡々とした声色からは、怒りや失望の色を読み取ることは出来なかった。それでも桜は不安を拭えず、遠慮がちながらも食い下がった。
「朱宮さま、どうかわたくしに全てお任せください。わたくしの抱えている量にはまだまだ余裕があります。朱宮さまに比べたら少なすぎるくらいです。これくらい熟せず、『レッド』のメンバーを名乗る資格などございません」
「……」
林檎はその艶やかな唇を閉じた。感情の乗らない大きな瞳で、じっと桜を見つめる。まるで値踏みされている気がして、桜はごくりと唾を呑んだ。
(実際、今の段階でミスをしたり手が回らなくなったりしてはいない。今後の新人の人数によってはそうなる可能性もあるが、まだ先の話だ)
林檎に役に立つ人材だと思って欲しかった。有用な駒であると、証明がしたかった。
「……桜は新人研修を、特に重要なものだと位置づけているのですね。……少し、わたしと認識の齟齬がありそうです」
林檎は一度視線を横に投げ、やはり淡々とそう口にした。その心中は、読み取ることは出来ない。
「では……こうしましょう。桜は最初の全体説明だけを担当し、あとは担当者へ任せるようにしてください。新人への手ほどきにつきましては、今後は一人の担当にするのではなく、新人一人につき担当者を一名つかせるという形に変えるのです。説明の際にある程度メンバーの特徴を捉えられれば、策を講じる際にも役立つでしょう。これならば、桜も新人に関わる機会は維持することが出来ます」
林檎の提案した運用法は、やはり桜の負担を減らすものであることには変わりがなかった。彼女の力になるどころか、気を遣われてしまうなんて。桜は口を開きかけたが、感情の読めない林檎の眼差しに冷たさが滲んでいるように錯覚して、口を閉じた。諦めきれずに目を泳がせたあと、「……わかりました」と小さく返事をした。その声色からは、抑えきれない悲しみが溢れていた。
「……申し訳ございません、朱宮さま」
「あなたが謝る必要はないでしょう、任務の分散化をしただけです。それにこれは組織内の交流の機会を増やして戦場での連携の増強に繋げる、言わばメンバー全員のための変更です」
林檎は淡泊にそう返した。しかし、桜にはわかっている。彼女は口ではこう言いながらも、その真の目的は桜の負担を軽減することにあったのだろう。組織のメンバーに対して、彼女はこれ見よがしに優しくはしない。しかし彼女はいつも、組織のメンバーのことを誰よりも考えている。彼女の澄ました顔を、桜は項垂れたまましおらしく見上げていた。
「本日の新しい方々の研修については従来通り、戦闘訓練も含めて四名の担当をお願いします」
「承知いたしました。一名は他の者が担当する、という話でしたね。……せめて本日までは全員任せていただけませんか」
「なりません」
林檎は短くはっきりと答えた。声色は柔らかかったが、桜はひっそりと肩を落とした。
「それよりは『ブルー』の動向を探ることに注力していただきたいです。万が一あちらが新人の不審な点に気付いた場合、迅速なフォローが必要になりますから」
「……承知いたしました。他の者が担当する新人一名についてですが、誰に任せるかは決めていらっしゃるのでしょうか」
「はい、決めてあります。梅に任せます」
突然飛び出た名前に、桜は思わず言葉を失った。今日は朝から驚いてばかりだ。
「え……、梅……ですか?」
彼女は人付き合いが苦手だ。先程の無理をしていた姿が脳裏に蘇る。手ほどきなど経験したことはないだろうし、新人と関わって指南するなど彼女にとっては無理難題であることが察せられた。しかし林檎はその人選に全く疑いを持っていないようで、毅然とした態度で桜を見つめていた。
(朱宮さまのお考えに間違いなんてない。……だけど……あの梅に新人を任せるというのは……)
先程食い下がった手前、再び林檎の意見に口を出すことは憚られた。否定も肯定も出来ないまま俯いていると、桜の気持ちを汲んだかのように林檎が口を開いた。
「桜はこの人選は不適当だと考えているのですね」
「……」
桜は眉を下げた。林檎の考えに異を唱えることはしたくなかった。困ったように視線を動かしていたが、やがておずおずと小さく頷いた。
「も、申し訳ございません。その……、梅は人と関わるのは苦手としておりますので、新人研修は別の者に任せた方が良いかと存じます。それに、梅は今朝からなんだか様子がおかしく……。……まるで椛のように振舞おうと、無理をしているようなのです。あの状態の梅に新人を任せたら、きっと断り切れずに無理に引き受け、新人との関係の悪化を招くに違いありません……」
遠慮がちに内心を口に出す。林檎はいつも通り、人形のように感情の浮かばない顔で最後まで耳を傾けていた。桜は目を合わせていられず、僅かに俯いた。
「……知っていますよ。先程、梅と廊下で会いました」
「……え」
「だからこそ、新人を梅に任せようと思ったのです」
桜は顔をあげ、呆けたように長を見つめた。林檎はその大きな瞳をゆっくりと伏せ、話の先を続けた。
「あの子は椛がここを離れたことをきっかけに、変わろうとしているようです。そしてその変化は、組織にとってプラスになるものだと思っております。ならばわたし達は、それを後押しするべきです」
「ですが……、梅はかなり無理をしているようでした。新人を担当するなんて……」
「はい、理解しております。ですが彼女が変わろうとしたきっかけは、椛に違いありません。椛の存在は彼女にとって計り知れない程大きかったはずです。ならばその決意も、安易に折れるようなものではないと推測します。彼女が自主的に変わろうとしている今、成功体験を積むことが出来れば、彼女の大きな自信に繋がるでしょう。彼女も望んだ姿に変わることが出来、彼女と連携出来る人員も増え、桜が一人で担当していた任務も分散させることが出来ます。梅の狙撃の技術を新人に引き継ぐことも出来るかもしれません」
「……」
桜は人形のような小顔から、遠くの扉へと視線を移した。梅はとっくに任務のために出て行った後で、今は閉ざされた扉が佇むばかりだ。
「上手く……いくでしょうか」
桜は不安を滲ませてそう零した。先程の掠れて裏返った声と、引きつった笑顔が蘇った。
「何も講じなければ失敗するでしょう」
桜は林檎へと視線を戻した。その顔には、言葉とは裏腹に上品で完璧な微笑みが浮かんでいる。
「ですが……大丈夫です。梅は桜や椛とは親しくなれたのですから。問題は相性です」
林檎は桜の机の上へと視線を下げた。そこには、五枚の書類が並んでいる。
「新人に灯(アカリ)という方がいます。梅には彼女を担当していただきます」
「灯……ですか」
確かに、五枚の中にそのような名前の少女の記載があった。
「彼女は見たところ温和な性格のようですから、梅とも相性がいいように見受けられます。新人ですが、同時に梅を支えてくれる存在になり得るでしょう」
桜も釣られて机の上を見下ろした。書類に貼られた写真には、長い髪をふわふわと垂らした、優しそうな微笑みが写っていた。
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