第12話「初下校」
横に並んで廊下を進む途中、新田先生が俺の顔を一瞥した。
「体調は、問題なさそうだな。このまま学校は通えそうか?」
「はい。今日は少し疲れましたけど、その内慣れると思います」
「そうか、だが無理はするなよ。疲れというのは自覚している以上に溜まるものだ」
先生はそこで話を一度区切り、緩やかに廊下の掲示物へ視線を移した。目の動きから察するに、あれを見るためじゃなくてどうも言葉に迷っているらしい。
何か言いにくいことでもあったのかと思いきや、続く中身はそれほど大したことではなかった。
「クラスの馬鹿共がうるさかったとは思うが、出来れば許してやってくれ。今日はお前の復帰にはしゃいでいつもよりアホになってるんだ。あんなんでも一応普段は少し、多分、もう少しは理性的だからな」
「歓迎が大きくて驚きました。それでも、それ以上に親切にしてくれましたから」
「……私が言うのもなんだが、あれは多分下心の割合が多いぞ」
「そこはまあ、少しでも親切心が入っていればセーフということで」
「大物なのか、それとも脇が甘いのか」
先生はクールに、そしてどこか温かみのある笑みを零した。この人もやたら格好いいな。
それから今日の授業やこれからのスケジュールを話しながら歩くうちに、やがて事務室の前に辿り着く。
行きと同じくお迎えの人がいるから帰りもここからだ。思い返せば、まだ一度も昇降口から出入りしていない。
そんなどうでもいいことを考えながら出入口の方を見て、俺の頭と動きは一瞬止まった。
「あれ、七海ちゃんと、朝地さん?」
「驚いたか?」
「はい。でも、なんで」
悪戯に成功した子供のように新田先生は笑っている。俺が理由を求めても、ますますその笑みを深めるだけ。私じゃなく本人達に聞け、ということらしい。
クールに見えて先生、意外とお茶目なところあるんだな。よく考えればそんな人じゃないと、そもそもクラスだってあんな風にはならないか。
「今日は一日よく頑張ったな。明日も来れたら来い」
「はい。明日もよろしくお願いします、新田先生」
納得と挨拶を同時にこなして先生を見送った後、続いて二人の方へ向き直る。
「お待たせ、二人とも今日はどうしたの?」
迎えに来てくれた理由が分からない。思い浮かぶのは葵さんが忙しくて、代わりに七海ちゃんにお願いしたとか。それに朝地さんが付き合ったとか。
適当な予想に基づく質問に答えてくれたのは、ずっと視線を彷徨わせている七海ちゃんではなく、今日も凛としている朝地さんの方だった。
「この子が朝からずーっとそわそわしてたの。兄さんは大丈夫かな、学校平気かなって。この時間になってもまだやってて鬱陶しいから、いっそここまで連れて来たって訳」
「よ、陽香ちゃん!」
恥ずかしいからか微妙に怒気が混じる七海ちゃんの声を、朝地さんは軽く笑って受け流す。新田先生にも負けないクールさだ。この子も相変わらず格好いい。
「七海一人で向かわせても途中でもじもじして日が暮れそうだし、この間みたいに変なのに絡まれたら面倒でしょ? だからあたしも一緒」
「そっか、七海ちゃんありがとう。朝地さんも、今日も二人揃ってお世話になってます」
「暇つぶしの寄り道だから。別に、お礼なんていらない」
そして今日も照れ屋だ。やっぱりこの子って、いや、現実とフィクションは一緒にするなとらびらびに言われたばかりだ。心の中でも明言するのはやめておこう。
何より、そんなことよりも優先すべきことが今はある。
「ちょっと待ってね」
二人に一言断ってから外へ出て一歩、周囲を見回す。上、よし。下、よし。左右、よし。
「……ねえ七海、耕太郎さんはあれ、いったい何してるの?」
「えっと、周囲の警戒だって。怪しい人がいないかーとか」
「…………まさかこの間の二人、そんなにトラウマになってたの?」
「それはそんなに気にしてないみたいだけど、前に内緒でお出かけした時、凄い大変だったらしくて」
二人にそれはもう不審な目で見られていることは察している。だけどもらびらびならともかく、この子達を植木鉢の雨に巻き込む訳にはいかない。まして痴女なんて。
そういう訳で辺りを全力で警戒していたのだけれど、まるで何も起こらない。いたって和やかな空気だ。この間と違って首筋に走る悪寒、殺気や死の気配は感じない。
どうやら今日は平和、何も降って来ないし飛んでもこないらしい。
ほっと一息吐いて、苦笑いとアホを見る目を浮かべる二人の下へと戻る。それからようやく俺達は下校のため歩き出した。
学校を出てからも道中は長閑なものだった。時折道行く人から強烈な注目を浴びることこそあるものの、この世界で男はそこそこ貴重な存在だ。俺だって逆の立場なら、きっとついつい目で追ってしまうだろう。
だから気にせず視線を流し、二人と適当に雑談をしながら進んでいく。その途中、七海ちゃんが前もって用意していた話題を何か思い出したようだった。
「そういえば兄さん、桜さんとお話出来た?」
「桜さんって?」
「あたしの姉さんのこと。朝地桜」
「へー、朝地さんお姉さんいたんだ」
「いたんだって。耕太郎さん二組でしょ? 姉さんも同じクラスのはずだけど」
呆れたように問われたけれど、生憎と今日の俺にそんな余裕はなかった。
「ごめん、全然分かんない。今日は休み時間ずっと記者会見してたから、まだあんまりクラスの人と話せてなくて」
「き、記者会見?」
「転校生への説明ラッシュって本当にあるんだね。漫画の中だけだと思ってた」
「ふーん。どんなこと聞かれたの?」
「趣味とか好き嫌いとか、あとは彼女とか好みのタイプとか。皆そういうの好きだよねー」
女の子は大体恋愛の話が好きって偏見がある。
色々変わった今の世界でもこの嗜好はそのままなんだろうか。それともあれはこの世界特有の、もしくは田中の兄ちゃん的欲望の一種なんだろうか。
もし七海ちゃんもあんな欲望を密かに抱いているのなら、正直ちょっとだけ距離置きたくなるな。
一応妹(仮)の七海ちゃんが俺に向けることはないにしても、中でも外でもあんな肉食獣の気配を味わい続けるのはかなり辛い。俺はサバンナでは生きていけないタイプの人間だった。
「二人はそういうの興味ない?」
「……私はまだ、いいかな。あんまりよく分からないし」
「あたしもいい。今はそんなお遊びより、もっと大事なことがあるから」
そしてここはサバンナではなかった。一安心。
そんな益体もつかない話をしていると、意外なほど早く時枝家に辿り着いた。楽しい時間は早く過ぎる。病院の外でもそれは同じだった。
鍵を取り出す七海ちゃんの背中は夕暮れに染まっている。夕暮れ、これから夜になる。鈍感な俺はそこでようやく大事なことを思い出した。
「……朝地さん、家まで送ってこうか?」
「なにそれ。普通逆でしょ?」
「かもしれないけどもうすぐ暗くなるし、俺のが年上だから」
「大丈夫。むしろ送ってもらっても、帰りの耕太郎さんの方がよっぽど心配になるだけ」
「兄さん、陽香ちゃんの家から帰れるの?」
ぐうの音も出ない。ほぼ確定的にお巡りさんのお世話になる。
いやだとしても、鈴木の姉ちゃんが昔、そういう時が来たら送ってあげなさいって言ってたし。
「じゃ、あたしこっちだから。またね二人とも」
そんな俺の葛藤に背を向け、朝地さんはさっぱりとした態度であっさり歩いて行った。その方角は先ほどまでと同じ、つまり中学校と逆方向。むしろどちらかと言えば、小学校に近いはずの方向。
颯爽と進む朝地さんの背中を見送りながら、不意に浮かんだ疑問を七海ちゃんへ問いかけた。
「小学校って、確かあっちだったよね?」
「うん」
「それじゃあ朝地さん、もしかして凄く遠回りしてくれたの?」
「……うん。今日は散歩したい気分だったからって」
つまり朝地さんは七海ちゃんのため、わざわざ中学校にまで同行してくれた。しかも嫌な顔一つせず、全ての理由を自分のものとして。
「朝地さんかっけー……」
「そうだよ。陽香ちゃんはね、いつもすっごい格好いいんだよ!」
思わず漏れた感嘆に、七海ちゃんが両手を胸の前で握り締めながら強く頷いた。
加えて何故かぴょんぴょんと跳ねてもいる。友達の朝地さんが褒められて凄く嬉しいみたいだ。
それにしたってこの反応。七海ちゃんは今日も今日とてとても微笑ましい、可愛らしい。本当にあの朝地さんと同級生なんだろうか。
そんな気持ちが伝わってしまったのか、やがて七海ちゃんの動きは小さくなって、代わりに顔がどんどんと赤くなっていく。冷たくなる空気の中、あそこだけ酷く暑そうだ。
今はほのぼのとしているけれど、このまま放置すればいずれ気まずさに転化しそう。俺のためにもこの子のためにも、一旦違う話に切り替えよう。
「……同時に到着した時ってどっちがおかえりー、ただいまーって言うんだろうね?」
「えっと、どういうこと?」
「これって迎える人と迎えられる人の挨拶だけどさ、一緒に入ったらどっちもどっちになるでしょ? だからどういう風に言うんだろうなーって」
「!?」
咄嗟に出した果てしなくどうでもいい話題にもかかわらず、七海ちゃんは雷に打たれたかのような顔で驚愕している。しかもそれから真剣に悩み始めてしまった。
「どうしよう。一緒じゃなくてタイミング分ければいいのかな。でも、ただいまも言いたいし、おかえりなさいも言いたいし」
「七海ちゃん入らないの?」
「ちょっと待ってて。どっちにするか、今考えてるから」
「別にどっちでもよくない?」
「よくないよ、大事なことだよ!」
怒られてしまった。それほど重要なことらしい。
万年病室暮らしとしてはまだどちらも不慣れだからか、まず大事云々の前にくすぐったいというか気恥ずかしさが勝るというか。もう挨拶はいいから早く中に入りたい。
さっき七海ちゃんが鍵開けてたし、俺が先に入っちゃえばそれで終わらないかな。
そう思って視線を移すと、ちょうど玄関の扉がそっと開かれるところだった。
「しーっ」
扉の先で葵さんが人差し指を口元に運び、その上ウインクまでしている。親子揃ってなんとなくあざとい仕草が多いのは、やっぱり血筋によるものなんだろうか。
未だに悩み続ける七海ちゃんはまったく気づいていないけれど、葵さんは既に帰って来ていたらしい。
もう葵さんがいるなら、俺も七海ちゃんもただいまでいいはず。ただ教えようにも、何故かそれは止められてしまっている。
どうするのかと静観している間にも、葵さんはにやにやしながら茶目っ気たっぷりの動作で俺達に近づいて来る。
抜き足、差し足。結局最後まで七海ちゃんは気がつかず、迫りくる葵さんに抱き締められた。
「二人ともおかえりなさいっ!」
「わ、にゃぁっ!? お、お母さん、なんで!?」
そして黙ってそれを眺めていた俺も巻き込まれた。七海ちゃんほど深くはないものの、いつかのように背に手を回される。
感じないはずの懐かしい香り。蘇る血縁上の母と父の記憶。
まああの人は俺がものごころがつく前に亡くなったから、記憶とはちょっと違うのだろうけれども。
とにかくこの感覚、未だに慣れはしなくとも、さすがに二回目ともなれば覚悟が勝る。今日は無事表情を取り繕うことが出来た。
その証拠に嬉しそうな七海ちゃんと言葉を交わす葵さんに、俺を心配するような素振りは見えなかった。おかげで俺も一安心だ。
「お母さん、今日早かったね!」
「せめて初日ぐらいはこうくんを迎えに行こうと思って、なんとか仕事終わらせたの。それで学校に連絡したら、もう七海ちゃんが連れて帰りましたって新田先生が教えてくれて」
「あっえっとね、それは」
「ならこれはもう、家で二人を待ち伏せするしかないなと」
「なんでそうなるの?」
心底不思議そうに七海ちゃんが首を傾げる。多分さっきの悲鳴とその顔を見たかったからだと思う。
俺もあれを目の当たりにしたおかげで、密かに抱いていた確信が深まってしまった。
この子は間違いなく、恐ろしいほどに揶揄いがいがある。
「こうくんにはバレちゃったけど、ななちゃんをびっくりさせられたからよし!」
「もうっほんとにびっくりしたんだからね! 兄さんもそうだよね?」
「……七海ちゃんあの時わっ、にゃーって言ってたけど、あれってワンとニャーだったの? もしかして七海ちゃんって子犬か子猫なの?」
「に、兄さん!? もう、もうっ!」
うっかり試したくなって意地悪を言うと、七海ちゃんは両手を挙げて怒りだしてしまった。その様子すら微笑ましいから大したものだ。やり過ぎないようにしないと。
「きゃー、ななちゃんが怒ったー!」
「逃げろー」
ぷんすかと怒りを露わにする七海ちゃんが逃げながら、ふと思った。
残念ながら七海ちゃんが熱弁するほどの良さはまだ分からない。
それでも帰って来た時誰かに迎えてもらうのは、なんかいいな、なんて。
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