第11話「初登校」

 かつて無謀にもハーレムを作ろうとして、共学化したばかりの元女子高へ一人進学した田中の兄ちゃん曰く。


『いいか耕太郎、男が女子の集団に入っちまったら最後、出来ることは二つしかねぇ』

『二つ?』

『メスになるか、犬になるかだ』

『???』

『まあ心配すんな。いざやってみると、どっちも結構気持ちよかったからな!』


 振り替えると兄ちゃん、いつもろくでもないことばっか俺に教えてたな。鈴木の姉ちゃんがよくぶん殴っていたのも納得の言動だった。


 それで、どうして俺がこんな田中の兄ちゃんの恥部を思い出しているかというと。


「昨日も言ったが今日から新しい仲間、というよりも元々いたのが復帰する」


 今日が俺の、初登校の日だからだ。


「それじゃあ時枝、自己紹介を」

「はい」


 担任の新田先生に促され、余った裾が汚れないよう気をつけながら黒板に名前を書く。


 ここ数日で何度も教科書に書いたからか、いい加減新しい苗字にも慣れた。固い制服のせいで微妙に動かしづらいものの、おかげで迷いなく手は進む。


 ただそれでも、まだ口は慣れていなかったようだ。


「今日からお世話になります。じ、じゃなくて、時枝耕太郎です」


 更にこう、クラスメイト達から沸き立つ謎の熱気もある。女子三十人くらいの熱い、それはもうレーザーの如く熱い視線が俺に今も突き刺さっている。


 これがきっと、田中の兄ちゃんが言っていたこと。


 想像よりも遥かに強大なプレッシャーを受け、冷汗が流れそうになってしまう。


「今まで学校に通ったことがないので、何かとんちんかんなことをしてしまうこともあると思いますが、出来るだけ早く慣れるよう頑張ります。これからよろしくお願いします」


 それでもなんとか言い切って、お辞儀をして。顔を上げると奇妙な沈黙が満ちていた。


「──」


 何かやらかしたかな、という不安は一瞬。すぐさま空気が爆ぜた。


「うおおおおおおおおおっ! だ、男子だぁぁぁぁ!?」

「凄い、二人目、二人目だ! ここに来て二人目が出来るなんて!」

「しかも財前と全然違う! 綺麗! 正統派! まともっぽい!」


 圧が凄い。


 ニュースなんかでたまに見る、空港でスターを出迎えするファンのような迫力があった。


 神野記念病院のアイドルと評されたこともある俺だけれども、ここまでの熱烈歓迎は初めて受ける。こういう時は芸能人よろしく、手でも振っておけばいいのかな。


「落ち着け猿ども。ようやく復帰した時枝を脅かすな」

「歓待の声援です!」

「お前たちのそれは威嚇だ。せめて嬌声の範囲に収めろ」


 嬌声も威嚇と同じくらい困る。それが俺の苦笑いに浮かんでいたのか、やがて女子達はお互いの顔を見つめ頷き合い、それから口を閉じた。そして代わりに盛大な拍手をくれた。


 さっき誰かが言っていた通り、歓迎はしてくれているらしい。色々入り混じっていそうなものはともかく、それだけは伝わった。


「見学の時も言ったが時枝の席はあそこ、窓際から二列目の最後尾だ」

「分かりました」


 先生の指示通り進み机の間を、クラスメイトの横を通り過ぎる。その間もぐさぐさと視線は刺さり続けた。予想出来ていたこととはいえ、想像以上の注目度に肝が冷える。


 ようやく席に辿り着いて鞄を置いて、そこでじっと俺を見つめる前と右横の子と目が合った。この二人の視線も好奇と興味、あと何か粘っこいものに満ちている。


 まだこの世界における、というよりそもそも学校でのクラスメイトとの距離感が分からない。それでもこれからはご近所付き合いをするのだから、挨拶くらいは許されるだろう。


「えぇと、今日からよろしくね?」

「ぐふっ」

「がはっ」


 挨拶をしたら二人共死んだ。なんで。


 机に突っ伏す女子二人を思わず眺めていると左から、クラス唯一の同性に声をかけられる。眼鏡の奥の瞳は驚くほどに冷ややかだった。


「放って置け。彼女達はよく死ぬ」

「生命として大丈夫なのそれ」

「その内息を吹き返す。この死体共より、君はまず授業に集中した方がいい」

「あっうん。分かった」


 言葉に深い経験とちょっとした思いやりを感じたから素直に従う。


 それに一時間目は数学、苦手科目だ。初めての授業だし、ちゃんと気合を入れないと。



 キンコンカンコンと、昔画面の向こうでよく聞いた音がする。生で聞いた感慨は、同時に生まれた多大な疲労感に塗り潰された。


「明後日は小テストあるからな。お前ら予習しておけよー!」


 そう言って教室から立ち去る先生を見送り、思い切り伸びをしてから一言。


「……一時間って、やってみると割と長いなぁ」


 生まれて初めての授業への感想。面白いとかつまらない以前にそう思った。


 一応病院にいた時も先生や患者さんから勉強を教わっていたから、なんとか授業自体はついていけそう。ありがとう皆。


 それはそれとして、座っているだけでも結構大変だった。好きな時に力尽きることの出来た病院とは全然違う。集中が途切れてもスマホもタブレットも、ゲームも本も触れない。


 平然とこなせる皆は凄いなぁ、なんて教室を見回すと、ちょうどこちらに振り向いた前の席の女子と視線がかち合った。


「あの、時枝くん、ちょっといい?」

「うん。どうしたの?」

「皆時枝くんのことが気になってるみたいで、時枝くんさえよろしければ、どうか私共にご質問のお時間を頂戴出来ますと」

「定番の奴だ。どうぞどうぞ、こちらこそよろしくお願い申し上げます」


 漫画やアニメなんかでよく見るもの、転校生への質問タイム。籍自体はずっとあったらしいから厳密には俺転校生じゃないけど、そんな細かいこと気にしてもしょうがない。


 なんて、気軽に許可を出したのは間違いだったかもしれない。


「彼女いますかッ!?」

「こここ、好みのタイプは!?」

「私!?」

「それとも私!?」

「なんでもいいので付き合ってください!」

「今戯言言った奴誰だ殺すぞ!」


 圧がすっごい。


 女子特有の黄色い高い声がたくさん入り混じって、何を言っているのかまったく分からない。声色でとにかく欲望が渦巻いていることだけは察せた。


 気づけば前の席の子だけではなくクラスの大半、それどころか多分別のクラスの人も集まっていた。


 両手両足を使っても余るくらいの人数から全力の好奇心をぶつけられる。レギオンよりもよほど強いプレッシャーを感じる。


 この迫りくる脅威に困った俺を救ってくれたのは、またしても左隣の男子だった。


「待て。君達の声は威嚇のようなものだと、先ほど先生に言われたばかりだろう」

「きしゃー!」

「本物の威嚇をしてどうする。しかも僕に」


 眼鏡に手を添えながらのツッコミは鋭かった。彼はそれからじろりと集まった女子を眺め、次に俺を見て、やれやれと言わんばかりに肩を竦める。


「このままじゃ埒が明かないから僕が仕切る。時枝に質問がある者はそれぞれ挙手をしろ。そこから僕が問題のなさそうな者を指名する。記者会見方式だ」

「ぶー、横暴だー!」

「時枝くんと直接喋らせろー!」

「君達に任せていてはまた乱闘になるだろう。月曜日の席替えで揉めたことをもう忘れたのか?」

「……うきー!」

「人の言葉も忘れるな」


 辛辣な言葉には慣れと諦めと懇願がごちゃ混ぜになっていた。苦労しているらしい。


 そんな苦労の一部として礼を言おうとして、まだ名前を聞いていないことを思い出した。


「ありがとう。えぇと」

「自己紹介が遅れたな、僕は財前透だ。以後よろしく頼む」

「時枝耕太郎です。こちらこそ、改めてよろしくね、財前」

「……」


 握手を求めた男子、財前は目を見開き固まっていた。


 もしかして今時握手なんてしないのかな、なんて考えたのは少しの間だけ。すぐに財前は俺の手を強く握り、極めて愉快そうに口元を歪める。


「ふっ中々肝が据わっているようだ。この財前の名を聞いても物怖じ一つしないとは」

「……もしかして有名な家系なの? ごめん、俺そういうこと全然知らなくて」

「面白い。僕にそんな態度を取ったのは、君で五十四人目だ!」

「結構いるね」


 わざわざ数えてたんだってなるくらいの人数だ。若干の呆れと感心が入り混じる。


 言葉にも態度にもそれは露骨に現れていたようで、財前はすぐさま俺の内心に感づいた。


 気位が高そうな人だから怒らせたかもな、という予想もまた的外れ。逆に彼はニヤリと笑みを深め、今度はご機嫌そうに両手まで広げた。


「いいぞ時枝、気に入った! 将来この僕と共に働く権利をやろう!」

「あー、ちょっと俺まだ、そういうのは考えたこともなくて」

「……そうか」

「えっと、なんかごめん、せっかく誘ってくれたのに」

「いや、気にしなくていい。その返事をしたのは君で五十四人目だ」

「全滅してるじゃん」


 五十四アウト。野球なら二試合終わってる。負け越し確定だ。


 出会ったばかりの俺から遠慮ないツッコミを受けても、財前は更に機嫌をよくして腕を組むだけだった。財前家がどうこうは知らないけれど、確かに妙な風格がある。


 いきなり凄いキャラと出くわしたな、という感慨はどうやら向こうも抱いたらしい。


「ふっ。君は面白い男だな」

「財前には負けると思う」

「加えて謙虚な男だ。ますます気に入った」

「いや謙遜とかじゃなくてね?」


 むしろ勝ったら問題まである。この男、想定外にパンチが強い。


「私たちを放置して男の子だけで話してるー」

「寂しいはずなのに、なんなのこの胸の高鳴りは?」

「尊い……」


 どこに尊さを見出してんだよ。こんな世界でも腐っている人はいるのか。


 生カプは鶏肉の刺身くらいヤバい。万人に許される生は生ビールだけ。


 かつて小児科の先生が残した格言が蘇る。そしてそのまま埋めた。多分一生役に立たない記憶だ。


「このままだと休み時間が終わるな。さて、早速だが質問がある者は」

「時枝くんは彼女いますか!?」

「まだ発言を許可していない。誰かそいつをつまみ出せ」

「ちょっと、皆気になってること聞いただけでしょ!?」

「よっしゃライバル減ったー! 取り分増えたー!」

「不穏な発言だ。そいつもつまみ出せ」

「にゃー!?」


 それから更に三人ほど退場者を出しながらも、財前主導の質問会は滞りなく進んでいく。


 財前の取り仕切りもあって問いの中身は結構無難なもの、趣味や好きなものの話なんかが多かった。まとめれば俺のプロフィール表が作れると思う。


 それでも俺からすればまったくの未知、不慣れなイベントで、全力を傾けなければ処理が出来ない。


「……あれが、あの」


 だから教室の隅で漏れたその声に、秘められた音色に、俺は一切気がついていなかった。



 そしてアホの俺は気づいていなかった。


「やっと終わったぁ……」


 授業一時間が長いということは、六回繰り返せばもの凄く長いということに。


 なんとか全ての授業を受けきった放課後、もう少ししたら空が赤くなる時間帯。俺はぐったりと机に身を預けていた。


 そんな俺の惨状を見かねたのか、前の席の子が声をかけてくれる。そういえば質問されてばっかりで、まだクラスメイトとはまともに喋れていない。名前も財前以外ほとんど聞けてなかった。


「と、時枝くん」

「んー、なにー?」

「わっヤバいっ。この声ヤバいっ」


 きゃっきゃっとはしゃぐ様子にも邪念は感じるものの、ちょくちょく話しかけてくれたのは確かだ。下校する前に名前くらいは教えてもらいたいな。


 そう思ったものの、機先を制したのはその子の方だった。


「あの、さ、と、時枝くんさえよかったらー、これから、私たちとどこかに」

「時枝は鯉の餌やりをしたことがあるか?」


 そして更にその上を行ったのが、突然横から口を差し込んだ財前だった。


 唐突な発言によく分からない問いかけ。前の席の子も戸惑いに視線を彷徨わせている。俺も言葉に迷っている内に、財前は謎の話を続けた。


「餌をばら撒けば口を開き、水を盛大に弾かせ集合する。面白い光景ではあるが、ある種不気味でもある。あの勢いは、もし池に落ちたら自分が餌になってしまいそうだと身震いするほどだ」

「そんなになんだ。映像でしか見たことないなぁ」

「いつか我が家に来るといい。君にもぜひあの光景は見てもらいたい」


 家においでってお誘いを貰っちゃった。まるで普通の学生みたいなイベントだ。


 それそのものは思わぬ、それでいてとても嬉しいものだったけれども、未だに財前の真意が読めない。鯉とはいったい。


 これ以上考えても理解は難しそうだから、本人にそのまま聞いてみた。


「それで、鯉がどうしたの?」

「僕達のクラスメイトは、大体それだと思っていい」

「……勢いに飲み込まれると?」

「食われる」


 断言。財前の言葉には確信のみが込められていた。


 そうは言われても俺は今日初めて登校したばかり、皆ほぼ初対面だ。いくらこの世界が男女比崩壊、貞操逆転疑惑があると言っても限度が。


 俺が疑問を零す前に財前が横を指差す。そこには俺を下校に誘ってくれた女子とその友達、もとい容疑者達が、見るも無残なほど動揺を露わにしていた。


「そ、そそそ、そんなことない、よねぇ!?」

「ないないない、いきなり今日ワンチャンとか狙ってない、よねぇ!?」

「財前はさぁ、ちょっと変に警戒し過ぎじゃないかなぁ!?」

「比べて時枝くんはすっごく隙があるとか、全然まったく思ってないよぉ!?」


 いや食われるわこれ。財前の言う通りだ。鯉どころか肉食獣だこれ。魂から涎出てる。


 思わず白い眼を向けると、集まっていた女子達が一斉にざざぁっと引き下がる。続いて溜息を吐いてみると、今度は引き攣った呼吸がいくつか聞こえた。青い顔が並んでいる。


 これ、バトル漫画の強キャラみたいでちょっと楽しいな。


 もう少し続けたい、という欲に蓋をして、なるべく朗らかな笑みを作ってクラスメイトに向ける。釘刺しはこれくらいで十分だろう。


「誘ってくれてありがとう。でもいきなり寄り道は、ちょっとね」

「……あっそうだよね。早く帰らないとお義母さんが心配しちゃうよね」

「なんか今イントネーション変じゃなかった?」


 もっとたくさんの、それも巨大な釘が必要かもしれない。


 誰に相談するべきかと考えかけたその時、多分一番の適任者が俺を探す声がした。


「時枝はいるか?」


 声に釣られて廊下の方を見ると、新田先生が教室の中を見渡しているところだった。


「はい。ここにいます」

「迎えが来ている。ついてこい」


 迎え、葵さんかな。行きも車で送ってもらってしまったし、帰りもそうならこれがこの世界の普通なんだろうか。


 失礼極まりないのは自覚してるものの、正直それだときついものがある。初めて袖を通してからずっと、葵さんが俺の制服姿を見る度に若干涙ぐむからだ。


 上手いこと隠しているからか、七海ちゃんはまだ気づいていない。気づいた俺は毎回こう、とても酷い話だとは思うけれど、非常に居心地が悪くなってしまう。


 もしもあれが仮に親の愛情と呼ばれるものとして、いったいどう反応すればいいのか。


 少し憂鬱になりつつ、鞄を手に取り立ち上がる。明日からどうするのかは直接聞こう。


「それじゃ皆、今日はありがとう。また明日」

「ああ。またな」

「じゃあねー時枝くん!」


 元気に送ってくれるクラスメイトへ手を振り返し、俺は教室の外、先生の下へ向かった。

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