不幸
鉛色のイカリ
不幸
私は一番不幸な人間だ。
少なくとも、私の所属する二年B組では。
なぜ自分が一番不幸なのか、端的に言うと虐待を受けているからだ。
父は癇癪持ちで、何かにつけて暴力を振るってくる。
勉強をしろだの、食事が出るのが遅いだの、風呂を沸かせだの。お母さんに対しても私に対しても、亭主関白を超えたとんでもないDV親父だ。
そんな家庭環境もあってか、私は家族でお出かけという概念を知らないまま育った。
家族で遊園地に行ったり、公園にピクニックに行ったり……そんなことは生まれてこの方一度もない。
父は免許を持っているはずだが、会社の用事以外でどこかに連れて行ってくれたことはない。
クラスのみんなはどうだろう。口々に「親がうるさい」だの「金をくれない」だのありがちな親への不満は耳にするけれど、私のように日常的に暴力を振るわれたり、思い出を注いで貰えなかったりするのは居ないだろう。
今は高校生だから、親よりも友達と出かける事がメインなのだと思うが、それでも過去に親から愛を受けたことはあるはず。
みんなは幸せ。私は不幸せ。
友達にこの事を話すと、とても親身になってくれる。
「それはお父さんが悪いよ」
「明らかなDVでしょ」
「出て行ったら? そんな家。うちで良ければ泊めてあげるよ」
友達には恵まれている。きっと他の人が見ればそう思うだろう。
事実そうだ。だけれど私はこう思っている。
不幸で良かったな。
隣のクラスに友達がいない子がいる。誰かと仲良く話しているところは見たことないし、帰るときはいつも一人。
友達グループの輪にずっと入れないままの子だ。だからといって、いじめられているわけではなく、彼を嫌っている様子は他から見られない。
だけれど、仲良く遊べるような友達はいないまま。
彼の人となりは私も知っている。温厚な性格で、時折面白いことを言う人だ。
だけれど、私ほど不幸ではない。
聞いた話だが、彼はいわゆる「中流家庭」であり、親との関係は良好。彼のツイッターアカウントを見る限り、多くの趣味を持っていて、フォロワーも少なくはない。
私と比べて、圧倒的に幸せだ。
何度か見たことがあるのだが、彼の親は、学校に車で迎えに来てくれることがある。
それだけ愛されているということだ。
私はどうだろう?
父親は私のために車を駆けてくれないし、私の趣味を応援してお金を出してもくれないだろう。他愛のない会話もせず、ただ不機嫌になると暴力を振るうだけ。
彼と比べると、私はどんなに不幸なことか。
そしてそれが、何よりも私のアドバンテージだ。
不幸な生い立ちは人の同情を買う。私が女性だから、というのもあるかもしれないが、友達ではない男の子も私にいつも親身になってくれる。
先生も私の境遇を心配して、親との関係を良くしようと努力もしてくれる。他の子の家庭環境以上に。
誰しもが私のために憂い、嘆き、同情してくれる。
友達のできるきっかけになる。
友達のいない彼とは大きく違うところだ。
特段不幸なところがないゆえに、面白くない彼と、不幸な家庭に生まれて劇的な人生を歩んでいる私。
不幸なおかげで、私は多くの人から目を向けてもらっている。
不幸なことを悲しむ気持ちと共に、それがたまらなく私の個性となっているのだ。
「そう、彼らには……学校、学び舎が無いのだ」
テレビを見ることは、父から珍しく許可されていることだ。
野球の試合や相撲の中継以外では、大してテレビに興味が無いようで、私が勝手に見ても怒られない。
だからふと見ていた。アフリカの貧しい地域に芸人が行くというバラエティ番組を。
「働いたとしても、一日に貰える給料は、日本円で百円にも満たない」
テレビで映るアフリカ人たちは、ほとんど服を着ていない。灼熱の太陽の中、過酷な仕事をしている。
命にかかわるような、野生動物たちと関わる仕事。
一日に食事が三食も出ないという。最悪一食程度なのだとか。
さらに食事のレパートリーもほとんど無い。
とんかつを食べたくても食べれないし、牛丼だって、カレーだって、お寿司だって食べれない。
彼らは、とても不幸だ。
生まれたのがそこだというだけで、多くのハンデを抱えたまま生きなければならない。
私もそうだ。生まれたのが虐待を平気で行うような家庭。その時点でハンデを抱えている。
だが、彼らに比べれば、私の持つハンデは甘えでしかないだろう。
衣服だってある程度は選べるし、食べたいものは自分のお金を出せば食べることができる。寝るときは温かい布団で寝ることができるし、学校にだってこの年まで通うことができている。
彼らと比べれば、こんなものは不幸になんて入らないだろう。きっと生まれながらに得たかった幸せだ。
それを知ってしまった。私は大して不幸じゃないことを。
もちろんクラスの中では一番の不幸者だ。それは間違いない。だが世の中には下には下がいる。
アフリカの子供たちだけではない、日本でだって私より不幸な人がいる。虐待の末に死んでしまう子供がいれば、虐待されていても死んでいない私より不幸だ。
そう気づいた時、私はとても悔しかった。
もしもアフリカの子供がそのまま、私のクラスに編入してきたら? 十分な服もない、金も無い。食事だって好きに選べない。私以上の不幸者に、彼らは同情を抱えて親身になるだろう。
そして私のことなど、そこらへんのちょっと気の毒な人としか思わなくなるだろう。
私も、ああいう貧乏な国に生まれたかったな。
日本の芸人がやってきて、テレビの企画とはいえ施しをしてくれる。テレビだけじゃない、日本で集めた募金を使って優しくしてくれるだろう。
私の家庭は、少なくともテレビの題材に選ばれるほどじゃない。暴力だって、実はそこまで深刻じゃない。軽く平手で叩かれるぐらいだ。
アフリカの彼らは、自分を不幸者だと思っているだろうか? それが当たり前だから、不幸とか幸せとか、そんな範疇で測っていないのだろうか?
国の外がいかに幸せかも、もしかしたら知らないかもしれない。
ああ、そうか。
私の中にどろりと何かが流れ込んできた。
憧れこそあれど、彼らは自分を不幸せだとは思っていないんだ。
そうするしかないから、そう生きるしかないから。
だとすると、やっぱり一番の不幸者は私だ。
中途半端に不幸な境遇で、なまじ貧乏な人たちの情報が入ってきて、無意識に自分と彼らを比べ、勝手に一人で悔しんでいる。
少なくともアフリカの彼らは、私を見て悔しい思いはしないだろう。
勝手に彼らの方が不幸だと決めつけていたのは、私だったのだ。私だけの価値観で。
ああ、私はなんて不幸なんだろう。考えなくていいことまで考え、落ち込もうとするだなんて。
私はなんて不幸なんだ。
不幸 鉛色のイカリ @ThePurasu50
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます