第8話 初めてのおつかい
日曜日の夕方。
私は全力で走っていた。
サンダルをぺたぺたと鳴らしながら、近所のスーパー「ライフ」へと急行する。
嫌な予感しかしない。
ことの発端は三十分前。
「まもり殿は課題とやらで忙しそうだ。夕飯の買い出しは、我々が請け負おう!」
と、アリシアが自信満々に宣言したことだ。
止めたのだ。
「無理だよ」「日本のスーパーは戦場だよ」と。
でも、四人は「ダンジョン攻略に比べれば、ただの市場など
……児戯?
甘い。
日曜夕方のスーパーは、主婦たちの殺気が渦巻く「特売戦争」の最前線だぞ。
「はぁ、はぁ……!」
自動ドアを駆け抜ける。
店内に飛び込んだ私の目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
レジ前のスペース。
そこだけ、空気が張り詰めている。
他のお客さんが、遠巻きにヒソヒソと見ている。
その中心に、彼女たちはいた。
四人で円陣を組み、一台の機械――「セルフレジ」を包囲している。
「……くっ、手強い」
アリシアが脂汗をかいて
手には、半額シールの貼られた豚肉パックが握りしめられている。
「なぜだ……なぜ受け取らぬ! 我々の供物が気に入らぬと言うのか!」
「アリシア、落ち着け。敵は高度な知能を持っている」
ガルドが買い物かごを盾のように構え、機械の動き(動いてないけど)を警戒している。
「『重量オーバーです』……機械がそう言っていますわ」
エレナが青ざめた顔でディスプレイを見上げる。
「まさか、私がこっそりカゴに入れたチョコレートの重さを感知したとでも……!? 神の眼ですか!?」
「いや、これはセンサーによる物理干渉だ」
ソフィアが眼鏡を光らせて分析する。
「バーコードというルーン文字を読み込ませる儀式に失敗している。
――ピンポーン♪
『係員をお呼びください』
無慈悲な電子音が鳴り響く。
四人がビクッ! と飛び上がった。
「ば、万策尽きたか……!」
「警報だ! 衛兵が来るぞ!」
「撤退! 撤退ですわー!」
パニック寸前だ。
私は人混みをかき分けて、彼女たちの背後に滑り込んだ。
「はい、ストップ!」
私の声を聞いた瞬間、四人がバッと振り返った。
その顔は、地獄で仏に出会った亡者のようだった。
「ま、まもりーーッ!!」
「まもり殿ぉぉぉ……!」
アリシアが泣きながら抱きついてきた。
よしよし。
怖かったね。
セルフレジのエラー音、結構ビビるもんね。
「もう大丈夫だよ。私がやるから」
私は店員さんに「すみません、子供みたいなもんで」と頭を下げてエラーを解除してもらった。
そして、テキパキと商品をスキャンしていく。
ピッ。ピッ。ピッ。
軽快なリズム。
魔法のように(彼女たちから見れば)次々と処理されていく商品たち。
「す、すごい……」
「まもりの手にかかれば、あの頑固なゴーレムが従順に……」
「これが、現代の『お会計』スキル……」
四人が尊敬の眼差しで見つめてくる。
ただバーコードをかざしているだけなんだけど。
「はい、お支払い完了。袋詰めするよ」
レシートが出てくるのを見て、四人はほぅ、と深いため息をついた。
ダンジョンのボスを倒した時より安堵している。
◇
帰り道。
空は
カラスが鳴いている。
私たちは五人で並んで、アパートへの道を歩いていた。
両手には、パンパンに膨らんだエコバッグ。
重たいけれど、その重さがなんだか心地いい。
「……あの機械、心を読むぞ」
アリシアが、まだ警戒心を解かずに呟いた。
「私の『安く済ませたい』という下心を読まれて、あえてエラーを出したに違いない」
「違うよ。パックを置く場所がズレてただけ」
「バーコード……恐ろしい魔術でした」
ソフィアが自分の手の甲を見つめている。
「私にもあの刻印があれば、まもりに管理してもらえるのだろうか」
「管理なんてしなくても、ちゃんと見ててあげるよ」
私が言うと、ソフィアはふいっと顔を背けた。
耳が赤い。
照れ屋さんめ。
「まもり殿、荷物は私が持つ」
ガルドが私の手からバッグを奪おうとする。
「重い物は戦士の役割だ。貴殿のような
「折れないよ。それに、みんなで持ったほうが早いでしょ?」
「しかし……」
「いいの。ほら、ネギが落ちそうだよ」
ガルドの持つ袋から、長ネギの青い部分がピョコンと飛び出している。
鎧姿の女騎士(今はジャージだけど)と、長ネギ。
あまりにも似合わない組み合わせなのに、今の彼女には妙に
「……なんだか」
エレナが空を見上げて微笑んだ。
「こうして皆で荷物を持って歩いていると、冒険の帰りを思い出しますわね」
「そうだな。あの時は、魔獣の素材や宝箱を運んでいたが」
「今は、特売の豚肉とタマネギだけどね」
みんなが笑った。
クスクス、アハハ。
平和な笑い声が、夕暮れの街に溶けていく。
異世界では、命がけで戦って、ボロボロになって帰るのが日常だったのだ。
でも今は。
ただ買い物をして、お腹をすかせて、温かい家に帰るだけ。
誰も傷ついていない。
誰も失っていない。
「ねえ、まもり」
アリシアが私の袖をちょんと引いた。
「今夜の飯は、なんだ?」
「カレーだよ。みんなで買ったお肉入れるから、美味しいよ」
「……カレー」
アリシアがゴクリと喉を鳴らした。
他の三人も、目が輝いている。
「早く帰ろう! ルーが溶ける!」
「溶けないよ」
「いや、私の胃袋が溶ける!」
アリシアが駆け出した。
つられて、みんなも走り出す。
「あっ、こら! 転ばないでよ!」
私は苦笑しながら、その後ろ姿を追いかけた。
エコバッグの中で、夕飯の材料がゴトゴトと楽しそうな音を立てていた。
ただいま。
おかえり。
そんな当たり前の言葉が、世界で一番強い魔法だなんて、知らなかったな。
さあ、帰ったらご飯だ。
たっぷり甘やかして、お腹いっぱいにしてあげよう。
それが、最強の大家さんである私の役目だからね。
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