第9話 魔の結界「コタツ」

 十二月に入り、日本列島に冬将軍が到来した。

 木枯らしが窓をガタガタと揺らす。

 フローリングの床が、氷のように冷たくなる季節だ。


 寒がりの異世界人たち(特に南国出身のエレナ)が、「ここはニブルヘイム(死者の国)か?」と震え始めたので、私はついにを召喚することにした。


 それはさながら諸刃の剣。

 日本の冬における、最強の防衛兵器。

 かつ、人類を堕落させる悪魔の道具。


「……まもり、これはなんだ?」


 リビングの中央に設置された物体を見て、アリシアが警戒心をあらわにする。

 厚手の布団が掛けられた、四角いテーブル。


「コタツだよ」

「コタツ……? 新手の魔獣か?」

「ううん、暖房器具。中が温かいの」

「中が……?」


 アリシアはいぶかしげに眉を寄せ、剣(の代わりに持っていた新聞紙)でツンツンと布団をつついた。

 反応はない。

 そりゃそうだ。


「まあ、入ってみてよ。靴下脱いでね」


 私が布団の一角をめくって見せると、四人は顔を見合わせた。

 誰が行くか、目配せしている。

 結局、じゃんけんで負けた(いつも負ける)ガルドが先陣を切ることになった。


「……行くぞ。私が戻らなければ、後は頼む」

「死なないってば」


 ガルドは決死の覚悟で、ゆっくりと足を差し入れた。


 ズズッ。


 つま先が、温かい空間に侵入する。

 その瞬間。


「……っ!!」


 ガルドの体が、ビクリと震えた。

 そして。


 ドサッ。


 彼女の上半身が、糸の切れた操り人形のように床に崩れ落ちた。


「ガルドーーッ!!」

「やられたか!? 即死魔法か!?」

「回復! 早く回復を!」


 パニックになる三人。

 しかし、床に突っ伏したガルドの口から漏れたのは、断末魔の叫びではなかった。


「……ふにゃぁ……」


 とろけた声だった。

 骨という骨が抜き取られたような、ふにゃふにゃの声。


「……だめだ、これ……動けぬ……」

「ガルド、どうした! 足を食われているのか!?」

「違う……吸われる……力が……意志が……」


 ガルドは虚ろな目で天井を見上げた。


「ここは……天国だ……」


 その一言で、残りの三人の理性が吹き飛んだ。

 我先にとコタツに突撃する。


 ズズズッ。

 モゾモゾ。

 

 数秒後。

 コタツの四辺から、四人の美少女の首だけが生えている奇妙なオブジェクトが完成した。


「……はわぁ」

 アリシアがアホ毛を揺らして溶けている。

「あったかい……母上のお腹の中みたい……」


「……興味深い」

 ソフィアが眼鏡を曇らせてつぶやく。

「これは、熱源による単純な加温ではない。赤外線が精神に直接干渉し、『やる気』という概念を根こそぎ奪っている……強力な精神汚染結界だ」


「……極楽ですわ」

 エレナがうっとりと目を閉じている。

「神よ、天界はこの布団の下にあったのですね……」


 全滅だ。

 異世界を救った最強パーティーが、わずか一分で制圧された。

 コタツの魔力、恐るべし。


 私も空いている隙間に足を入れる。

 んー、ぬくぬく。

 五人の足が中で触れ合う。

 誰かの冷たい足先が、私のふくらはぎにくっついてくる。

 くすぐったいけど、温かい。


「みかん、食べる?」

「みかん?」


 私がカゴに盛ったみかんをテーブル(天板)の上に置くと、アリシアが興味を示した。

 冬のコタツにはこれがないと始まらない。

 オレンジ色の供物くもつだ。


「こうやって皮をむいて食べるの」

「ふむ……」


 アリシアは寝転がったまま、器用にみかんをむき始めた。

 そして一房、口に放り込む。


「……甘い」

「でしょ?」

「甘酸っぱくて、冷たくて……体が温かいから、この冷たさが心地いい……」


 彼女はため息をつき、宣言した。


「まもり、私は決めた」

「なにを?」

「ここを、私の墓場にする」

「縁起でもないこと言わないで」

「もう二度と出ない。トイレもここでする」

「それは絶対ダメ」


 アリシアは完全にコタツと一体化していた。

 「コタツムリ」の誕生だ。

 かつて魔王城に乗り込み、単騎で結界を破った勇者が、今は一枚の布団の結界にとらわれている。


「……まもり殿」

 ガルドが申し訳無さそうに言った。

「喉が渇いたのだが……水を取ってきてくれないか」

「自分でいきなさい。台所そこだよ、三メートルだよ」

「無理だ。重力が……この空間だけ重力が十倍になっている……」

「なってないよ」


 ガルドほどの剛力を持ってしても、コタツの重力圏からは脱出できないらしい。

 しょうがないなぁ。

 私は立ち上がろうとした。


 が。


「……あ」


 出られない。

 足が重い。

 腰が上がらない。

 コタツの魔力が、私までむしばんでいる。


「まもりも捕まったか」

 ソフィアがニヤリと笑う。

「この結界は無敵だ。一度入れば、誰も逃れられない」

「うぅ……お茶……」


 結局、私たちは誰一として立ち上がることができず、喉の渇きをみかんで癒やすというサバイバル生活(?)に突入した。


 外では北風がピューピューと吹いている。

 でも、この正方形の空間だけは、春のようにポカポカで。


「ねえ、まもり」

「んー?」

「幸せって、こういうことなのかな」

 アリシアがぽつりと漏らした。

「戦わなくてよくて、温かくて、みんながいて……」

「そうかもね」


 私は彼女の手――コタツの中で温まった手を、布団の上からポンポンと叩いた。


「よかったね、アリシアちゃん」

「うむ……」


 彼女の目が、とろーんと閉じていく。

 寝息が聞こえ始めるまで、そう時間はかからなかった。

 スースー、と規則正しい呼吸音が、四重奏になって響く。


 全員、堕落した。

 でも、こんなに幸せそうな寝顔を見せられたら、もう何も言えない。

 

 私はテーブルの上のリモコンに手を伸ばし、テレビをつけた。

 バラエティ番組の笑い声が、BGMのように流れる。


 最強の勇者一行は、コタツという名の魔王に敗北した。

 でも、この敗北なら、何度してもいいかな。

 彼女たちの足が、コタツの中で私の足に絡みついてくるのを心地よく感じながら、私もまた、甘い睡魔に身を委ねた。

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