第一の兆候:検証不可能ノイズと、撮影クルーの異変
記録体裁
ファイル名:K_R003_Day07
カテゴリ:映像ファイル(文字起こし)/音声記録(文字起こし)/ディレクターズノート(九月七日)
対象事案:SLPスタッフ三名のK集落での取材活動記録
編集者注釈
九月六日、ディレクターAが村の『語り部』である老婆から受けた警告は、彼の取材意欲に拍車をかけたが、同時にカメラマンBと音声Cの精神を急速に蝕み始めた。特にBは、井戸周辺の定点撮影を命じられた際、既に初日に目撃した『塊』に対する強い恐怖を抱いていたことが、彼の残した映像ファイルから読み取れる。
この日から、K村の超常現象は、音響機器の異常から、クルー自身の視覚や精神に干渉する段階へと移行する。Aは最早、これを「現象の記録」として捉え始め、クルーの安全よりも映像記録を優先する姿勢が顕著となる。
記録:K_Day07_Rec09.mp4(定点カメラ・映像ファイルより文字起こし)
日時:九月七日 11:10
場所:廃屋二階(井戸広場を見下ろす位置)
登場人物:B(カメラマン)
(映像:Bが定点撮影をしていた廃屋の二階。カメラは井戸の石板を中心に据えているが、非常に画角が狭い。Bはカメラの横に座り込み、手持ちの小型カメラで自分自身を撮影している。手持ちカメラの映像。)
B:(小声で、息が荒い)…ディレクターに言われて、ここから井戸を監視してる。でも、おかしい。昨日からずっと、誰かに見られている感覚が消えない。
(Bが視線を、カメラの画角外、森の境界線の方へやる。)
B:ディレクターは、あれは疲労だって言ったけど、違う。今日、朝からずっと、あの…『塊』が見える。森の暗がりじゃない。井戸の周りだ。井戸の石板の影。
(映像:Bはカメラを井戸の方に向け、ズームする。井戸の石板が映し出される。石板は動いていない。)
B:何もいない。何も。でも、動いたんだ。確かに、石板の上を、黒いインクがにじむみたいに、ぬるっと…動いた。Cが言ってた、あのノイズ。あれが、耳じゃなくて、目から入ってくる感じだ。頭の中を、高周波で掻き回されてるみたいで…
(Bは突然、手持ちカメラを床に落とし、自分の頭を両手で押さえる。映像は天井を映し、Bの荒い呼吸音と、微かな高周波ノイズのみが残る。)
B:(呻き声)やめろ…呼ぶな…俺は、お前たちの『捧げもの』じゃない…!
(音声:Bが何かを蹴るような音。そして、慌てて手持ちカメラを拾い上げる。彼の顔は蒼白で、目が充血している。)
B:今…石板に触れた。カメラを仕掛けた石板の裏を、触れた気がした。冷たい、湿った…人の手のひらみたいに。
(Bは、固定されたカメラの方を振り返り、レンズを睨む。)
B:ディレクター、あんた、分かってるんだろ。あんたは、俺たちを、ここに連れてくるために、こんな企画を立てたんじゃないのか。あんたも、もう、あの呪いの『記録』の一部になりたいだけだ。
(Bはカメラから顔を背け、再び井戸を監視する定点カメラの方を向く。映像はそこで途切れる。)
記録:K_Day07_Audio04.wav(音声記録より文字起こし)
日時:九月七日 17:30
場所:ベースキャンプ廃屋(夕食準備中)
登場人物:A、B、C
(音声:食器がぶつかる音。会話は低く、張り詰めている。)
C:ディレクター、Bの様子がおかしいです。今日の定点撮影。井戸の映像に、一瞬だけフリーズする部分がありました。物理的なエラーではありません。フレームレートは一定です。
A:フリーズ? 静止画になったということか?
C:いえ。一コマだけ、井戸の石板が、別の形になっていました。まるで、石板が持ち上がりかけている瞬間。すぐに次のフレームで元の石板に戻るんですが、まるで、誰かが一瞬、未来を挟み込んだみたいで。
A:…(沈黙)それは、Bのカメラのズーム操作によるブレではないのか?
C:違います。Bは動かしていません。それよりも、問題は音です。今日一日、レコーダーは高周波ノイズを断続的に記録し続けました。そして、夕方、Bがベースキャンプに戻ってきた直後、そのノイズが急に途切れたんです。
B:(ぼそぼそと)…静かになった。
A:静かになった? どういうことだ、B。
B:井戸から離れたら、あの音が消えた。ずっと頭の中で鳴ってた、高い『キーン』って音が。あれ、ディレクターには聞こえないんですか?
A:俺には何も聞こえない。Cも高周波だと言っていたな。
C:ええ。そして、そのノイズが止まった直後、Bのレコーダーから、非常に低く、重い、金属が擦れるような音が記録されました。たった一秒。
A:それは…井戸の石板が動く音か?
B:違う…あれは、井戸の底から、何か大きなものが這い上がってくる音だ。俺には聞こえた。
A:B、落ち着け。お前は疲れてるんだ。老婆の言うことに囚われるな。
C:ディレクター、私も心配です。Bは今、自分の影を何度も振り返っています。彼は、誰か別のものに意識を乗っ取られかけている。このまま取材を続けるのは危険です。
A:…あと二日だ。二日あれば、この現象の《核心》を記録できる。我々の目的は、検証じゃない。この呪いの、そして神隠しの瞬間を、映像に残すことだ。C、お前はBから目を離すな。
B:もう遅いですよ、ディレクター。俺は、もう選ばれたんだ。あの塊が、俺を呼んでる。
(音声:Bが突然、立ち上がり、廃屋の窓に駆け寄る。窓の外は既に暗く、森の闇が広がっている。)
B:(叫ぶように)あそこにいる! あそこから、ずっと見てる!
C:B! やめなさい!
(音声:CがBを抑え込む音。Aは沈黙したまま、音声レコーダーの録音ボタンを押す。)
A:(独り言のように)記録続行。被写体、ついに動き始める。
記録開始:九月七日 深夜
場所:ベースキャンプ廃屋
記録:ディレクターズノート(九月七日付)
「Bは錯乱している。今、Cが無理やり鎮静剤を飲ませて寝かせた。彼の顔は、まるで皮膚の下に別の何かが蠢いているかのように歪んでいた。
Cは恐怖で泣いている。彼女は今すぐにでも村を出たいだろう。だが、俺は動けない。動いてはいけない。
老婆の言葉が頭から離れない。『捧げものを選ぶ儀式の始まり』。儀式はもう始まっている。Bは、その最初の『選ばれた者』なのか。
Cが言った、井戸の石板のフリーズ映像。あれを何度も再生した。確かに、一コマだけ石板の縁が浮き上がっていた。人間の肉眼では捉えられない、一瞬の物理的変化。
そして、俺は、今日井戸に仕掛けた小型カメラを回収しに行った。
カメラ自体は、石板の下に仕掛けたままだった。だが、カメラが石板に触れていた部分。そこに、粘着性の、透明な液体が付着していた。まるで、ナメクジが這ったような、乾きかけの粘液。
そして、その液体の付着した場所の石板の表面が、わずかに、溶けていた。強酸性の何かに触れたように、石の表面が白く変色していた。
これが、老婆の言った『井戸の底で目覚めて』いるものなのか。
俺は、全てを記録する。この呪いの全貌を。俺がこの村に残された最後の記録者となる。」
(以下、九月八日、境界の住人へと続く。)
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