記録開始:ディレクターAが挑む《現代の神隠し》
記録体裁
ファイル名:K_R002_Day05_Day06
カテゴリ:ディレクターズノート(九月五日、六日)/音声記録(文字起こし)
対象事案:SLPスタッフ三名のK集落での取材活動記録
編集者注釈
九月四日に発生した音声Cによるノイズ検出と、ディレクターAのそれに対する「機器の故障」という判断は、クルー間に明確な温度差を生んだ。Aはミステリーの核心に近づいた興奮を隠せず、一方のBとCは、集落の異様な静寂と井戸の封印に、生理的な恐怖を感じ始めている。
九月五日以降の記録は、Aの個人的な調査と、チーム全体の連携不足を色濃く反映している。
記録開始:九月五日(村の歴史とAの焦燥)
場所:ベースキャンプ廃屋
記録:ディレクターズノート(九月五日付)
「Cの報告は聞かなかったことにした。いや、聞けない。あのノイズが本当に『呻き声のような周期的なパターン』だとしたら、それは超常現象、つまり我々が求めている被写体そのものではないか。それを機器の故障で片付けたら、この取材は終わりだ。我々は単なる心霊スポット探検隊ではない。
K村の呪殺の風習について改めて調べた。古文書の断片的な記述によると、この村では過去、豊作を祈るため、あるいは疫病を鎮めるために、村人が定期的に**『生贄』**を捧げる儀式があったとされている。生贄は『異人』、つまり村外から迷い込んだ者や、流れてきた旅人。それを『山の神』に納めるという形だ。
昭和三十年代の連続行方不明事件も、この風習が細々と継承されていた結果ではないのか。七人の失踪者はすべて村外の人間だった。
今日、BとCには周辺の廃屋の内部撮影と、村の境界線の確認を任せた。彼らが井戸から離れることを望んでいるのも理解できる。特にBは精神的に不安定だ。昨夜も、寝ている間に『誰かが俺を呼んでいる』と呻いていた。
俺は、村役場に保管されていた古い村の地図をベースに、神社跡地の井戸を中心に、村の構造を再分析した。この村は、井戸を中心にして、奇妙な螺旋状に家屋が配置されている。単なる集落ではない。巨大な祭祀場のようだ。
そして、地図の隅に、赤ペンで囲まれた場所を発見した。集落のさらに奥、山中の窪地。『語り部の家』と記されている。
K村は廃村になって以降、誰も住んでいないとされているが、近隣住民への聞き込み(事前調査)では、**『今でも一人だけ、あの山の中に、村の全てを知る老婆が住んでいる』**という都市伝説めいた証言があった。我々はこれを『村唯一の住人』として、取材の最重要ターゲットと設定していた。
もしその老婆が本当に健在なら、彼女こそが連続失踪事件、そして井戸の封印の秘密を知る唯一の鍵だ。
明日、単独でこの『語り部の家』を探す。BとCには、井戸周辺の定点撮影を命じる。彼らを井戸に近づけるのは気が引けるが、井戸周辺の異常なノイズを継続的に記録することが、今、最も重要だ。」
記録:K_Day06_Audio03.wav(音声記録より文字起こし)
日時:九月六日 09:00
場所:ベースキャンプ廃屋、機材準備中
登場人物:A(ディレクター)、B(カメラマン)、C(音声)
A:じゃあ、今日の段取りを再確認する。BとCは、今日一日、井戸の周辺で定点撮影と環境音のモニタリングを頼む。俺は、語り部の家を探しに行く。
B:ディレクター、待ってください。危険です。三人で行動するのが原則でしょう。
A:分かってる。だが、三人がかりで老婆を探すのは大袈裟だ。しかも、昨日の井戸の件で、お前たちは少し神経質になっている。カメラを回すより、まずは環境音の変化を敏感に捉えることが重要だ。C、頼めるか?
C:…音声記録のモニタリングは可能です。ただし、昨日検出されたノイズは、人間の耳では聞き取れない高周波領域です。ヘッドホンでの常時監視は難しい。タイマー録音にします。
A:それでいい。何か異変があれば、すぐに俺のインカムに連絡しろ。夕方、ベースキャンプに戻る。
B:井戸周辺に…何か仕掛けるんですか?
A:井戸の石板に、小型カメラを仕込む。何か動きがあったら、即座に記録できるように。そして、B。お前は、井戸の周りじゃなく、少し離れた廃屋の二階から定点撮影しろ。変なものを見ても、絶対にカメラを止めたり、フォーカスを合わせ直したりするな。**証拠は、そのままのブレのない映像で残せ。**それが我々の仕事だ。
B:…分かりました。でも、ディレクター。森の奥には行かないでくださいね。昨日、俺が『塊』を見たのは、あの辺りです。
A:あれは疲労だ。心配するな。俺はただ、村の歴史を聞くだけだ。
C:ディレクター、一つ聞かせてください。あの井戸に触れた時、マイクはノイズを拾いました。それは、何かが『反応した』からじゃないですか? あなたは、何に反応してほしいんですか?
A:…(沈黙)真実だよ、C。俺は、この神隠しが、本当にただの呪殺なのか、それとも、誰かの手による計画的犯行なのかを知りたい。この村の秘密が、その井戸の底に詰まってる気がしてならないんだ。じゃ、行ってくる。
(音声:Aが立ち去る足音。しばらく沈黙が続く。)
B:おい、C。今の話、どう思う?
C:B。ディレクターの目が、三日前にここに来た時と違う。彼は、もう真実を追っているのではなく、何かを証明しようとしている。
B:証明って…何を?
C:…昨日、井戸の石板の側面に、わずかに土が乱れた跡があったでしょう。あれ、私は、井戸の封印を外そうとした痕跡に見えました。
B:まさか…誰が?
C:分からない。でも、ディレクターは、あの井戸から目を離せないでしょう。今日、彼が向かった『語り部の家』が、本当に井戸の秘密を解き明かす場所だといいんですが。
記録:K_Day06_Rec07.mp4(映像ファイルより文字起こし)
日時:九月六日 13:45
場所:K集落奥、山中の窪地。『語り部の家』前
登場人物:A(ディレクター)/老婆(声のみ)
(映像:Aが小型カメラを片手に、深い森の中を分け入っている。息切れと、草木を掻き分ける音がうるさい。)
A:…やっと着いた。地図は正確だった。ここだけ、他の廃屋とは違って、まだ人が住んでいる気配がある。
(映像:カメラは、他の廃屋よりも新しく見える、しかし異様に窓の少ない一軒家を捉える。家の周りは、乾燥した藁のようなものが結界のように張り巡らされている。)
A:ディレクターAです。取材で来ました。どなたかいらっしゃいますか。
(家の中から、咳き込むような音が聞こえる。低い、かすれた女性の声。)
老婆(声):何用じゃ。この村には、もう誰も入れん。
A:K村の歴史と、昭和の失踪事件についてお伺いしたい。あなたは、この村の…語り部だと伺っています。
老婆(声):語る歴史など、ない。村は滅んだ。井戸は塞いだ。それ以上、何も詮索するでない。
A:井戸、ですか。あの広場の石で塞がれた井戸について、何かご存知ですね? あれは、一体何を封印しているんですか?
(沈黙。家の中から、ガタッと何かが倒れるような音がする。そして、老婆の声が、一転して厳しく、冷たい調子になる。)
老婆(声):**お前さんは、井戸の底を見たいのか。**見れば、お前さんも、あの子らと同じ道行きだ。
A:あの子ら、とは? 昨年の失踪者たちですか?
老婆(声):失踪ではない。彼らは、呼ばれた。村の掟じゃ。掟は、廃村になっても、山が崩れても、変わらぬ。
A:その掟というのは、生贄の儀式ですか。
老婆(声):(甲高い笑い声。非常に不気味で、Cが昨日検出したノイズに似た高周波が混じる。)ワハハハ…生贄? 生贄などと、美しい言葉ではない。**あれは、捧げものじゃ。捧げなければ、村全体が滅びる。そして、その捧げものは、一度、井戸の底で『目覚めて』**から、山に納められる。
A:目覚める…? それは、一体何を意味するんですか。
老婆(声):(再び咳き込む。そして、言葉を切るように、ゆっくりと)もう、帰りな。お前さんの仲間たちも、もう長くは持たぬ。お前さんたちが、この村に踏み入れたこと自体が、捧げものを選ぶ儀式の始まりじゃ。
(音声:突然、家の中から強い圧力を伴った風が吹き出すような音がする。Aは驚いて一歩後ずさる。)
A:くそっ…!
(映像:カメラがブレる。Aはすぐにその場を離れ、森の中を走り出す。映像の端に、老婆の家の窓が、内側からすべて木の板で打ち付けられている様子が一瞬だけ映り込む。彼女は、一体何から逃れようとしていたのか。)
編集者注釈
ディレクターAはこの接触後、ベースキャンプへ戻るが、以降の記録(九月六日深夜)では、井戸周辺の定点撮影を担当していたカメラマンBに異変が起こり始める。
老婆の証言は、このK村の呪殺が単なる土俗的な風習ではなく、村全体を維持するための**《防衛的な儀式》**であり、取材班の侵入がその儀式を再開させたことを示唆している。
Aはこの接触により、彼の初期の仮説(連続失踪事件=計画的犯行)を否定し、K村が超常的な現象、あるいは呪いの中心地であることを受け入れ始める。そしてこの受け入れが、彼のディレクターズノートにあった『これは検証じゃない。記録だ。呪いの記録だ』という言葉に繋がっていく。
(以下、九月七日、第一の兆候へと続く。)
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