境界の住人:語り部となった老婆の、矛盾した証言
記録体裁
ファイル名:K_R004_Day08
カテゴリ:音声記録(文字起こし)/ディレクターズノート(九月八日)/編集者注釈
対象事案:SLPスタッフ三名のK集落での取材活動記録
編集者注釈
九月八日。カメラマンBは、前夜の錯乱と鎮静剤の影響で、ベースキャンプで衰弱した状態にある。ディレクターAは、Bの容態が悪化しているにも関わらず、井戸の異常な変化(石板の表面溶解)の記録に執着し、Bの介護を音声Cに任せて、再び井戸周辺へ向かう。
危機感を抱いたCは、Aの指示を無視し、単独で九月六日にAが接触した『語り部の家』へ向かうことを決意する。彼女の行動の動機は、Bの救助と、この呪いの連鎖を断ち切る手がかりの模索だった。
以下は、Cが小型レコーダーと手持ちカメラ(非公開ファイルのため文字起こしのみ)を用いて、単独で調査した記録である。
記録:K_Day08_Audio01.wav(音声記録より文字起こし)
日時:九月八日 10:15
場所:『語り部の家』前
登場人物:C(音声)
(音声:Cの荒い息遣い。森の中の静寂。わずかな高周波ノイズが、昨日よりも低いレベルで記録されている。)
C:(小声で、自分に言い聞かせるように)ディレクターは、また井戸に行った。Bは、もう動けない。このままここにいたら、みんな…あの老婆の言う通り、『捧げもの』になる。私は、あの老婆の証言に、どうしても引っかかる点があった。それを確かめる。
(音声:Cが家の戸を叩く音。誰も応答しない。)
C:失礼します。昨日、ディレクターがお話を伺った…(扉を押す)…鍵はかかってない。
(映像(推定):Cが家の中に入る。室内は生活感が残っているが、ひどく散らかっている。布団が敷かれたまま、食事が途中で放置されている。)
C:(独り言)誰もいない。逃げた? …いや、この状況だと、急に**『連れて行かれた』**方が自然だ。
(Cが室内を調べている音。)
C:この家、窓が全部板で打ち付けられている…昨日ディレクターは、それを『老婆が何かから逃れようとしている』と解釈したけど。…おかしい。この板は、外側から打ち付けられている。
(音声:Cが板を叩く音。)
C:内側から打ち付けた痕跡はない。つまり、この老婆は、誰かにこの家に閉じ込められていた。あるいは、自ら望んで**『封印』**されていた。
(Cが古びた棚から、一冊の古い和綴じの本を見つける。)
C:これは…村の記録? 九月六日の日付がある。
(Cがページをめくる音。そして、驚いたような息を飲む音。)
C:あった。九月六日、ディレクターAが来た日の記録だ。
記録:和綴じノート 抜粋(Cによる口頭での読み上げ)
C:「異人が来た。一人は男。私の話を聞きに来た。私は、村の掟、捧げものの話を全て話した。全て、『そうであってほしい』と願う、嘘の話だ。彼らに恐怖を与え、村から追い返すために。私は、村の呪いを『維持』するため、彼らを騙さなければならなかった。私の役割は、境界線にある。これ以上、彼らが深入りしないように。だが、男は、私の話を聞いて喜んでいた。男は、真実ではなく、彼が望む怪異を求めている。」
C:(愕然として)嘘…? 老婆は、私たちを追い返すために、あえて『呪殺の真実』を語った? でも、どうして?
(Cがノートの次のページを読み進める。)
C:「呪いの本体は、井戸ではない。井戸は、ただの『目』。この村全体が、呪いの…『皮』だ。そして、異人が三人。一人(A)は記録に執着し、一人(B)は既に目覚めたものに呼ばれている。もう一人(C)、彼女は、ここに踏み入るべきではない。彼女は…」
(Cは読み上げを中断し、激しく咳き込む。)
C:…「彼女は、捧げものに選ばれる資格がない」…どういう意味? 捧げものに、資格?
記録:K_Day08_Audio02.wav(音声記録より文字起こし)
日時:九月八日 11:30
場所:『語り部の家』裏
登場人物:C(音声)
(音声:Cが家屋の裏に回り、地面を掘り返したような跡を見つける。)
C:裏庭だ。ここも、何かを隠してる。…これは、昨日ディレクターが井戸で見たのと同じ…粘液の痕跡だ。乾いている。
(Cが、家の裏にある小さな穴の開いた木箱を見つける。)
C:木箱。…中身は…石。ただの石じゃない。これは…村人の名前が彫られた石だ。しかも、昭和の失踪者七人分と、昨年の失踪者二人の名前が…ある。そして、Bの名前も、彫りかけで、血のようなもので赤く滲んでいる。
(音声:Cが動揺し、木箱を落とす音。木箱の中の石が、カチカチと音を立てる。)
C:(震えながら)老婆は、私たちを追い返そうとした。でも、同時に、私たちを呪いの手続きに乗せようとしていた。彼女は『境界の住人』。呪いを維持するために、外の人間を騙し、捧げものとして差し出す役割を担っていたんだ!
(Cの背後から、草を踏むような微かな足音が近づいてくる。Cは気づかない。)
C:(更に小さな声で)待って…ノートの最後の記述。『彼女は、捧げものに選ばれる資格がない』。これは…私だけは、生贄になれないということ?
(Cが振り返る。カメラ(推定)が、木の陰に隠れているディレクターAの横顔を一瞬だけ捉える。Aは、Cに気づかれないように、手元のレコーダーを操作している。)
C:…誰?
(音声:草を踏む音が止む。代わりに、Aのレコーダーから、昨日井戸周辺で記録されたはずの、低い金属音が、再生される。)
C:…ディレクター!? なぜここに!
A:(冷静で、どこか嬉しそうな声で)C。俺は、お前を連れ戻しに来た。井戸で、ついに**『目覚め』の瞬間**が記録できたんだ。お前には、あの音の解析が必要だ。
C:井戸で…? あなた、Bは? Bはどうしたんですか!
A:彼は、もう大丈夫だ。(感情のない声で)彼は、もう**『境界を越えた』**。
C:何を言ってるんですか! 老婆のノートを見ました! 呪いは、井戸じゃない! あなたは、私たちを…!
A:**呪いなんて、どうでもいい。重要なのは、この現象だ。老婆は嘘をついた。彼女は、『井戸の底に何かいる』**という俺の仮説を補強するために、あの話をした。C、戻るぞ。Bの最後の映像を再生する。お前は、この記録を完成させるための、最後の編集者だ。
(音声:AがCの腕を掴み、強制的にベースキャンプへ連れ戻そうとする音。Cの抵抗する声。そして、Aのレコーダーから、さらに大きく、周期的な高周波ノイズが流れ出す。)
編集者注釈
この後、Cの音声記録はノイズと揉み合いの音で途切れ、ベースキャンプへの帰還が示唆される。
このエピソードにより、老婆の証言の矛盾が明らかになった。彼女は取材班を追い返そうと《嘘》をついたが、その嘘が、逆にディレクターAの『井戸の底に何かいる』という信念を強固にしてしまった。また、AはBの状況を「境界を越えた」と表現しており、彼が既にBを見捨て、自らの「記録」を完成させるためだけに動いていることが確定した。Cは、呪いの『捧げものに選ばれる資格がない』という奇妙な記述によって、呪いの本体とは異なる運命を示唆されている。
残された記録は、いよいよ終局へと向かう。
(以下、九月九日、フィルムの断片へと続く。)
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