第8話 知らない者

僕は、小川にたどり着いた。

風も止まり、空気がひどく静かだった。


そこに――一人の少女がいた。


背中越しに見るその姿は、年は僕と同じくらいだろうか。

揺れる水面の光が、長い髪に淡く映っていた。


 


「……君は?」


 


声をかけると、少女はゆっくり振り返った。


その胸元で、小さな銀のネックレスが光る。

見覚えのある紋章――神聖院の紋。


 


「……神聖院の人間、か。

宗教の人間が罠を仕掛けるなんてね」


 


僕の言葉に、少女は首を横に振った。

表情はほとんど動かない。それでも、声だけは不思議と柔らかい。


 


「もし罠なら、あなたの家で待っていればよかった。

わざわざ危険を知らせる必要なんて、ないでしょう?」


 


言葉に、嘘は感じられなかった。


少女は一歩、こちらに歩み寄る。

目は澄んでいて、何かを確かめるように僕を見る。


 


「あなたは……時を移動することができる。違う?」


 


その問いに、思わず胸が鳴った。


――なぜ、それを?


神聖院。封印師。騎士団。

“確保しろ。その能力は世界の改変に繋がる。”


脳裏に、あの声が蘇る。


素直に答えるわけにはいかない。危険すぎる。


 


「……何のことだか。僕も訳も分からず、追いかけられてるんでね」


 


少女は、しばらく黙って僕を見つめていた。

風の音すら、消えたように感じた。


 


「……そう。私に会ったこと、ある?」


 


意図の掴めない質問。

けれど、その声には――期待が混じっている気がした。


 


「君の記憶にないなら、会ったことはないんじゃないかな?」


 


そう言うと、少女は視線を落とした。


表情はないはずなのに――悲しんだように見えた。


 


「……あなたは、まだ……なのね」


 


その言葉の意味は、僕には分からない。


 


「さっきから質問の意図が分からない。

何が聞きたいんだ?」


 


「……いずれ分かるわ。今じゃない。

ここは危険、行きましょう」


 


少女は、背を向けて歩き出した。


僕は足を止めたまま、迷う。

神聖院の人間。名も知らない少女。

信じる理由は――ない。


 


「名前も知らない、神聖院の人間を信じろって?」


 


少女は振り返らないまま、短く答えた。


 


「――私の名前は、レン。

覚えておいて。」


 


そう言って、少女は川沿いの道を歩き始めた。

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