ドーバー -1941-
未確認機の情報に駆け付けたショーンは目を疑った。
同胞の機体、ハリケーンが3機で、民間船を襲っていた。
停止を呼び掛けても応答は無かった。
ショーンは識別番号確認すると本国に照会した。
回答までの数分間、事態の動向を窺っていると、1機のドイツ軍機が飛込んできた。
Fw-190、フォッケ・ウルフだ。
「厄介だな」
ショーンは思わず呟いていた。
Fwは13mmを斉射すると上昇しかけたハリケーンの尾翼を吹き飛ばした。
数mのしぶきを上げて海面に叩き落ちるハリケーン。
そこへ、しぶきをブラインドに2機目が襲いかかる。
Fwは被弾したものの俊敏な回避で致命傷は避けていた。
ショーンは敵機のあまりの強さに、ますます厄介だなと考えていた。
そこへ更に厄介な情報が来た。
照会した機体は3ヶ月前にロストした機だった。
当然ながら当該空域に作戦中の部隊も存在しなかった。
何処かの国に滷獲(ろかく)されたのだろうか。
おそらくは枢軸国だろう。
あの船を瀕死の状況で逃がして英国機に襲われたと証言させるのだろう。
3機がかりで撃沈しないのが何よりの証拠だ。
状況を分析するショーンに、本国から指令が送られた。
それは当該空域の制圧だった。
『冗談じゃない』
正直そう思った。
正体不明機はともかく、あのドイツ軍機は化け物だ。
メルダース、ガーランド、リヒトホーフェン・・・
ドイツにはいったい何人のエースパイロットが居るのだろう?
考えると寒くなる。
気が付けば、2機目が墜ちていた。
最早驚く気にもなれなかった。
「さて・・・」
ショーンは懐から写真を1枚取り出した。
子供を抱いた女性が微笑んでいた。
妻と、先月産まれた息子だ。
写真にくちづけをして懐に戻した。
「マトモにやってたら勝てやしないさ。騙されてやるよ、正体不明機!」
ショーンはFwへ向かい急降下をした。
妙案があった。
不本意ではあるが、イギリスの名を語るハリケーンと共同でFwを討つのだ。
あたかも僚機の救援に来たかのように。
ハリケーンが上空から襲いかかった。
おそらくは気付かれている。
当たらないだろう。
(だが、私の存在は気付かれてはいない)
ショーンはそう確信していた。そしてがFw必ず回避をすることも。
もちろん回避せずに撃墜されるならばそれで構わなかった。
問題は回避の方向だ。
場所を正確に読み、撃ち込む必要があった。
右か・・・
左か・・・
ショーンは瞬間に神経を研ぎ澄ませた。
左!!
天恵のように閃いた。
左、すなわち敵機の右側へ周り込んだ。
勘ではない。
Fwの左前方に僅かに高い波があったのだ。
あのパイロットの技量ならば背面の射線、周囲の状況は把握出来ている筈。
波は避けると読んだ。
Fwの予想される進路へトリガーを引いた。
虚空に20mmが放たれる。
機体のブレが大きい。
本来7.7mmの機銃を換装したのだから無理もなかった。
ショーンは宙に描かれた火線を目で追うこともなくスロットルを開けた。
次の瞬間、Fwが右へ、すなわちショーンから見て左に進路を変えた。
予想は的中した。
これでコクピットから胴体へ直撃だ。
勝利を確信した。
確信した筈だった。
それだけに、刹那に展開した光景は信じられなかった。
航空機がドリフトをしたのだ。
ヨーロッパ戦線において、スピットファイアの旋回能力を上回る戦闘機は存在しない。
それが目の前で覆された。
まるで戦車の超信地旋回のようだった。
もちろん180゚の旋回ではない。
それでも直角に曲がったかのように見える旋回だった。
Fwはハリケーンの火線をかわす際に高波をかすめていた。
ラダーだけでは高波の直撃を受けると判断した瞬間に引き込み脚を解放した。
つまり、着陸用の車輪を出したのだ。
空気抵抗を大きく受けた機体は急な減速と共に不安定な挙動をとった。
その体勢のままラダーがいっぱいに曲げられる。
先端のプロペラを軸にするように後方が滑る・・・ように見えた。
そこへ高波のしぶきの一部が車輪に当たった。
機体はその僅かな衝撃で更に旋回する。
最終的には70゚程だろうか。
その神の御手の奇跡は、Fwを20mmの旋風から守った。
横腹に受ける筈の火線を、ほぼ正面から受けたのだ。
圧倒的に小さな面積の被弾。
ショーンはそのままの速度で敵機の至近をすり抜けた。
「化け物か」
渇いた喉から、絞り出すように言った。
機体を反転させる。
(持ち堪えろよ、ハリケーン)
ショーンがそう願ったのも束の間。
大きな水柱が上がった。
「やれやれ、一騎討ちかよ」
正直、落胆した。
海面には僅かにオイルが滲んでいた。
ハリケーンを呑み込んだ名残りがそこにはあった。
前方斜め下には悠然Fwがいた。
(さて、仕合いの再開といきますか)
ショーンは再開と合図と挑発の意味を込めて機銃の斉射を試みた。
・・・反応が無い。
当たらない事を知っているのである。
低空を遊覧するかのように、波のうねりをかわしながら飛んでいる。
ショーンは気乗りのしないまま高度を下げた。
相手の作戦に乗るのは不本意ではあるが、挑発に乗らない以上はこちらが土俵に降りるしかなかった。
照準機に捉えた。
同時にトリガーを引いた。
捉えた筈だった銃弾が彼方への直線を描いた。
「なっ!?」
驚きに身を乗り出せば更に下。
超低空を飛ぶFwがいた。
波のチューブを翼がくぐる。
飛ぶと云うよりも、海面を滑るような光景だった。
ショーンもそれに追随した。
同じ高度で、前方に敵機。
間違い無く撃墜の好条件だ。
だが、そうもいかない現実。
Fwが巻き上げるしぶきと乱気流がスピットファイアを襲った。
まるで嵐の中を飛行するような状況。
しかもほんの僅か下は海面。
機体を制御するだけで精一杯だった。
おそらくハリケーンのパイロットならば既に海の藻屑だろう。この状況で追随するショーンの技量も卓越していた。
ショーンは激しく揺さぶられる機体をなだめながらふと沸き上がる疑問に気持ちを奪われていた。
(何故このパイロットはこんな戦いをするのだろうか?)と。
彼の技量ならば普通に戦えば良い筈だった。
先ほどのハリケーンもそう。
不可思議と云うよりも不自然だった。
「弾切れ?もしやジャム(弾詰まり)ったか・・・」
呟いた刹那、Fwが仕掛けてきた。
両翼のフラップが動いた。
(マズイ!)
ショーンは高度を上げた。
急減速したFwの上をかすめるように通過した。
辛うじて衝突は避けたが、迂濶にも後ろを取られた。
(ここまでか)
無駄と思いつつも旋回と上昇の回避行動をとる。
一瞬の間があった。
時間にして1秒以下の間が。
Fwから放たれた銃弾は機体の下を駆け抜けた。
スピットファイアは加速度を増して太陽の光の中へ消えた。
遠ざかる敵機を眼下に見ながらの独り言。
「何故躊躇したのだろうか?」
ショーンにその訳を知る由はなかった。
ショーンは機体を反転させると光の中に身を潜めた。
前方斜め下には急上昇をする敵機の背中が見えた。
射程には遠い位置だ。
ショーンは光を纏い追尾する。
(進路は雲か・・・)
Fwの向かう方角には厚い雲の塊があった。
(撒くつもりだろうか?)
慎重に状況を見る。
今回の遭遇戦。
2度の被弾。
不可解な戦い方。
決断をした。
追撃だ。
残弾は無いと賭けた。
フルスロットルのスピットファイアが大空を駆けた。
何としても射程に捉える。
雲の中へ消えてしまう前に。
鋼鉄の猛禽が獲物を追う。
その照準は既に定めてある。
あとは射程に捉えるだけ。
唸るエンジン音は獣の咆吼。
疾風を超える速度は光をも切り裂く。
(あと100・・・80・・・60・・・)
トリガーへかかる指に緊張が走る。
(20・・・10・・・5・・・0!!)
訃を乗せて放たれる火線。
しかしそれは届く事なく彼方へと消えた。
トリガーを引いた瞬間と敵機の回避が同時だった。
Fwは美しい弧を描き宙返りをして、スピットファイアのテールを捉えていた。直後、激しい衝撃がショーンの機体を襲った。
直撃だった。
操縦棹が重たい。
どうやらコントロール系が被弾したようだ。
機体を見回せば全ての翼はその機能を果たせそうになかった。
垂直尾翼は中破し、主翼も尾翼も細かな亀裂を確認出来た。
「こんな所で・・・」
次に来るであろう最後の一撃を前にして、もう一度写真を取り出して眺めた。
「ジョージ、パパは君を抱く事が出来ないようだ。マリア、愛している。君のお陰で幸せな人生だった」
ショーンは写真を抱き締めると『ありがとう』と『済まない』の言葉を交互に言った。
自機の隣にFwが並んで飛んでいた。
何か伝えようとしている。
脱出を促しているようだ。
つくづく不思議な相手だ。
これがあの鬼神のような強さを誇示したパイロットだとはにわかには信じられなかった。
思わず笑みがこぼれた。
スピットファイアは力尽きたかのように大きく傾くと、ゆっくりと高度を下げていった。
枯れ葉のようにゆらゆらと。
脱出を考えたショーンを思い止まらせたのは、眼下の景色だった。
そこに広がっていたのは小さな漁村。
海と森に囲まれた戦争とは無縁のような村。
機体を放棄すれば墜ちる事は間違いなかった。
自らが助かる為に無関係の人を巻き込むのは彼の正義が許さなかった。
少しでも機体を海へと運ぶ。
既にエンジンからは黒い煙が立ち上っていた。
ショーンは眼下の漁村を指で示すと操縦を続けた。
直後、機体が黒煙をあげて火を噴いた。
僅かに漏れていた燃料にショートした火花が引火したようだ。
大きな爆発音も聞こえた。
Fwのパイロットが何か叫んでいる。
海まではまだ、少し距離があった。
此処でこの機体を墜とす訳にはいかなかった。
後に彼は述壊する。
――嘘にすがった――と。
自嘲めいた彼の言葉は、背負ってしまった生かされた者の罪の意識だろう。
自らを責める事でしか生きる意味を正当化出来ない。
彼は今日の日を生涯忘れない。この戦争が歴史の1ページとして、時の彼方の記憶となろうとも・・・
(なんとか海上まで)
必死に体勢を立て直すショーンの後ろにFwが付いた。
内翼13mm、外翼30mmの4門が無言で向けられていた。
穏やかな静けさを感じた。
空戦の最中であれば感じるのは冷徹な死だろう。
この雄弁な静寂に脱出を決めた。
キャノピーを押し上げ、Fwのパイロットを見た。
感謝と尊敬の意を込めた敬礼をする。
チャーチルにさえしたことの無い心からの敬礼だった。
降下するパラシュートからスピットファイアが見える。
炎が機体を包みこんでいた。
火球となり空を迷走する。
やがて加速度を増して村へと落下を始めた。
(村が!)
ショーンがそう思うのと同時にクラウスのFwがスピットファイアの腹下に潜りこんだ。
風に煽られた炎は上に行く。
火の手の無い唯一の接触のポイントだった。
「どうして・・・?」
ショーンは理解出来ない状況に混乱していた。
Fwのパイロットは【撃墜する】と合図していたはずだ。
冷静に考えたならばショーンの能力ならば分かった筈だった。
戦い方からは残弾の無い事を。
戦闘機の機銃では粉砕出来るほどの撃墜は不可能な事を。
これからショーンが目にする光景は、彼にとってあまりに酷な惨状だった。
クラウスは機体を押し上げるようにして海へと向かった。
Fwの長い鼻先が幸いしてプロペラがスピットファイアに干渉しなかった。
しかしその状態で飛べる訳も無く、2機は次第に高度を落として行った。
結局は運ぶと言うよりも、ベクトルを変えると言う表現が適しているだろう。
村側X軸へ向かう機体に対して海側Y軸の45度方向へ物理的な力を加える。
移動の距離は延びるが、力のロスの少ない角度だ。
海上へ辿り着いた。
Fwが機首を上げて離脱を試みていた。
スピットファイアが金属の擦れあう音をたてながらゆっくりと滑って行く。
クラウスは機会を待った。
(あと少し)
キャノピーを塞ぐスピットファイアの主翼が90cmほど動けば脱出が可能だ。
軋みながら開けてゆく視界。
翼の間から空が覗いた。
その眩しさに目を細めた。
スピットファイアからより大きな黒煙が昇った。
次の瞬間には爆煙が2機を包んだ。
ショーンは為す術無く、それを見詰めていた。
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