第22話 視線を受けて

 夜の帳が下り、都市のきらびやかな人工灯が灯る頃。

 私たちは、アインセル公爵の屋敷――というよりは、要塞のごとき巨大な宮殿の前に到着していた。


 金さえあれば、こんな屋敷改め城を自前で用意できるのか。

 設計者が作った箱庭とて、資本主義は変わらないってコトかね。


 馬車が静かに停止する。


 その瞬間、私の肺から『ぐぇ』というカエルの鳴き声のような可愛くない音が漏れそうになるのを、鉄の意志で飲み込んだ。


(……苦しい。何だこの地獄は)


 イザベルに締め上げられたコルセットが、私の内臓を容赦なく圧迫している。

 深紅のドレスは美しいが、その実態は拷問器具だ。アイアンメイデンならぬファブリックメイデンだ。

 前世の満員電車の方がまだ呼吸ができたかもしれない。


「……お嬢様。準備はよろしいですか?」


 向かいに座るイザベルが、完璧な所作で囁く。

 彼女もまた、簡素だが品のある侍女服に身を包み、先ほどの鬼軍曹の顔を隠して『従順なメイド』の仮面を被っている。


「問題ない。……と言いたいところだが、胃が口から出そうだ」

「おほほ、で飲み込んでください」

「……いい性格してやがるぜ」


「お嬢様?」


 冷え切ったイザベルの笑顔に、私はびくりと体を震わせて笑顔を取り繕う。

 怖いったらありゃしない。

 

 コンコン、と馬車の扉が叩かれた。

 扉が開かれる。そこに立っていたのは、御者姿のリチャードだ。


「どうぞ、お手を。お嬢様」


 リチャードが恭しく手を差し出す。その顔は真顔だが、目が「無理せんといてくださいや」と笑っていた。


 私はその手を取り、優雅に――特訓通り、体重を感じさせない動きで――馬車から降り立った。


 *――*――*


 公爵邸のエントランスは、すでに着飾った貴族たちで溢れかえっていた。誰も彼もが、値札のついた衣装を見せびらかすように胸を張り、互いを値踏みするような視線を交わしている。


(……どこの世界も変わらんな)


 会社の忘年会や、取引先のパーティーを思い出す。ここは戦場だ。剣や魔法の代わりに、マウントと見栄が飛び交う、ドロドロとした社交界。実に面白くてくだらない。


「招待状を拝見いたします」


 入り口に立つ、ひときわ体格の良い執事が、無機質な声で告げた。私は扇子で口元を隠し、イザベルに目配せをする。イザベルが、銀の盆に乗せた招待状を差し出す。メテウスが偽造した、渾身の一枚だ。


 執事がそれを手に取り、厳しい目で検分する。

 数秒の沈黙。心臓の鼓動が少しだけ速くなる。もしここでバレれば、ドレスの裾をまくって大立ち回りだ。それはそれで面白いが、カードキー奪取の計画はパァになる。まあなるようになるだろう。どんと構えていればいい。


「……」


 執事の眉がピクリと動いた。


「……確認いたしました。ようこそお越しくださいました、辺境の伯爵令嬢、エレノア様」


 通った。

 さすがあのバグ使い、仕事が完璧だ。


 重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。


 その先から溢れ出したのは、目が眩むような黄金の光と、ワルツの調べ、そしてむせ返るような香水の匂いだった。夜になっているので鼻が必要以上にその匂いを嗅ぎつけてしまう。思わず顔をしかめそうになるのを必死に抑えた。



「――ご入場! 北の辺境よりお越しの、エレノア・ヴァン・ローズ様!」


 アナウンス係が大声で私の偽名を告げる。

 その瞬間。


 ザワッ……とし続けていた会場のノイズが、波が引くように消えた。数百の視線が、一斉に入り口の私へと突き刺さる。


(……見ろ、この視線の数)


 好奇心、嫉妬、劣情、そして「見たことのない顔だ」という警戒心。普通の小娘なら、この圧力だけで卒倒していただろう。


 だが。


 三十路の面の皮と、ヴァンパイアの度胸を舐めるなよ。こちとら臨死体験の直後に初対面のヴァンプにもかみついた女だぞ。


 私は、扇子をパチリと音を立てて閉じた。そして、イザベルの教え通り、会場の全員を路傍の石だと思いながら、艶然と微笑んだ。


 ――カツ、カツ、カツ。


 私は赤絨毯の上を歩き出す。

 ハイヒールの音が、静まり返った会場に心地よく響く。

 モーセが海を割るように、私の前を塞いでいた貴族たちが、無意識に道を開けていく。男たちは私のドレスから覗く背中や鎖骨に目を奪われ、女たちは私の肌の白さと顔立ちに嫉妬の炎を燃やしているのが、手に取るように分かった。


 ――君達私の身体はうら若い女の子の身体なのだが、それに劣情を抱くことの浅ましさが分からんのか?


「……誰だ、あれは?」

「聞いたことがない名だが……凄まじい美貌だ」

「あのドレス、どこの仕立てだ? 見たことのないデザインだが……」


 囁き声が、さざ波のように広がる。悪くない。

 この世界が『設計者』の作った箱庭ならば、こいつらは所詮、背景を埋めるためのモブに過ぎない。私が主役だ。舞台のセンターは譲らない。


 私は会場の中央まで進み出ると、再び扇子を開き、口元を隠した。そして、イザベルにだけ聞こえる声で囁く。


「……どうだ、イザベル。及第点か?」

「……120点です、お嬢様。皆、あなた様に釘付けです」


 後ろに控えるイザベルの声も、どこか弾んでいた。


 さあ、掴みはOKだ、私は扇子の隙間から、視線だけで会場を見回す。


 探すのはただ一人。このくだらないマウント大会の主催者にして、時計塔への鍵を持つ男、アインセル公爵。



 ……どこにいる、ターゲット。


 私は獲物を探す狩人の目で、煌びやかな群衆の中をスキャンし始めた。

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