第21話 貴族たれ
「おっと!」
「あ痛ぁ!?」
私の足が、リチャードの革靴を思い切り踏みつけた。
燃料補給をしたヴァンプの怪力で。
「ひ、姫……! 足の小指が……、小指が死にましたわ……!」
「す、すまん! だが勝手に足が……!」
「足元を見ない! 相手の目を見る!」
「「おどれ(お前)は鬼か?!」」
イザベルの教鞭が空を切り、私とリチャードのツッコみがこだまする。
「お嬢様! 身体が硬い! 機械ですか! もっとこう、流れるように優雅に!」
「無理言うな! 中身は盆踊りぐらいしか経験がないんだぞ!」
「ボンオドリ……? どこの民族舞踊ですかそれは! ええい、身体で覚えるまでです! 曲を止めないでください!」
メテウスが面白がってコンソールを操作し、どこからか優雅なクラシック音楽……ただし時折ノイズで音が飛ぶモノ……を流し始めた。
――地獄のような時間は、いつまでも続く。
気づけば日付を跨ぎ、私は半泣きになりがらも猛特訓を続けていた。
「ゼェ……ハァ……」
私は床の上に大の字に倒れ込んでいた。
リチャードも隣で、踏まれた足をさすりながら死んだ魚のような目をしている。
「……殺す気か」
「まだ死んでいません。自分の回復力を信じなさい」
イザベルは汗ひとつかいていなかった。涼しい顔で、扇子をパチリと開く。どっからだした、それ。
「さて、身体の動きは最低限、見られるレベルにはなりました。……次は『表情』と『会話』です」
「まだやるのか……勘弁してくれ……」
「当然です。舞踏会は戦場。言葉のナイフが飛び交う社交界です。そこで『あ?』とか『うまい』とか言ってみなさい、即座につまみ出されますよ」
イザベルは私の顔を覗き込んだ。
「お嬢様。笑ってください」
「……はは」
乾いた笑いを浮かべる。
「不合格。それは『愛想笑いに疲れた女』の顔です」
「ぐっ……!」
「貴族の令嬢たるもの、扇子で口元を隠し、高らかに笑うのです。さあ、ご唱和ください。『オーッホッホッホ!』」
「……正気か?」
「勿論正気ですとも、さぁご一緒に!」
「……お、おーっほっほ?」
パシーン!と乾いた音が響く。
ハリセンを模したような紙の束が私の頭を叩いた。
後ろでリチャードとメテウスが腹を抱えてやがる。あいつ等が作ったな。
あんの男共……さっきもっと足を踏んでおくんだったか、主に小指を重点的に。
「気迫が足りない! 腹から声を出す! 相手をゴミ屑だと思いながら、しかし慈悲深く見下ろすように! はい!」
「オーッホッホッホ!」
「まだ低い! ソプラノです! 鈴が転がるように!」
「オーッホッホッホ……ゲホッ、ゴホッ!」
喉が死んだ。
これは、何の特訓だ? 私は世界に喧嘩を売りに来たのであって、芸人になりに来たわけではないのだが。
*――*――*
地獄のレッスンをある程度終えて、イザベルから及第点をもらう頃には私は精根尽き果てて、燃え尽きていた。
すると、奥で作業していたメテウスが声を上げる。
「……おい、そこのスパルタ教室。そろそろ時間だぜ」
「む」
メテウスが立ち上がり、こちらに歩いてくる。その手には、光り輝く布の塊が抱えられていた。
「リチャードが仕入れた素材と、俺のデータ変換で作った特注品だ。……試着してみな」
渡されたのは、深紅のイブニングドレスだった。
私の瞳と同じ、血の色。背中が大胆に開いたデザインだが、レースやフリルは控えめで、洗練された大人びた印象を与える。身長はそこまで高くないので、令嬢として箔を醸し出す為に少しでもそういったイメージを演出する必要があるのだろう。
「……ほう」
私はドレスを広げた。
正直、悪くない。前世の私なら絶対に着こなせなかった代物だが、今のこの『エレノア』の身体なら……。
「では、お着替えを。最終仕上げです」
イザベルが手早く私を衝立の裏へと押し込む。
コルセットを締め上げられ、髪を結い上げられ、薄く化粧を施される。
イザベルの手際は魔法のようだった。
「……終わりました。どうぞ、こちらへ」
衝立が取り払われる。
メテウスが用意した全身鏡の前に、私は立った。
そこには、知らない女がいた。
透き通るような白い肌に、深紅のドレスが映える。
幼さは残るが、妖艶さを秘めた肢体。結い上げられた銀髪が、首筋の白さを際立たせている。
中身が三十路の干物女だとは、誰も思うまい。まさに『傾国の美少女』がそこにいた。
「……へぇ」
リチャードが口を開けて固まっている。
「こりゃ驚いた。馬子にも衣装とは言うが……」
メテウスも感心したように口笛を吹いた。
私は鏡の中の自分を見つめ、スッと背筋を伸ばした。
イザベルに叩き込まれた姿勢。それが、ドレスを着たことで自然と『カチリ』とハマる感覚があった。
私は扇子を手に取り、パチリと開いて口元を隠した。自然と、口角が吊り上がる。
「……お黙りなさい、下民ども」
鈴を転がすような、しかし絶対零度の威圧感を含んだ声が出た。
「私の美しさに言葉を失うのは勝手だけれど、いつまでも間抜け面を晒しているのは不敬よ?」
シーン、と場が静まり返る。リチャードとメテウスが、ゾクリとした顔で私を見ている。
その直後。
「――合格です!!」
イザベルが感極まった声で叫び、ハンカチで目頭を押さえた。
「素晴らしい……! まさに私が夢見ていた『完璧なエレノアお嬢様』です! 中身が微塵も感じられません!」
「……一言多いぞ、イザベル」
私は扇子を閉じ、ため息をつこうとして――やめた。ため息すらも、優雅に吐き出す。
「さて。準備は整ったようね」
私は、慣れないハイヒールで、カツ、カツ、とまっさらな床の上を歩き出した。
不思議と、もうふらつかない。『辺境の令嬢・エレノア』というロールが、私の身体に馴染んでいる。
「行きましょうか。アインセル公爵とやらの舞踏会へ」
私は振り返り、呆気にとられている男二人と、誇らしげな侍女に不敵な笑みを向けた。
「この私が、会場の視線も、カードキーも、全て奪い尽くしてやるわ」
こうして、地獄の特訓は幕を閉じた。
いよいよ、敵地への潜入開始だ。
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