第15話 やな奴
不完全な太陽が昇り、私たちは再び東へと馬車を走らせていた。御者台のリチャードは鼻歌交じり、イザベルは私の服のほつれを繕っている。
彼らにとって、昨夜の影の『修正』は『神の御業』として処理されたのだろう。
だが、私は違う。
あれは、この世界の管理者――『設計者』の異常なまでの潔癖さの証明だ。気持ち悪いったらありゃしない。
(……おい、ヴァンプ)
私は揺れる馬車の中で、自分の影を見つめて脳内の同居人に問いかけた。昨夜あれだけ笑っていたんだ。起きているんだろう。
(……)
――返事がない。ただの影のようだ。
完全に無視だ。予想していたとはいえ、腹が立つな。
私が知りたいことがある時にはこれだ。
(チッ……。まあいい)
私は脳内で独りごちる。昨夜の件で理解した。
あの『設計者』ってのは、データの整合性に固執する異常者だ。リアルよりも強固で、揺るぎない『完全なる世界』を確立しようとしている。
それに伴い、私を呼んだ『召喚者』の目論見も凡そ予測がついてきた。奴は、その完璧な世界に『不純物』を混ぜたがっている。
(つまり私は、あの潔癖症な神様への嫌がらせ要員……ウイルスってところか)
私がそう結論付けた、その瞬間だった。
『――くふ』
突如、脳髄を直接ざらついた舌でちろちろと撫でられるような、粘着質な笑い声が響いた。
『昨夜に続いてやはり敏いなあ君は』
(……起きていたのか)
『……くふふ、『ウイルス』とは好い得て妙よなあ』
ヴァンプの気配が、ゆらりと膨れ上がる。 彼女は何も教えてくれない。ただ、私が正解に辿り着いた時だけ、こうして高みから嘲笑うように肯定する。
『あの潔癖症の箱庭作りには、君のような、理の外にある『劇薬』こそが特効になろうとも。……存分に穢してみるといいさ。かの渡り鳥も、それを望んでいるだろうさ』
言い捨てるだけ言い捨てて、彼女の気配はまたスウッと消えた。
こちらの質問を受け付ける気など毛頭ないらしい。
(……ほんと、いい性格してやがる)
私はため息をつき、馬車の前方を睨みつけた。
傍若無人な同居人と、性格の悪い二柱の超越者。板挟みもいいところだが、役割自体は嫌いじゃない。
「……姫? どないしました? 悪い顔になってまっせ」
リチャードが振り返り、ギョッとした顔をする。
「いや。自分の目的を再確認していただけだ」
私は地平線の彼方を見据えた。
雲を突き抜ける巨大な時計塔。『都市』にあるという奇怪な塔。そこに召喚者と思しき『外側の男』がいるという。
「リチャード、飛ばせ。その『完璧な管理都市』に、三十路女の整合性の無さをバラ撒きに行くぞ」
*――*――*
巨大な城壁に囲まれた都市。
その威容は、遠くから見るよりも遥かに圧倒的だった。 城壁の高さは優に50メートルを超えているだろう。確かヨーロッパにこんな城塞のような都市があったはずだ。しかし、それと一線と画していることがふたつ。
イザベルから渡された都市内部の地図をみると、完全なシンメトリー。奇妙なほど綺麗に区分けされ、管理されているようだ。道路すらも一直線。
そして壁面の表面には、幾何学模様の魔法陣がびっしりと刻み込まれ、淡い青色の光を放っている。
なんともファンタジックなことだ。
正門の前には、入国を待つ長蛇の列ができていた。 武装した冒険者、豪奢な馬車の商人、怪しげな巡礼者。
多種多様な種族がごった返しているが、その誰もが門の前で何か問答を受けていた。
「……なんだ、あれは」
私は馬車の窓から、列の先頭を見た。
門番の兵士が持っているのは、槍ではなく、水晶板のような魔道具だ。
それを入国者にかざすと、水晶が色を変える。 緑なら通過。赤なら連行ってことらしい。
「『ステータススキャン』ですわ」
リチャードが嫌そうな顔で呟く。
「この都市はカミサマん直轄地みたいなもんですさかい、入る人間の情報……『スキル』や『犯罪歴』まで全部データで管理されとります」
「……ほう」
「ワイらみたいな善良な
リチャードが声を潜める。
「姫の中身は『異界人』。身体は『強力な魔族』。スキャンされたら、どういう判定が出るか分からん」
――成程、ウイルスチェックか。
確かに、バグまみれの私が正規のシステムチェックを受ければ、エラーを吐くのは明白だ。
「どうします? 裏口に回りますか? エルメスの旦那から聞いた抜け道もありまっけど」
「いや」
私は首を横に振った。
裏からこっそり入る? それは私の趣味じゃない。
それに、ここでエラーが出るなら、それもまたひとつの『挨拶代わり』だ。
「正面から行くぞ。リチャード、イザベル。堂々としていろ」
「へ、へい……ホンマに大丈夫なんやろか……」
「お嬢がおっしゃるなら!」
列が進む。
やがて、私たちの馬車の番が来た。
「次! ……む、随分と珍しい組み合わせだな」
全身鎧の門番が、水晶板を構えて近づいてくる。
「御者は半獣、侍女は人間、そして……中の主人は?」
「ここの領主の娘だよ。病弱でね」
私はフードを目深にかぶり直し、か細い猫被り声で答えた。
「……ふん。まあいい。スキャンするぞ」
門番が無機質に水晶板を私に向けた。
ブゥン、と低い音がして、水晶が光を放つ。
(さあ、どう出る?)
『設計者』のシステムは、この『三十路女の魂が入ったヴァンプの肉体』をどう定義するのか。
見せてみろよ、潔癖症の神様にとって、私はどう映る。
水晶板の光が、明滅を繰り返す。緑でも、赤でもない。
ノイズのような、灰色に濁った光。
「……あぁ?」
門番が眉をひそめ、水晶板を叩く。
「なんだこれ……『該当データなし』? いや、『文字化け』か……?」
水晶板の表面に、デタラメな記号が高速で流れているらしい。
周囲の兵士たちもざわつき始める。
「おい、故障か?」「いや、さっきの冒険者は正常に読み取れたぞ」「隊長を呼べ!」
騒ぎが大きくなりかけた、その時だった。
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