第16話 根無し草
「――通してやりなよ」
不意に、列の後ろから、妙に軽い男の声が割り込んだ。
「そのお嬢ちゃん、俺の『ツレ』だからさ」
兵士たちが一斉に振り返る。
そこに立っていたのは、ボロボロの外套を羽織り、腰に片手剣をぶら下げた、一見すると日本人が想像する、うらぶれた冒険者風の男。
だが、その顔には、奇妙なほど底抜けに明るい笑みが張り付いていた。
「……誰だ、貴様は」
「ただの通りすがりさ。でもまあ、その水晶板が壊れてるわけじゃないぜ? そいつはただ……」
男は、フードの下の私と目を合わせた。
その瞳は、あのエルメスと同じか、それ以上に深い『何か』を宿していた。
「……『規格外』ってだけさ」
男は兵士に何かのコインを投げ渡した。それを見た瞬間、遅れてきた隊長らしき兵士の顔色が変わった。
「そ、それは……『白紙の金貨』!? 貴様、どうして……!」
「いいから通しな。神サマも、たまにはエラーログを見逃してくれるだろ?」
男はウィンクしてみせた。 隊長は脂汗をかきながら、「……と、通せ!」と叫んだ。
門が開く。
リチャードが「なんや分からんけど、ラッキー!」と馬車を進める。
私はすれ違いざま、その男を見た。男は、口の動きだけで、私にこう告げた。
『ようこそ』
(……あいつが)
私は直感した。『外側の男』の手のものか、あるいは本人か。
どちらにせよ、接触成功だ。
馬車は、データに満ちた『都市』へと、その車輪を踏み入れた。
*――*――*
門をくぐり、都市の喧騒の中に馬車を紛れ込ませると、私たちはすぐに路地裏へと車体を滑り込ませた。あんな目立つ助けられ方をしたんだ。長居は無用だが、礼くらいはしておかないと寝覚めが悪い。
「リチャード、停めろ」
「へい」
馬車が止まる。私は荷台から飛び降りると、路地の奥、薄暗がりで紫煙をくゆらせている人影に向かって歩き出した。
さっきの男だ。彼はボロボロの外套のフードを外し、壁に背を預けていた。くしゃくしゃの茶髪に、無精髭。目元にはクマがあり、どこか疲れたような、それでいて理知的な光を宿した目をしている。
「……派手な登場だったな」
私が声をかけると、男は吸っていた煙を指で弾き、ニヤリと笑った。
「エラーだらけの『お姫様』が、正面突破しようとしてるんだ。見過ごせなかっただけさ」
「おかげで助かった。……が、タダじゃないだろう?」
男は肩をすくめる。その手首に、無骨な銀色の鎖のようなブレスレットが巻かれているのが見えた。ただの装飾品ではないように思える。どこか、千切れた手錠のようにも見えた。
「俺の名はメテウス。この街で、神様の目を盗んでちょっとした『火遊び』をしてる者さ」
「メテウスか。私はエレノア」
「知ってるよ。……その身体から漂う『規格外』の匂い、隠せているつもりかい?」
メテウスは私の胸元――心臓の奥にある三十路の『魂』を見透かすように指差した。
「あんた、中身が『違う』だろ?」
(……ほう)
エルメスと同類か。いや、それ以上にシステムの『裏』に通じている。
「……だとしたら?」
「歓迎するよ。この息苦しい都市には、あんたみたいな『バグ』が必要だ」
メテウスは懐から、先ほど門番に見せたコインを取り出した。
近くで見ると、それは金貨ではなかった。黄金色に輝く、のっぺらぼうの金属片。刻印も、数字もない。
「『白紙の硬貨』。俺が神様の金庫からちょいと拝借した、管理者権限が具現化された一部だ。これさえありゃ、大抵のルールは一時的に書き換えられる」
……神の力を盗んだ、か。
エルメスといい、この男メテウスといい、どこかで聞いたことのあるようなキャラクター性を持つ人間が多いな。これも設計者の趣味か?
「すごいですね……そんな貴重なものを、どうして私たちに?」
馬車から降りてきたイザベルが、目を丸くして尋ねる。
メテウスは、脇腹のあたりを少し痛そうに押さえながら、苦笑した。
「言ったろ? 俺は『火遊び』が好きなんだ。……それに、俺はただの案内人さ。あんたが探してる『招かれし者』……。面白いことを企んでる『あの人』へのな」
(……!)
「さあ、こっちだ。先ずは俺のアジトに案内してやる。こんなところで馬車ごとつっ立ってたら、貴族連中に何か言いがかりをつけられて追放されても何も言えねえ。ついてきな」
私はぽつんと放置されていた馬車をみやり、手で顔を覆った。
しまった、完全に悪手だった。
もしここでメテウスの提案を断れば、それはこいつと関係を断絶することになる。助力はみこめなくなるだろう。
逆に提案を受ければ、こいつのアジトへ入ることになる。素性も分からない、かの『設計者』から一部とはいえ権限を盗んで来るような奴の懐へ、自らお邪魔することになるってことだ。
そんなことは絶対に避けたい、しかし寄る辺がないのも事実。奴の口ぶりやイザベルの心配そうな顔を見るに、このまま馬車で移動して変に目立つのもまた悪手。
思えば、こいつの手助けでこの都市に入った時点で、こいつの手を取らざるを得ない状況になっている。
――初手から詰んでいた、か。
かの有名な軍師は、勝負は戦いが始まる前から決していると説いたそうだが、まさにそれだな。
私は奴に覚られぬよう奥歯を噛んだ。
「さぁ、行こうぜ」
奴の顔には、私の焦りがばれていたのかそうでないのか。薄ら笑いが張り付いていた。
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