第14話 不具合修正

「……おい」


 私は再び声を上げた。

 瞬かない星空への違和感が、私の知覚を過敏にさせていたのかもしれない。ふと視線を落とした先に、決定的な、星空とは比べ物にならない『異常』を見つけてしまったからだ。


「……今度はなんでっしゃろか、姫」


 リチャードが干し肉を齧りながら、面倒くさそうにこちらを向く。


「影だ」

「カゲぇ?」


 私は、焚き火の炎とその近くにある馬車を指差した。焚き火は馬車の左側にある。当然、馬車の影は、光と反対側の右側に伸びていなければならない。


 ――だが。


「……なんで、手前に伸びてやがる」


 馬車の黒い影は、まるで意思を持っているかのように、光源である焚き火の方角へ――あろうことか、光に向かって伸びていた。


 物理法則など知ったことかと言わんばかりに。


「ヒッ……!?」


 リチャードが短く悲鳴を上げ、尻餅をつく。

 イザベルも息を呑み、私の腕にしがみついた。


「お、お嬢様……これ、は……」


 動かない空を当り前として受け入れている二人にもそれは、あまりにも生理的な嫌悪感を催す光景だったらしい。世界そのものが『間違っている』という感覚。


 少し遅れて先ほど私が感じた感覚を二人も覚えたようだ。


 その時だ。

 私の脳内に、あの独特な笑い声が響いたのは。


 蛇のような鋭い眼が、眼前に浮かび上がり悪寒が背筋を撫でる。


『――くふッ、くふはは!気づいたかい?気づいてしまったかい?』


 (――ヴァンプ!)


 視界が揺らぐ。

 現実の風景に重なるように、半透明の『彼女』の姿が浮かび上がった。

 ボンキュッボンの妖艶な肢体。長い髪をなびかせて、彼女は焚き火の上にふわふわと浮かび、あのデタラメな影を指差して笑い転げていた。


『そうさ、この世界は全部歪なんだよ。そうら、笑うなら今のうちだぜ』


(今のうち、だと……?)


 私は内心で毒づく。

 周りの二人には、ヴァンプの姿も見えていないし、声も聞こえていないらしい。


『『設計者』にとって重要なのはアイツ視点での世界としての正しさであって、それ以外なんて二の次、三の次なのさ。実際に会ってないのに君はよくそれを見抜いたねぇ、だからこそ……こんな歪みバグが現れたのかもしれないが』


 ヴァンプは呆れたように肩をすくめ、御猪口をグイっと呷り、何かを呑んだ。


『あいつは純粋無垢。自分の作った箱庭で人形たちが踊ればそれでいい。影の向きなんぞ、気にしちゃあいないのよ……おっと、言っているうちに……』


 ヴァンプがふと、虚空を見上げた。

 ニヤリと、口の端を吊り上げる。


『…… どうやら報告が届いたらしいね』


「え?」


 直後。


 ――――ザザッ……!


 世界が、鳴いた。

 音ではない。空間そのものが、テレビの砂嵐のように激しくノイズを走らせたのだ。


「うわぁっ!?」「きゃあっ!」


 リチャードとイザベルが頭を抱えて蹲る。

 私も強烈なめまいに襲われ、膝をついた。視界が歪む。色が反転する。 三半規管が狂い、自分が立っているのか、逆さまなのか分からなくなる。


 そして、世界がまたたく間に再構成されていく感覚。

 

『――観測ログ:異常。対象コード・該当なし。確認開始』

『補正対象――不明因子。名義:エレノア・ヴァンプ・グリード』


「……なんだ、勝手に名乗られてたまるかよ……!」


 反射的に、言葉が出た。

 

「姫?」「お嬢……?」


 リチャードとイザベルが同時に声をかけてきた。

 不安がじかに伝わってくる。

 

『くっくっく。やぁっぱり早いのぉー。普段は動かん癖にこういう時は即時に対応する』


 ヴァンプの気の抜けた実況と共に、バチン!と空気が弾けた。

 次の瞬間、ノイズは嘘のように消え去っていた。


「……は、ぁ……?」


 リチャードが荒い息をつきながら顔を上げる。

 私は、すぐに馬車を見た。


 影は――正しい方向に伸びていた。


「……直ってやがる」


『当たり前さ。奴が慌てて修正したのさ』


 ヴァンプの幻影が、つまらなそうに欠伸をする。

 


『見ているんだよ、あいつは。常にこの箱庭を覗き込んでいる。君たちが『異常』に気づいたから、整合性を取るために情報を書き換えたのさ』


 それはなんとも……ふざけた話だ。


 私は、正しく伸びる影を見つめ、拳を握りしめた。

 星空は相変わらず動かない偽物。影はバグる。そして、それをリアルタイムで書き換える神様と名乗る管理人。


 ここは異世界ですらない。文字通り、誰かの『お遊びプログラム』の中だ。


『どうするよ? エレノア。こんな茶番、付き合ってられないだろう?先に言った通り君は自由だ、全部うっちゃって逃げてもいいんだぜ』


 ヴァンプが挑発するように私の顔を覗き込む。こんの別嬪め、短い付き合いのくせに私の性分を理解してやがる。


 私は。


「……いいや」


 私は立ち上がり、星の瞬かない空――その向こうにいるであろう『設計者』に向かって、牙を剥き出しにして笑った。


「逆に燃えてきた」


 見ていろよ、クソ運営。お前の作ったこの不完全な箱庭を、バグ塗れにして、食い荒らしてやる。


 私の殺気を感じ取ったのか、リチャードとイザベルが震えながらも、頼もしげな視線を向けてくる。 ヴァンプは『くふふ』と満足げに笑い、煙のように消えた。


「リチャード、イザベル。寝るぞ。なんだか、どっと疲れた」

「姫さん、さっきのは……」

「お嬢……」


「私にも、まだ分からん。分からんから、解明しに行く。それだけだよ」

「さよでっか……」

 


 影は直った。

 だが、この世界の『歪みバグ』は、私の心に深く、熱く刻み込まれた。

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