第13話 不気味な夜空

 日が沈み、夜が訪れた。 普通の人間だった頃は夜といえば翌日の仕事への不安だとかと孤独だとかが入り混じる憂鬱な時間だった。

 だが、今のこの身体にとっては違うらしい。


「……すこぶる調子がいいな」


 馬車を街道脇の開けた場所に停め、焚き火を囲む。

 太陽という重石が取れたおかげか、身体が絹のように軽い。

 視界もクリアだ。闇夜のカラスどころか、遠くの木の葉で羽を休める蛾の模様まではっきり見える。


「そりゃそうでっしゃろ。姫の本領発揮タイムですわ」


 リチャードが焚き火に薪をくべながら、ニヤニヤと笑う。彼は手際よく野営の準備を整え、今は買ってきた安酒をちびちびと煽っている。


「お嬢様、お食事です」


 イザベルが、温められたスープ皿――ではなく、蓋つきの瓶とグラスを差し出した。 中身は、仕入れた『保存用の血』だ。


「あぁ、いただく」


 私はグラスに注がれたそれを口に含んだ。 途端、眉間に皺が寄る。


(……不味い)


 いや、正確には『味気ない』。

 前に城で飲んだ新鮮な血が『絞りたての生ジュース』だとすれば、これは『賞味期限ギリギリの缶詰』だ。鉄の味と、防腐剤代わりの薬草の匂いが鼻につく。

 空腹は満たせるが、心は満たされない。


「……渋い顔してますなぁ」

「保存食だからな。文句は言えん。ただ、長旅になるのは御免だな」


 私は一気にそれを流し込み、口元の赤色を拭った。


「それよりリチャード。さっきの『魔法』……いや、魔法とも呼べないアレ。お前、いつ習得した?」


 私の問いに、リチャードは串に刺した干し肉を齧りながら、「ああ」と空を見上げた。


「ガキの頃ですわ。頭かっちこちの貴族の親に捨てられたワイは必死で生きようともがいとりました。ワイ、腕力じゃ純粋な獣人には勝てへんし、魔力じゃ人間には勝てへん。じゃあ何で勝負するか。『口』しかあらへんやろ?」

 「口、ね」


「へえ。最初は『マケてぇな』言うたらマケてくれる、程度のちゃっちい能力でしたけどな。毎日毎日、せこせこあーだこーだと喋り倒してたら、いつの間にか言葉に『重み』が乗るようになりまして、『重み』が乗った言葉には『事実』が乗っかってきよったんですわ」


 リチャードは、パチパチと爆ぜる焚き火の炎を指差した。


「――よう燃えとるなぁ。ちょっと張り切りすぎちゃうか?」


 彼がそう呟いた瞬間、勢いよく燃え上がっていた炎が、シュン……と小さくなり、種火程度に落ち着いた。


「便利でっしゃろ、 薪の節約になりますわ」


(……デタラメだ)


 詠唱も、魔法陣も、一切の予備動作もなく、 ただ『事実』だけを押し付ける。因果の逆転。

 これが所謂『スキル』としてシステム化されているなら、この世界の自由度は恐ろしく高いか、あるいは恐ろしく杜撰かのどちらかだ。


「イザベル、お前もか?」

「はい? 何がでしょう」


 イザベルは私のマントのほつれを直しながら首を傾げる。


「お前のあのいきなり雰囲気が変わるアレだ。あれもスキルか?」

「ええと……教会の方には『ペルソナ』という稀有な精神系スキルだと言われました。でも、私はただお嬢様にお仕えするため、『必要な自分』を引き出しているだけです」


 彼女はふふっと笑い、今度は私の髪を梳かし始めた。

 その手つきは優しく、間違いなくお転婆な彼女のものだが、その身のこなしには隙がない。


(スキル、ね……)


 私は夜空を見上げた。

 満天の星だ。見慣れた都会の空とは違う、宝石を散りばめたような美しい星々。


 だが。


「……おい」「なんです、姫」

「……あの星、動いてなくないか?」


 私は空の一点を指差した。

 私がこの身体で目覚めてから、夜空をまともに見るのはこれが初めてだ。だが、違和感がある。星が、瞬いていない。


 まるで、黒い天井に描かれた『絵』のように、あまりにも静止しすぎている。


 リチャードもつられて空を見上げ、きょとんとした。


「星ぃ?星なんてそんなもんでっしゃろ。動き回ってたら気持ち悪いですわ。そないに早う動くもんやあらへん」

「……そうか。お前たちには、これが『普通』か」


 背筋がゾクリとした。リチャードやイザベルにとって、この空は当たり前なのだ。

 だが、現代日本の知識を持つ私には分かる。


 大気の揺らぎがあれば、星は瞬く。時間が経てば、星座は動く。それが『物理法則』だ。


 だが、この世界にはそれがない。

 あるのは、『星空に見える書き割りの背景』だ。

 星空に見えている単なる背景、この世を動かしているのは物理法則ではなく、設計者のみ。


(……なるほどな、設計者さん)


 ここは箱庭だと言った。

 その意味を、私は物理的な意味で理解させられた気がした。ここは設計者が作った『ゲーム盤』の上なのだ。

 恐らくリソースが限られており、重要ではないと設計者が判断したモノの設計はなおざりなのだろう。


「……どうなさいました? お嬢様」

 

 イザベルが心配そうに顔を覗き込んでくる。


「いや、なんでもない」


 私は立ち上がり、マントを翻した。

 不気味な空だ。だが、だからこそ、暴き甲斐がある。


「仮眠を取るなら今のうちだぞ。リチャード、夜明けと同時に出発する」

「へいへい、人使いが荒いこって」


 私は焚き火のそばに座り直し、瞬かない星空を睨みつけた。

 あの空の向こう側で、私を呼んだ『召喚者』も、この偽物の星を見ているのだろうか。


 精々胡坐をかいて見てるがいい、私はすぐにそちらへ行く。

 私の体内で、不味い保存用の血が、怒りと好奇心で熱く沸き立つのを感じた。

 

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