欺瞞の果てに

第12話 詐欺師の話術

 城を出て、数時間。

 私たちは最初の難関――国境へ続く街道の『関所』に差し掛かっていた。


「……止まれ!」


 槍を持った貧相な装備の衛兵が二人、私たちの馬車の前を塞いだ。

 見るからに柄が悪い。辺境の警備なんてこんなものだろうが、彼らの視線は明らかに、御者台に座るリチャードへ向けられていた。


 おいおい、度し難いぞ。

 


「はんっ!なんだこの御者は。犬臭いと思ったら、薄汚い半獣かよ!」

「……へへっ。鼻が利くもんですなあ。つい匂ってしまいましたかいな? すんまへん」


 リチャードは愛想笑いを浮かべて頭を下げるが、衛兵たちの表情は険しいままだ。

 もし、彼が事を起こす気であれば私もやぶさかではない。実験台にはちょうどいいだろう。さて、どう出る?


「チッ……亜人風情が馬車なんぞ乗り回しやがって。おい、荷台を改めるぞ。盗品でも積んでるんじゃねぇか?」

「め、滅相もない! これはれっきとした商売道具で……」


「うるせぇ! 通りたけりゃ通行税を払え。金貨10枚だ」


 金貨10枚だと?


 馬車の幌の隙間から覗いていた私は、眉をひそめた。相場など知らないがそれが法外な値段であることは、リチャードの引きつった笑顔を見れば分かる。


 明らかな差別と、ゆすりだ。


「お嬢様……出ますか?」


 隣でイザベルが、すでにナイフの柄に手をかけている。 殺気が漏れ出ているのがまるわかりだ。私も同じ意見だが、勝手に行動に出るのは許さない。このことで怒っていいのは、リチャード本人だけだ。


「待て。リチャードの反応を見る」


 私は手でイザベルを制し、様子を見守ることにした。

 あの守銭奴が、この理不尽をどう切り抜けるか。


「……そりゃあんまりでっせ旦那ァ。金貨10枚は、ちょいとばかし殺生やおまへんか? ワイら貧乏商人ですさかい、そこォなんとか……」

「あぁ? 文句があんのか? なら、その薄汚い犬歯をへし折ってから牢屋にぶち込んでやってもいいんだぞ!」


 衛兵の一人が、威圧するように槍の石突きで地面をドン!と叩いた。もう一人が、リチャードの胸ぐらを掴み上げる。


「ひぃ! や、やめてつかぁさい!暴力はあきまへん!」


 リチャードは大げさに両手を挙げ、怯えたふりをした。 だが、私の目は見逃さなかった。 彼の顔付近に、ほんの一瞬、淡い光が集束したのを。


「……だ、旦那方。そんなにカッカしなさんな」


 リチャードは、胸ぐらを掴まれたまま、困ったように眉を下げ、あくまで世間話でもするように、ポツリと呟いた。


「――足元、えらい凍みてはりますわ。ツルッといってまうかもしれまへんで?」


 その瞬間だった。

 パキィンと耳に刺さるような音が鳴る。


「う、うわあああッ!?」

「な、なんだ!?」


 衛兵たちの足元の地面が、一瞬にして真っ白に凍りついた。

 まるで、そこだけ真冬が訪れたかのように。


 胸ぐらを掴んでいた衛兵は、踏ん張りが利かずに盛大にスリップし、背中から地面に叩きつけられた。

 もう一人も、氷に足を取られて、生まれたての子鹿のように転倒した。無様なものだ。


「あ痛ぁッ!」

「ぐぇッ!」


 唐突な出来事に傭兵達対応できず、受け身もとれずに鎧と槍が地面にぶつかる音が響く。


 リチャードは、何食わぬ顔で着地の体勢を整え、大げさに目を丸くしてみせた。


「おーっと! 危ないなぁ! 言わんこっちゃない! 最近は冷えますさかい、霜でも降りてましたんやろか?」


「て、テメェ……何をしやがった……!」


  腰を打って起き上がれない衛兵が、涙目でリチャードを睨む。


 リチャードは、衛兵の顔の横にしゃがみ込むと、今度は誰にも聞こえないほどの小声で、ニッコリと笑いかけた。


「――なぁ旦那。痛い思いするより、小銭で美味い酒でも飲んで寝とった方が、よぉけ身のためになりまっせ?」


 ふわり、と甘い空気が漂った気がした。 交渉術か、魅了か。

 衛兵の怒りの形相が、一瞬で呆けたような、夢見心地なものに変わっていく。


「……あ、ああ。そう、だな。酒……酒か……」

「へえ。これで、一杯やってつかぁさい」


 リチャードは懐から銀貨を数枚取り出し、衛兵のポケットにねじ込んだ。 金貨10枚どころか、はした金だ。


「ほな、通らせてもらいまっせ。おおきになぁ~!」


 リチャードは軽やかに御者台に戻ると、何事もなかったかのように馬に鞭を入れた。 馬車が動き出す。 後ろでは、氷の上で腰をさすりながら、「酒……?」と呆けている衛兵たちの姿が遠ざかっていった。


 私は、幌の隙間からリチャードの背中を見つめ、口元を歪めた。


 一般的な日本人のイメージする魔法の詠唱とかいう話ではない。

 あいつにとって魔法は『現象』を呼び出す儀式ではなく、ただの『会話のスパイス』らしい。『滑る』と言えば滑り、『納得する』と言えば納得させる。

 どちらかと言うと、魔術や魔法と言うより呪術等に近いのではないだろうか。


「……とんでもない詐欺師を拾ったもんだ」


「がっはっは、このリチャード単なる守銭奴ワンちゃんとちゃいまっせ。どうです姫さん、この雄狼の話術は、お気に召しました?」

「合格だ。……少なくとも、退屈はしなさそうだ」


 私は、揺れる馬車の中で、これから始まる旅が予想以上に騒がしいものとなることを確信していた。

 

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