第18話 アーキリーク襲来
森に、音が消えた。
風のない空気が揺れる。
鳥も虫も、何もいない。
ただ、静けさだけが残った。
「……来るぞ」
セレスの声は、震えていた。
勇敢なエルフであるはずなのに、喉がこわばる。
遠くから、ひたひたと足音がした。
魔物の群れ。
しかし――それだけではない。
足音の後ろに、音のない“何か”がついてきている。
「魔物が……怯えている?」
騎士が訝しげに囁く。
見れば、魔物たちは牙をむきながらも、
決して森の奥を振り返らない。
まるで、そこにあるものを認識したくないかのように。
森の奥。
黒ではない影。
白でもない霧。
ただ、輪郭を持たない“空白”が、ゆっくりとこちらへにじむ。
リリアンが震えた。
「……あれは……魔力じゃない。
現象ですらない……
“名前のない存在”……!」
霧が近づく。
気温が下がる。
タケルは、森の奥に立つその“空白”を見つめた。
見ようとすると、目が滑る。
視界の端から端へ、形が逃げる。
認識できない。
ただ、ひとつの囁きだけが聞こえた。
――だれ?
森全体が、その問いを繰り返しているようだった。
その瞬間。
街の門が、崩れた。
土煙が上がり、悲鳴が響く。
「押し返せ!!」
タケルの号令で、騎士たちが駆ける。
剣と牙、火花と血。
リリーは魔物を吹き飛ばし、グルは殿となって支える。
「姉御! すげぇっす!!」
「普通。」
「普通じゃねぇ!!」
しかし、勢いは止まらない。
魔物は次々にあふれ出す。
その奥。
霧が、微かに笑った。
シオンが胸に祈りを結ぶ。
「……助けてください……
どうか、この街を……」
その祈りは真剣だった。
だが、霧はからかうように揺れた。
シオンの声が震える。
「……届かない……
これは……神ではない……
祈りを拒む何か……!」
「当たり前だろ」
タケルは霧を睨んだ。
「神じゃねぇよ。
名前のない“空白”だ。」
その時だった。
一人の魔族が倒れた。
輪郭が、薄い。
「こいつ……名前が……消えてる……!」
騎士が叫ぶ。
ノーミが駆け寄った。
「だめ……! きえないで……!」
幼い手が震えながら、倒れた魔族の頬を叩く。
「なまえ……なまえ……!」
しかし、声は出ない。
名前を、思い出せない。
街の誰もが、口を開きかけ――
次の瞬間、言葉を失った。
名前が、喉にひっかかった。
その沈黙を、霧が楽しんでいた。
――だれ?
タケルは歯を食いしばった。
(……名前を失う。
それは死ぬことじゃない。
“存在がなかったことにされる”ってことだ……)
恐ろしさが、骨に染みた。
それでも。
だからこそ。
タケルは叫んだ。
「お前は――レーヴァだ!!」
倒れた魔族が、揺らいだ。
薄い輪郭に、色が戻る。
「……レーヴァ……
わたし……レーヴァ……!」
泣きながら魔族がタケルにしがみつく。
「ありがとう……ありがとう……!」
セレスの胸が震えた。
(……名前を呼ぶだけで……救える?
魔法でも、奇跡でもなく……
ただ“そこにいる”と言うだけで……)
リリアンが呟く。
「定義。
たった一言で、存在が確定する……」
その時。
霧が動いた。
輪郭を持たない腕のようなものが、街へ伸びる。
触れた場所から、色が消える。
人も、家も、風景も――
輪郭が薄れる。
消える。
もうすぐ、街は終わる。
「だれ……?」
霧が囁く。
「だれ……?」
「われ……?」
「ここ……?」
その問いは、呼吸のように広がる。
誰も答えられない。
答えたら飲み込まれる。
その沈黙を破ったのは――
ノーミの叫びだった。
「みんな……いる!!
ここに!!
きえない!!」
幼い声が震え、響いた。
それは祈りだった。
唱えるように。
泣くように。
叫ぶように。
「たすけて……!」
その声に応えるように、ピリカが飛び回る。
「やばいのいろです!!
すごくわかりやすくやばいのです!!」
「翻訳しろ!!」
「たぶん!!」
「だれか正確なやつ来い!!」
ドグーが進み出た。
霧に向けて、淡い光を放つ。
《解析開始。
名称:不明。
属性:不明。
存在基盤:不明。
ただし――》
「ただし、なんだ!」
《あなたたちは“ここにいる”》
その言葉は、静かだった。
《名を呼べば、存在は戻る。
呼ばれた者は消えない。
呼ばれない者が消える。》
シオンの瞳が揺れた。
「……それは……祈りと同じ……」
「ちげぇよ」
タケルは霧へ拳を握った。
「これは、“関係”だ。
名を呼ぶってのは――
その人と繋がるってことなんだよ!!」
霧が、微かに震えた。
笑ったように。
空気が、凍りつく。
霧が、街の中央へと伸びる。
城壁の最後の支えが砕ける。
人々が叫ぶ。
「たすけて!!」
「いやだ!!」
「消えたくない!!」
その声を、霧は飲み込もうとしていた。
色が、薄れる。
輪郭が、崩れる。
名前が、忘れられる。
森が喉を震わせるように、囁く。
――だれ?
呼んでも返事のない問い。
答えのない呼びかけ。
その空白が、街を覆い尽くそうとした瞬間――
タケルが叫んだ。
「ここにいる!!!」
拳を握り、声を張り上げる。
「お前ら!!
消えねぇぞ!!
俺が呼ぶ!!
何度でも呼ぶ!!
ここにいるって、俺が言う!!」
その叫びは、祈りではない。
それは、誓いだった。
霧が止まった。
森全体が、固唾を飲んだように静まる。
そして。
――だれ?
問いは続いていた。
戦いはまだ、終わらない。
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