第7話 聖女③
この状況で断るのは不自然よね。
そう思いながらも、足は少しだけ重かった。
「……はい。むしろ、私の方こそお礼を言わなければなりませんわ」
姿勢を正し、ゆっくりと口を開く。
「先ほどは、かばってくださってありがとうございました。助かりました」
セレナは一瞬だけ目を丸くし、すぐに柔らかく首を振った。
「そんな……かばうだなんて。あの方たちも、悪気があったわけじゃないと思うんです。 ただ誰かを誤解したままでいるのが、少し悲しかっただけで」
(……誤解、ね)
その言葉は、驚くほどまっすぐだった。嘘も打算も感じられない。
「授業のとき、見ていました。魔法陣すごく綺麗でした」
セレナの声が、静かな陽だまりのように届く。
「……最適化された術式を組んだだけです。特別なことではありません」
「でも、あんなに整った陣式を一瞬で組み上げるなんて……普通じゃ考えられないと思って」
「……そうでしょうか」
私は短く返し、視線を机の縁に落とした。
セレナは少しだけ首をかしげる。
「今日のこともです。廊下で誰よりも自然に、誰よりも早く手を差し伸べていて」
一瞬、返事が詰まる。
どう返せばいいか分からず、わずかに視線を逸らした。
「……あれは、ただ身体が動いただけです。理由をつけるようなことではありません」
「でも、私は素敵だと思いました。そういうふうに動ける人って、なかなかいないから」
その一言に、胸の奥が小さく波打った。
セレナはふわりと微笑み、続けた。
「リリアナさんって、冷静そうに見えるけど……とても温かい人なんじゃないかって」
……温かい。そんなふうに言われたの、いつ以来だろう。
その言葉が、不意に心の奥へ落ちていく。 たった一言で、凍ってたものが少しだけ溶けるみたいで。
前世で憧れていた彼女に認められる。
その瞬間が、こんなにも心を揺らすなんて思いもしなかった。
――けれど。
同時に理性は冷たく告げる。
彼女は聖女。この物語の中心であり、やがて私を破滅へ導く存在。
(……救いの言葉に、すがってはいけない)
感情は惹かれ、理性は拒む。
心と頭が真逆に揺れ、言葉が喉で止まった。
「……温かいかどうかは、私にはわかりません」
結局口にしたのは、どちらの気持ちにも触れない答えだった。
だがその一言を告げたあとも、胸に残った温もりと冷たさは消えなかった。
セレナは、ふわりと笑みを浮かべる。
その瞳は、ただ私を肯定するためだけに注がれているようだった。
――祈りのように、純粋で。
光に照らされたようなその微笑みが、少しだけ怖かった。
──
(アレン視点)
学園の門を出ても、さっきの光景が頭から離れなかった。
聖女セレナが、リリアナ・グランベールに微笑んでいた。しかも、まるで長年の友人のように。
光と闇を象徴する二人が、穏やかに言葉を交わす。そんな展開、俺の知るどのルートにも存在しなかった。
(……あり得ない)
肩の上で、フェリがくるくると旋回しながら驚きの声を出す。
「ねぇアレン、あれ見た? あの空気! 聖女とラスボスが仲良しトークしてたんだけど?」
「……見た」
「“かばってくださってありがとうございました”とか言ってたよ? 何その新ルート!?」
「……ああ。それに、リリアナは本来、あの場面であんな対応を取るはずがない」
リリアナの態度は、ゲームのどのルートにもなかった。怒りも傲慢さもなく、ただ静かに場を収め――あれほど侮辱されてなお、優雅に微笑んだ。
あんな彼女を、俺は知らない。
「でしょ!? なのに今日は、冷静で優雅にかわす悪役令嬢よ!? あれ誰?」
「……俺だって混乱してる。見間違いかと思った」
フェリは羽を震わせ、真剣な声でささやいた。
「あの二人って、本来なら最後に敵同士になるわけでしょ」
「……ああ。聖女とラスボス、交わることのない存在だ」
「もしかしてさ……これ、あんたの影響じゃないの?」
「は? 俺は何もしてないだろ」
「でもさ、勇者なんてゲームにいなかったでしょ? あんたがいるから、物語が少しずつズレてるんじゃないの?」
「……根拠のないことを言うな」
フェリはニヤリと笑みを浮かべて羽を揺らす。
「ふふん、焦ってる」
「……からかうな」
軽口の応酬。
だがその裏で、胸の奥に冷たい不安が残っていた。
確かに俺は、この世界には存在しなかった異物。
だからこそ、今目の前で起きていること――ほんの小さな綻びが、俺のせいなのではないか。
(……何かが、変わってきている)
そう思わずにはいられなかった。
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