08.悠里玖――予告状

「ええいっ、忌々いまいましいっ!」

 さくらぞの悠里玖ゆりくはカードを床に叩きつけた。



『七日後、さくらぞの由名ゆなの身柄を頂く。

 いかなる抵抗も逃走も無駄である。


 UNKNOWNアンノウン



 資産家であれば誰もが、犯罪者に財産を狙われる危険性について、想定したことがあるだろう。

 もちろん悠里玖ゆりくとて、その例外ではない。


 いやしい泥棒どもの侵入を防ぐため、警備にはいくらでも金をぎ込んできた。


(しかしまさか、怪盗アンノウンが美術品でも調度品でもなく――、由名ゆなを標的にしてくるとは!)


 さくらぞの邸は、人里離れたへきに建っている。

 周囲を森に囲まれた、自然豊かで美しい場所だ。


 元来、人付き合いが得意でない気質の悠里玖ゆりくは、仕事以外でほとんど家をけない。

 訪ねてくる来客は少なく、使用人も彼自身が直接、認めた者のみである。


 いわば、さくらぞの邸は悠里玖ゆりくの聖域なのだ。


 その聖域が怪盗アンノウンに踏み荒らされてしまうであろうことを想像すると、悠里玖ゆりくはそれだけでふんしてしまいそうだった。


 しかもよりによって、由名ゆな須磨都すまとの結婚を来月に控えた今。


(最悪のタイミングだ! せめて……、せめて須磨都すまとくんとの結婚のあとであれば……!)

 頭を抱え、怒りに任せて机を叩く悠里玖ゆりく


「どうなさいました? 旦那様」

 執事の野間のまが主人の異常に気づき、床のカードを拾い上げる。

「これは……。まさか、あの怪盗アンノウンの?」


「そのまさかだ。今朝、郵便受けに届いていた。無駄だとは思うが、配達員のじょうを調べておけ」

 悠里玖ゆりくは不愉快そうに指示を出す。


 野間のまさくらぞの家の先代当主にもつかえていた古株ふるかぶの使用人だ。

 悠里玖ゆりくより二回りほど年上の老人で、いつもステッキを持ち歩いている。


 その割に足腰は健康なようで、ステッキが不要なのではないかと思われるくらい、かくしゃくとした歩きかただった。


「お嬢様にはお伝えしますか?」

 野間のまは控えめに尋ねる。


 わずかに考えて、すぐ首を横に振る悠里玖ゆりく

「最近のあれは反抗的だからな。言わないほうが良い。妙な気を起こされては困る」


 由名ゆなの態度に、悠里玖ゆりくは心底うんざりしていた。まさか、彼女が須磨都すまととの結婚を嫌がるだなんて、想像だにしていなかったのだ。

 とみと家柄に加え、文武両道の才能と穏やかで勇敢な人徳をもあわせ持つ若き天才。悠里玖ゆりく須磨都すまとを、そのように評価している。


(おおかた、南枝なみえだ辺りが余計な知恵を入れたのだろう……。私の見込んだ男こそが、由名ゆな相応ふさわしいに決まっているというのに! なぜに誰も彼もが私の判断を疑い、私の邪魔をするのか! 嗚呼ああ、まったく何もかもが忌々いまいましい……!)


「承知しました。では、ひとまず警察に……」


「それもやめておけ!」

 悠里玖ゆりくは鋭く制止する。


「はっ……? やめる、と言われますと?」

 きょとんとして、野間のまは足を止めた。


「言葉通りの意味だ。警察は必要ない。私の庭をどんな公務員どもの足跡だらけにしようと言うのか!」


 可能な限り、事件を表沙汰にしないようにすべきだ。悠里玖ゆりくはそう考えていた。

 もし騒ぎが広がりすぎれば、事態を重く見たれい家の人々が婚約破棄を申し出てくるかもしれない。


(そんなことがあってはならん! 絶対に……!)


 さくらぞの邸には財産に物を言わせて用意した、最新の警備システムが仕込まれている。

 警察の力を借りずとも、怪盗アンノウンを撃退するくらいは容易たやすい。悠里玖ゆりくはそう信じていた。


「怪盗アンノウンは他人の身体を乗っ取るような、奇妙な妖術を使うという。それが本当であれば、無闇やたらに警備の人員を増やしてしまうと、かえって敵に付け入る隙を与えることになりかねん。誰がアンノウンか分からなくなるからな」

 ようやく少しだけ落ち着きを取り戻し、野間のまに言い聞かせる悠里玖ゆりく

野間のま。お前だけは、何があっても私の味方だな?」


「わたくしはこの命が燃え尽きるまで、偉大なるさくらぞの家にご奉仕する所存でございます」

 慇懃いんぎんに答える野間のま


 野間のまは日本人の両親から生まれたものの、若い頃は海外で暮らしていた。

 そのときに従軍を経験しており、年齢を重ねた現在に至っても、腕は衰えていない。


 日本に帰国したばかりで右も左も分からなかった野間のまを雇った人物が、さくらぞの家の先代当主だった。


「いざというときは、お前がアンノウンを始末しろ。私は他のどんな警備よりも、お前の腕を信頼している」


 元軍人の執事は一瞬の躊躇ためらいもなく頷いた。

おおせのままに……。怪盗アンノウンがこの屋敷に足を踏み入れたあかつきには、必ずやその首をってみせましょう」

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