09.須磨都――麗しき華

 矢が風を切り、まとの中央を寸分たがわず正確に貫く。


(さながら僕のアプローチと、由名ゆなのハートみたいだ)


 れい須磨都すまとはそう考えて、満足げに微笑ほほえむ。

 学生時代から弓道が好きだった。雑念が消え失せ、精神が落ち着き、思考が冴え渡る。


 趣味で探偵の真似事をすることもある須磨都すまとは、冷静に振る舞うことの重要性をよく理解していた。

 焦って勇気と無謀を履き違えたり、あるいは保守的になって意見をすぐに変えたりする者は、人の上に立てる器ではないからだ。


 須磨都すまと鼻唄はなうたを歌いながら、リビングに戻った。

 そこには、薔薇のように真っ赤な宝玉――賢者の石エリクサーが飾られている。


(まさか噂通りに特別な力を秘めているわけでもあるまいが……、伯父おじがこの宝玉を買ってから、良いことづくめだな)


 十年前、須磨都すまと伯父おじ賢者の石エリクサーを手に入れて以降、れいグループの企業は軒並み、右肩上がりの成長を遂げた。

 投資先もことごとく躍進やくしんし、れいグループはまたたく間に莫大ばくだいな資産を得た。


 そして幸運はビジネスの領域のみならず、須磨都すまとのプライベートにも舞い降りた。

 由名ゆなとの婚約である。


(この完璧な僕に相応ふさわしい、完璧なフィアンセが見つかるなんて思わなかった)


 須磨都すまとは指折り数えて、由名ゆなの誕生日を待っている。

 まるでサンタクロースを待つ子供のように、ワクワクした気持ちでベッドに入るのだ。


(毎晩、眠ることが楽しみで、毎朝、起きることが楽しみな日常。これがまだ幸福の絶頂でないというのだから、いやはや僕の人生はなんて奥が深いのだろう!)


 そのとき、スマートフォンに連絡が入った。

 由名ゆなの父親――さくらぞの悠里玖ゆりくからだ。


(おや。僕に直接、しかもいきなり電話をしてくるなんて珍しい)


 須磨都すまとはすぐに通話ボタンを押した。義理の父になる相手を、無下むげにはできない。

「もしもし、お義父とうさん」


須磨都すまとくん……、その、突然すまないね」


 妙だな、と須磨都すまとは思った。


 さくらぞのグループはれい家から多額の資金援助を受けているものの、それでも悠里玖ゆりくは謙虚な姿勢をほとんど見せたことがない。

 彼なりの交渉術なのか、それとも単に頭が悪いだけなのかは須磨都すまとの知ったことではないが、そんな傲慢な悠里玖ゆりくが異様に申し訳なさそうな態度で電話してきた以上、何か良からぬ事態ではあるのだろう。


「どうしたんです? お声に覇気はきが感じられませんが」


「君は……、君は由名ゆなを、心から愛してくれているね?」

 悠里玖ゆりくは探るようにいてきた。


(なんだ? まさか、がバレたか……?)


 思考を巡らせつつ、須磨都すまとは普段通りに応じる。

「もちろんです。由名ゆなさんほど美しく、れんな存在は他にいません。彼女こそ生きた芸術品であり、僕が生涯を捧げるにあたいする女性ですよ」


 それは全て、本心からの言葉だ。


えぐり出したいくらいに美しい瞳、むしり取りたいくらいに美しい髪、噛み締めたいくらいに美しい唇、縛り上げたいくらいに美しいたいけがれをわずかほども知らない、清廉潔白にして純真無垢な、狂おしくも愛おしい由名ゆな。彼女こそ完璧な僕に相応ふさわしいフィアンセだ。人類史すら塗り替える天然の芸術品にして、僕だけに約束された永遠の人形。僕に愛玩されるためだけに生まれてきた姫君を、愛さないはずがない!)


 須磨都すまとの返事を聞き、悠里玖ゆりくは何かの覚悟を決めたようだった。

「実は、由名ゆなに関して重大な話がある。下手をすると、そちらの親族が婚約破棄を求めてくる可能性すらある話だ。できれば、まだ内密にしておいてもらいたい。……聞いてくれるかね?」


「婚約破棄ですって? 聞き捨てなりませんね。冗談じゃない」

 語気を強める須磨都すまと

「僕は由名ゆなさんをこの世で最も愛しています。れい家を追い出されるような事態になったとしても、決して彼女を手放しません」


「ありがとう、須磨都すまとくん……。やはり、由名ゆなの婚約者に君を選んで正解だった」

 悠里玖ゆりくは重々しく言う。

「実はな……、今朝、怪盗アンノウンからの予告状が届いた。奴め、七日後に由名ゆなさらうと予告してきたのだ……!」


「なんですって!」


 驚きの声を上げる須磨都すまとの表情は――


(なんという幸運だろう! 由名ゆなとの結婚を迎える直前に、名高い怪盗アンノウンを捕らえることになろうとは! 天さえも僕たちを祝福している!)


 彼の頭には、アンノウンに対する恐怖などじんもない。素人探偵として、犯罪者の逮捕に協力してきた須磨都すまとからすれば、アンノウンも一人の窃盗犯に過ぎないのだ。


「当然、対策は考えてある」

 悠里玖ゆりくは告げた。

「そこで相談なのだが、須磨都すまとくん。良ければ、口が硬くて腕の立つ外科医を紹介してほしい。そういう伝手つては多いだろう?」


「外科医ですか? もちろん協力は惜しみませんが……、どういう対策です?」


 須磨都すまとが問うと、悠里玖ゆりくについて端的たんてきに答えた。

 それを聞いた須磨都すまとは、思わずき出してしまう。


「ふっ、はははっ! ちくなことを考えますねぇ。そこまですれば確かに、アンノウンだろうと誰だろうと、由名ゆなさんに指一本、触れられないでしょうね」


「何がちくなものか。所詮しょせん、あれは私の所有物。誰にも文句を言われる筋合いなどない」

 ようやく余裕が戻ってきたのか、悠里玖ゆりくも笑う。


「当日は僕もそちらに行きます。僕の可愛いフィアンセに手を出そうとしたこと、徹底的に後悔させてやりますよ」

 須磨都すまとぎゃく的な口調で宣言した。





――――To be continued in PHASE II.

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